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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/宮古島島民遭難事件 20111029

宮古島島民遭難事件 - ノート[編集]

選考終了日時:2011年11月12日(土) 00:59 (UTC)

  • (推薦)自薦です。以前落選しましたが、文章を推敲し内容を改善しました。--Ichiro Kikuchi 2011年10月29日 (土) 00:59 (UTC)[返信]
  • コメント 今日、たまたま都心の図書館にいたので、この記事を一部(2割弱程度)検証しました。全体のうち、2割程度しか検証していないのですが、これだけ感想があります。
    • (1)まず、「事件の背景」節、中段「この二重体制の象徴は(中略)冊封使もここを出入りした。」には出典がありません。# ^ 『宮古風土記』仲宗根将二 ひるぎ社 1982, p204,246にはこの記述のことはありません。
    • (2)同じく「事件の背景」節、後段 「琉球王国は、先島に対してはこれを転嫁して人頭税を課税したのであった。」『宮古風土記』仲宗根将二 ひるぎ社 1982, p202-203 によると人頭税は宮古・八重山にだけかけたとあります。この表現はどうなのでしょう?
    • (3) 出典の[7} ^ 【『宮古島民台湾遭難事件』 宮国文雄 1998 那覇出版社 第1章から第6章、第7章資料編が詳しい。表表紙に楊の写真がある】ですが、第1章から第6章、第7章資料編はこの本丸々1冊400ページすべてです。これでは検証が困難です。
    • (4)「首狩りの意義と頭蓋骨の行方」節、「例えば、狩りとった首の多さ(中略)白骨の髑髏になっても晒したという。」という文章は丸写しでこそ無いですが、表現・形容など創作的な表現が出典の記述そのままです。出典の丸写しでなくとも創作的な表現をそのまま使用するのは著作権的にいかがなものでしょう。出典の創作的な表現をそのまま使っているのは他の部分にもみられます。多少は仕方ないですが(少しならば私もしています)、しかし、あまりに多いようです。出典を飲み込み、その意図は変更せずに、創作性のある表現はそのままでは使わず、Ichiro Kikuchiさんの表現に直したほうが良いと思います(全部とは言いませんが)。--ぱたごん 2011年10月29日 (土) 09:53 (UTC)[返信]
    • コメント早速コメント有難うございます。(1)の文献を探してみます。色々本を読みすぎたので、どこからとったのかわからなくなってしまいました。または、表現を変えるか削除します。l(2)に関しては、勘違いで、高等学校 琉球沖縄史の文献を追加します。久米島も検地をしています。そちらの方の検地は、調べてみますが、時間がないと思われますので、ぼかした表現(または、削除)したいと思います。(3)については、小生の感想の表現で、これは不適当でした。訂正します。しかし、楊の写真のことは、いくら探しても外にないので、コメントはいいと思います。コメントに従い訂正してみます。--Ichiro Kikuchi 2011年10月29日 (土) 18:11 (UTC)[返信]
    • コメントWikipedia首里城では「正殿の前には、家臣らが謁見したり中国からの冊封使を迎え入れたりするための御庭(うなー)と呼ばれる広場が設けられている。それを取り囲むように行政施設である北殿、儀礼などに用いられた南殿、御庭への入り口となり行政施設も入っていた奉神門が建てられている。さらにそれを各種の門・城壁が取り囲む形になっている。(中略)南殿は薩摩藩の接待のため使われたので、ここのみ和風の意匠が用いられていた、とあります。--Ichiro Kikuchi 2011年10月29日 (土) 20:55 (UTC)[返信]
  • 反対 Wikipedia:秀逸な記事の選考/宮古島島民遭難事件で指摘した事項の内容面以前に形式面の改善がまったくされていない。FA選考時に、和文献の書き方について指摘していますが、改善されたとは思えませんTemplate:Cite bookTemplate:Cite JournalTemplate:Cite Webを用いて書式の統一をしてください。正直言って改善無き状況で、同じことを何回も言うのはかなわんのです。
  1. 加えて言うならば、脚注に書誌情報はいりません。逆に言うならば書誌情報を付けるならばすべてに付してください。脚注には人名(YYYY)pp.xx-xx(単数ならばp.x)で十分です。page(s)の短縮系ですので「.(ピリオド)」は必須です(英和辞典を見てください)。英語表記が嫌ならば頁と漢字で書いてください。2011年10月29日 (土) 23:25 版を元にすると(例)×『宮古風土記』仲宗根将二 ひるぎ社 1982, p246→仲宗根(1982)p.246です。『子爵谷干城伝』には著者がなく、『宮古島民台湾遭難事件』には著者があったりなかったり見ていて見苦しいです。
  2. また、論文が引用元ならば、参考文献に使うのは「 」、書籍ならば『 』です。外部リンク扱いにしている里井(2006)、波平(2009)は参考文献節です。
  3. 『平良市史 第1巻通史編 1』等には編者がいるはずです。著者名はその編者になるのは基本中の基本です。
  4. 参考文献節は著者名50音順で並べ替えてください。書いていないから後で文句を言われても困るので先に書いておきます。と言うより書かれてなくても自分でそのくらいは気付くべきです。
  5. 半角括弧、全角括弧の使用法がぐちゃぐちゃで見苦しい。( ・・・)、(・・・)と双方が違う括弧は見ていていおかしいと思わないのでしょうか?
  6. Help:脚注に書いてあるとおり、・・・。の形式にするのが正しいので改善されていない点はすべて直してください。
  7. 追加:現地人に太字はいりません。不要です。
中身以前の問題でとやかく言われるのは、今までのFA選考などを読んでまともに対応していないと思われても仕方ありません。以前の選考の指摘などおよび、自分で現在の版を印刷して朱筆を入れて修正してください。--Wushi 2011年10月30日 (日) 01:34 (UTC)--(追加)Wushi 2011年10月30日 (日) 01:35 (UTC)[返信]
  • 反対 過去の査読依頼、選考で指摘された問題が十分に解決しておらず、GAの基準は満たしません。
文献情報についてはすでにWushiさんのコメントがありますので省略しますが、脚注は「ほげほげである<ref>文献情報</ref>。」のかたちにするべきだと何度も指摘されているはずです。
すでに指摘したことですが、「蕃社」「蕃人」「生蕃」等の用語には初出時に簡単にでも説明をつけるべきです。もしこれらが同義語であるなら、文献からの逐語的引用の箇所を除いて統一するべきです。
「宮古島のドイツ商船遭難事件との比較」節ですが、単に対照的であったとするだけなら不要です。その比較から、この事件の何がわかるのか。文献に基づいて書いてください。
「先住民側の見解」節冒頭に2つの脚注がありますが、これがどの記述の出典なのか不明です。
「救助者のプロフィール」はもっと簡潔でよいでしょう。独立節にする必要性も疑問です。各人物の初出時に簡単な説明をするほうが読者に親切です。子孫の情報は、この事件と直接に関係しない限り不要です。--Trca 2011年11月7日 (月) 22:27 (UTC)[返信]

反対票のみ3票の状態が48時間継続のため、早期終了・通過せずとなります。--ぱたごん 2011年11月10日 (木) 13:00 (UTC)[返信]