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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/富山飛行場 20180411

富山飛行場 - ノート[編集]

選考終了日時:2018年4月25日 (水) 00:04 (UTC)2018年5月9日 (水) 00:04 (UTC)

  • (自動推薦)2018年3月の月間強化記事賞受賞記事。--Trgbot会話2018年4月11日 (水) 00:04 (UTC)[返信]
  • 賛成 歴史に関する記述が充実し、前回の選考で指摘された問題点は解消していると思います。この主題に対して十分に解説されていると考えます。ただ、以下のコメントにあるように、わかりにくい用語がところどころ見られます。おそらく古い資料にある表現をそのまま使用したものと思われますが、同じ意味の現代的な単語があるものはわかりやすい表現に書き換えた方が良いと思います。
§1.1 開場までの経緯
  • 「紆余曲折を経て最終的に婦負郡倉垣村に決定した」
建設予定地はもともとどんな土地だったのでしょうか。§1.6.「終戦後の富山飛行場」に「旧富山飛行場は再び水田へと戻り始めていったという」とあるので、やはり一面の水田地帯だったのでしょうか。
§ 1.3 国営飛行場として
  • 「1937年(昭和12年)7月14日にフォッカー・スーパー・ユニバーサル機が陸軍に徴用されたため、」
唐突に名前が出てきた「フォッカー・スーパー・ユニバーサル機」とは何のことでしょう。§3.「定期就航路線」を見れば日本航空輸送株式会社所有の旅客機のことであろうと推測できますが、そうであれば、「輸送機として使用されていたフォッカー・スーパー・ユニバーサル機が...」とした方がわかり易いと思います。
§1.5.5 空襲対策
  • 「飛行場内には多数の無蓋掩体が」
「無蓋掩体」とは何なのかまったく不明です。飛行機を隠す箱のようなものでしょうか。
§1.6 終戦後の富山飛行場
  • 「続いて同年10月2日に大蔵省から農林省に移管された」
なぜ運輸行政の運輸省に移管しなかったのでしょうか。それ以前に住民から農地として開拓したいという要請があって、最初から開拓地として分譲することに話が決まっていたのでしょうか。
  • 「に沽却した」
これも馴染みのない言葉です。「売却した」ではいけないのでしょうか。
§3 定期就航路線
飛行場から市街地までのアクセスはどうだったのでしょうか。飛行場から500 m ほどの場所に射水線富山飛行場前駅があったようですが、飛行機の利用客や職員などはそこを利用したのでしょうか。郵便物などもそこから運んだのでしょうか。それとも飛行場から直接富山市内に直行するバス路線があったのでしょうか。「到着後の交通手段として無料の送迎自動車も配備されていた」ということですが、この送迎自動車は飛行場とどこを連絡していたのでしょうか(あるいはタクシーのように乗客の希望するターミナルに行ってくれたのか)
  • 「前者の粁程は180粁、後者は260粁であり」
これはもう「前者の飛行距離は180キロメートル、後者は260キロメートルであり」とすべきでしょう。出典資料ではそう表記してあるのでしょうが、この部分の文脈では出典をそのまま引用する必要性はないのですから、距離の単位に「粁」はいただけません。
--Loasa会話2018年4月14日 (土) 10:20 (UTC) 2018-04-14[返信]
  • 賛成 同様に、よく書かれているものと思います。冒頭のテンプレート内で、所有者が陸軍→米軍となっていますが、米軍は接収しているだけで、所有権は日本側のままなのでは、という疑問があります。陸軍省解体時に大蔵省所管の国有財産となって、農水省に移管されて払い下げられたのかな、と想像しますがどうでしょうか。滑走路の幅が200メートルとか300メートルあるのは、現代の基準で見てもあまりに広大なのですが、こういうものなのでしょうか。成田空港の全長4000メートルの滑走路でも、幅は60メートルです。新潟-富山-大阪線や名古屋-富山線の廃止日もわかるなら書いてほしいです。富山飛行場利用の貨物量・郵便物量の統計のところが、単位がないので補ってほしいです。その下の東京 - 富山 - 大阪線の年度別貨物輸送数の表では単位瓲となっていますが。無蓋掩体について上で質問が出ていますが、掩体壕のことですね。無蓋だと上の屋根がついていなくて、周りだけ爆風を防ぐ土盛をしてあるものです。--Tam0031会話2018年4月17日 (火) 14:54 (UTC)[返信]
  • コメント 選考終了時点で賛成2票のため、選考期間が2週間自動延長となります。--Tam0031会話2018年4月25日 (水) 13:52 (UTC)[返信]
  • コメント 無蓋掩体についてはリダイレクトを作成し、掩体壕を少し編集し分かるようにしました。無蓋掩体自体は全国各地に残存しています。米や粁等をm, kmに修正しました。終戦直後に海軍機が飛来して機体を焼却した事件とありますが、これは軍の命令なので「事件」ではないと思います。--切干大根会話2018年4月25日 (水) 22:32 (UTC)[返信]
  • コメント 私事多忙につき返信が遅れており申し訳ありません。ご指摘をいただきました開場までの経緯等につきましては加筆しました。また、わかりにくい用語や文章につきましてご指摘及び修正をいただきました皆様ありがとうございます。富山飛行場が運輸省ではなくて農林省に移管された経緯につきましては、私もよくわかっておりません。ただ当時の日本におきまして日本人による飛行が禁止されておりましたこと、富山飛行場の土地を提供した農家等が国に対して土地の払い下げを要望していたことが関係しているのではないかと考えております。そのことを直接に示す出典がないのでなんとも申し上げることができず、申し訳ありません。また、新潟-富山-大阪線や名古屋-富山線の廃止日は共に不明です。--赤座会話2018年4月29日 (日) 15:50 (UTC)[返信]
  • 賛成 過去に存在した飛行場について丁寧な説明がされているものと思います。ただ、日本の航空史に触れている部分にて、主な出典が官報なのが若干気になりました。ここは、できれば後世の研究者やジャーナリスト等がまとめた文献を参照された方が、全体を包括できて良いように思います。もっとも私がわかる範囲では、おおむね適切な内容と判断しましたので賛成いたします。--Mogumin会話2018年5月3日 (木) 07:20 (UTC)[返信]
  • 賛成 終戦後に飛来した軍用機について修正をしました。軍の命令により朝鮮半島光州基地から引き揚げてきたのだと思います。--切干大根会話2018年5月4日 (金) 22:58 (UTC)[返信]

賛成票のみ3票以上の状態が48時間以上経過したため早期終了・通過となります。--Loasa会話2018年5月5日 (土) 12:05 (UTC)[返信]