Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/海士町 20180611

海士町 - ノート[編集]

選考終了日時:2018年6月25日 (月) 00:04 (UTC)

  • (自動推薦)2018年5月の月間強化記事賞受賞記事。--Trgbot会話2018年6月11日 (月) 00:04 (UTC)[返信]
  • コメント 文献が少ないと思われる中、かなりうまく加筆されており、日本語版ウィキペディアの市町村記事が全体に手薄な中では、かなり良くなっているものと思います。それでも、「気象」「人口」の節がデータだけなのは抵抗があります。データに加えて、全体的な傾向を簡単に説明できる文章を加えられないものでしょうか。独自研究を回避して説明するのは難しいところもあるかと思いますが。歴史解説のところで、1889年の町村制施行についてまったく触れられていないのは違和感があります。この時に日本の現行市町村制度が始まっているので、それ以前は制度が異なり、「1879年(明治12年)には豊田村と宇受賀村が連合して豊田村に戸長役場を置き、また布施村と太井村も連合して布施村に戸長役場を置いた。海士村・福井村・崎村・知々井村の4か村はそのままだった」から「1904年(明治37年)には8か村が合併して1郡1村の海士郡海士村となり」へはまっすぐにはつながらないはずなのです。1889年に制度が現行のものになった際に、再度村を設置するか何かの記述が必要だと思います。「歴代町村長」の表は、小谷琢五郎氏の2代目の就任日が初代の時と同じになっているので何らかのミスがあると思います。--Tam0031会話2018年6月13日 (水) 14:57 (UTC)[返信]
    • コメント 加筆者です。選考の通過にはあまりこだわらずに、今後も歴史節や経済節を加筆しようと思っています。Tam0031さん、コメントありがとうございます。離島ながら近年には人口が下げ止まっているという特色がある自治体ですので、人口節については文章を加えようと思います。島嶼町村制に言及がありますが、隠岐諸島では「1904年」という年が他自治体でいうところの「1889年」に相当するようで、この点についても文章で少しばかり説明しようと思います。小谷琢五郎氏の就任日は私のミスでした。--Asturio Cantabrio会話2018年6月13日 (水) 16:27 (UTC)[返信]
      • コメント なるほど、北海道や沖縄については通常の町村制が適用されていなかったことは聞いたことがありましたが、隠岐諸島も独特なのですね。それ自体を説明として追加する、で良いかと思います。通過にはこだわらないということですが、人口節などにもう少し補足があれば、賛成とさせていただきます。--Tam0031会話2018年6月14日 (木) 14:46 (UTC)[返信]
  • 賛成 書かれるべきことは書かれているように見え、自治体の記事として十分な品質であると思います。--TEN会話2018年6月20日 (水) 13:29 (UTC)[返信]
  • 賛成 地理学・地学の観点から見てみました。資料が少ない中、よく書いたと思います。隠岐世界ジオパークについて地質学・地学的にもう少し加筆の余地があるように感じましたが、それを考慮しても十分賛成に値する記事だと思いました。--特急東海会話2018年6月21日 (木) 14:56 (UTC)[返信]

賛成のみ3票の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--TEN会話2018年6月24日 (日) 14:52 (UTC)[返信]