Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/狂つた一頁 20220911

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選考終了日時:2022年9月25日 (日) 00:05 (UTC)

  • コメント 映画撮影に至るまでの詳細な解説や評価などが充実しており、これだけの情報をまとめてくださった石川太郎左ヱ門さんのご尽力に感謝いたします。その上で、文学的に少し気になった点がいくつかあったので、コメントさせていただきます。
  1. 「新感覚派文学者の製作上の貢献」の節内での、川端康成の貢献に関して、川端がシナリオに文学的・物語的要素を持ち込んだことが映画評論家(?)から批判的に見られ、川端の貢献を否定している解説になっておりますが、その「言葉に依存しない純粋な映画を支持する批評家」が具体的に誰なのか(アーロン・ジェローでしょうか)、明記した方がいいかなと思います。
    川端の貢献という点では、「小使」の父と娘という設定などには、川端の元恋人の伊藤初代の境遇などが想起されることを小谷野が考察しており、登場人物の家族関係の設定を川端が考えたことが容易に予想できることが言及されているため、川端の貢献を否定する「言葉に依存しない純粋な映画を支持する批評家」という人が誰なのか、文芸評論家ではないのならその旨を明記していただいた方がいいと思います。
  2. チェック その後段の「その後の創作への影響」の節において、この映画がその後の横光の『機械』と「狂気のテーマ」で共通すると解説されておりますが、『機械』のテーマについては論者によって様々な見解があり、「狂気のテーマ」とそこで断定して定説であるかのようにしてしまうのは避けた方がいいと思います。なので、帰属化して論者の名前(十重田裕一)を出すか、「……という見解もある。」という書き方にするのが適切かなと思います。
    というのは、『機械』という作品はそんなに定まったテーマや作品構造ではなく、一般的にはプルーストやジョイスの心理小説の影響に触れられ、作品論などでも、高度の機械文明のなかで疎外される人間存在の危機感、あるいは社会条件に応じて変化する人間の相対的な関係性を「機械」というメカニックな名で表現した作品として論じられ、「懐疑的精神」という文言もみられるので、『狂つた一頁』に結びつけて「狂気のテーマ」と断定するのはスタンダードなものではないと思います。
  3. チェック 次に横光の『春は馬車に乗って』や『花園の思想』などにも『狂つた一頁』の影響(「強い関係性」)が見られるとの解説がなされていますが、映画的手法から細部のヒントを得たという見方も可能かと思われますが、『春は馬車に乗って』は横光が病床の妻の看病をしていた実体験に基づく小説で、少なくとも妻を看病する夫という設定は、『狂つた一頁』からの影響ではないですから、そこらへんの横光作品の予備知識がない読者には何か『狂つた一頁』があったから『春は馬車に乗って』ができたかのような誤解を生む可能性を秘めているように思います。なので「細部の設定や表現などに本作との強い関係性を見出すことができる。」という強い断定調の書き方ではなく、「細部の表現などに本作との関連を見出すことができる、という見解もある。」あるいは「……、と強い関連性を十重田は考察している。」とするのがいいのではないかと思います。
    また、冒頭部の「本作はその後の横光や川端の創作に影響を与えた。」というのも、横光や川端の多くの個別作品論を見ても、そういったことはなかなか見つけられず、やはりあまり一般論とは言えない、やや大げさな規定と思いますので、「本作はその後の横光や川端のいくつかの作品描写に影響を与えた側面もある。」とするのが、正確な書き方かと思われます。
  4. チェック 川端康成の『笑はぬ男』の内容の説明のところも、「その映画のラストシーンは狂人たちに笑いのお面をかぶせるというものだが、それは本作の面を付けるシーンから着想を得たものである。」とありますが、そもそもが『笑はぬ男』は川端が京都の撮影所での実体験を基にしており、川端自身(主人公の脚本家)が製作映画のラストシーンで笑いの面を狂人たちに付けるというアイデアを考え出したことや、その理由について語り、ラストシーンにふさわしい芸術的な古楽の面(能のお面)をスタッフに買いに行ってもらうことなどが語られている内容なので、ここでの『笑はぬ男』の解説の書き方は少し変な感じがするのが正直な感想です。『笑はぬ男』は『狂つた一頁』で自身が思いついたお面のアイデアのことを、芸術的な能面と醜い素顔の対比をめぐっての川端の想念と絡めて語っている作品で、お面を巡る思いは元々川端の中にあったものなので、最後のまとめ方はもう少し『笑はぬ男』の理解を正確に把握できる解説するべきかなと思います。ちなみに、記事内に「能面」という語が一つもなく、ただ「面」といってもピンとこない人もいるかもしれないので、映画でどんな面を使用したかも説明があると親切かと思います。
  5. 「テーマ」という節の記述を読むと、実際には作品に関するいろいろな解釈や研究が書かれているので、「テーマに関する解釈」あるいは「作品研究」の方がしっくりするような気がします。「テーマ」とするなら、さきほど『機械』で共通するとされた「狂気のテーマ」について、もっと言及されてもいいのではないかなと思われます。

とはいえ、全体的にみれば、この映画に関する様々な情報が網羅され、映画通と思われる石川太郎左ヱ門さんならではの力作だと思います。あと、もう一点少し気になったのは、よく見たら、川端のシナリオの文学テンプレートが省かれて「Portal:文学」が無くなってしまっていますが、一応は川端と横光が関わった文学作品でもあり、娘と青年の結婚を暗示するハッピーエンド(現実には叶わなかった伊藤初代との結婚の夢を重ねていると思われる)の川端のシナリオは、川端全集に収録されている文学作品でもあるので「Portal:文学」付けるのを容認していただけたらと思います(「Portal:文学」を補記させていただきました)。--みしまるもも会話) 2022年9月15日 (木) 04:46 (UTC) 補記--みしまるもも会話) 2022年9月15日 (木) 05:59 (UTC) 添削など--みしまるもも会話) 2022年9月15日 (木) 07:52 (UTC) 補記--みしまるもも会話) 2022年9月15日 (木) 12:17 (UTC) 修正済みにチェックチェック 印入れ--みしまるもも会話2022年9月17日 (土) 07:58 (UTC)[返信]

  • 賛成 :良質な記事の目安を満たしていると考え、賛成します。シナリオ節に書かれている「脚本がほんとうに完成するのは、映画ができてからである」という衣笠の考えが興味深いです。これは衣笠個人の制作姿勢のみが原因なのでしょうか。または当時の映画人や、映画制作環境の影響もあるのでしょうか。別記事の「衣笠貞之助」には、そのあたりのことは書かれていないので、判明したら注釈でよいので加筆くださると幸いです。--Moke会話2022年9月15日 (木) 08:26 (UTC)[返信]
  • 賛成  石川太郎左ヱ門さんがウィキブレイクに入ってしまったようなので(私のコメントがいけなかったのでしょうか……?)、昨日私がコメントした点の「『狂つた一頁』と新感覚派」項目内の節「その後の創作への影響」などの川端康成・横光利一作品に関する箇所を、私の方で調整いたしました(研究論の帰属化や、『笑はぬ男』の内容の修正など)。これらのところが改善されれば、賛成票を入れることにしておりましたので、映画に関する石川太郎左ヱ門さんの記事の質や見識の高さに何の異存もありません。また元気で石川太郎左ヱ門さんが記事執筆なさる日を祈っております。--みしまるもも会話) 2022年9月16日 (金) 07:46 (UTC) 補正--みしまるもも会話2022年9月16日 (金) 11:08 (UTC)[返信]

賛成のみ3票以上の状態が48時間継続のため、早期終了・通過。--Family27390会話2022年9月19日 (月) 15:01 (UTC)[返信]