Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/二階堂トクヨ 20190812

二階堂トクヨ - ノート[編集]

選考終了日時:2019年8月25日 (日) 17:07 (UTC)2019年9月8日 (日) 17:07 (UTC)

  • (自動推薦)2019年7月の月間強化記事賞受賞記事。--Trgbot会話2019年8月11日 (日) 17:07 (UTC)[返信]
  • 賛成 いだてんで二階堂トクヨを知った口ですが、経歴、人物像など一通りの記載が典拠付きでなされており、良質な記事に値するものと思います。なお現在スタブが付いていますが、これは除去しても良いんじゃないかと思います。--Iso10970会話2019年8月16日 (金) 05:14 (UTC)[返信]
  • コメント 良質な記事としての外形的な評価ポイント (出典や独自研究など) は手堅く押さえてあって問題が見当たらなかったため、月間強化賞で当記事に投票いたしました。さすがベテラン執筆者さんだなと感心しました。しかし、どうしてもGAに強く推薦するには物足りないと感じます。「女子体育の母」と評される人物ですから、その教育内容の特徴、実績、および背景にある教育哲学をまずはしっかり描くべきではないでしょうか。ところが、第1章の「#経歴」よりも第2章の「#人物」の方がウェイトが高くなっていて、しかも人物評が必ずしも教育内容・哲学の説明に結びついておらず、トリビア的になっているのが残念です。したがって、選考目安1点目「トピックがある程度網羅され」を十分に満たしているとは感じられませんでした。具体的に気になった点は以下の通りです。
  1. #体操教師への覚醒(1904-1912)」でスウェーデン体操やドイツ体操を習ったとのことですが、どのようなものなのか説明がありません。従来型の体操と比べて何が優れていたのか言及がないので、なぜ「トクヨの体操に魅了され」る教え子が出てきたのか分かりませんでした。
  2. #英国留学(1912-1915)」で「家庭競技」だけは「興味ある室内ゲームだ」と高評価を得たとありますが、これも家庭競技が何なのか説明がないため、英国で評価された理由が分かりません。
  3. 導入節で「クリケットとホッケーを日本に初めて紹介した」と太字表記されていますが、本文での扱いは非常に軽いです。一方「女子体育の母」も太字表記されていますが、こちらは日本女子体育大学の前身を創設した際の苦労などが細かく記述があり、太字である必要性が分かります。クリケットとホッケーについて加筆するか、導入節の太字をやめるかした方が良いでしょう。
  4. #二階堂体操塾の創立(1922-1926)」で「塾創設時のトクヨはアスリートを育成する気は毛頭なかったが、絹枝と出会って女子体育の発展にアスリート養成が不可欠との認識に至った」とありますが、2つの理由からいまいち理解できませんでした。まず、そもそも創設時にアスリートではなく、何を育成したいと思っていたのか記述が不十分です。次に、逸材である人見絹枝が入学してきて二階堂トクヨは考えを改めたのか、それとも人見絹枝が後にオリンピックで活躍してから (社会の反応を見てから) 改めたのかが分からず、「絹枝と出会って」がいつを指しているのか曖昧です。「#人物」節で絹枝との関係性が書かれていますが、このパートを読んでも曖昧さが解消されませんでした。
  5. 1923年 (関東大震災のあった年) には定員の2倍以上を抱える盛況だったのに、1926年には130名、翌年には70名、その後も40-50名と減った理由が曖昧です。学校経営が専制的であり、また社会が戦争に向かうのに合わせ、国粋主義に女子体育を利用していた風なことが書かれていますが、これが入学者数減とどう結びついているのか、記述が曖昧です。たとえばトクヨの専制的・国粋主義的な態度に嫌気がさして教師が辞めていって、学生や親からの評判を落とした、などが書かれていないと、因果関係が立証できません。このあたりは、「日本の歴史#大正時代」や「日本の歴史#昭和時代」など内部リンクも活用しながら、世相をうまく取り入れないと改稿には厳しいかもしれません。私の勝手な想像ですが、この時期は日本だけでなく世界的に景気が悪化したので、女子に体育を学ばせようとする財力が親たちになくなったのが定員割れの原因ではないかと。
  6. #人物」節を読むと、人柄がヒシヒシと伝わってくるもののトリビア的であり、二階堂トクヨの教育哲学の形成に対人関係がどのように影響したのかが不十分に感じました。たとえば、永井など先駆者との対立の根本理由が分かりづらい。第1章の「#経歴」で、スポーツのメソッドに関するメイン記述が甘いので、留学の出港に見送りに来てくれたネタなどがトリビアに感じられるのだと思います。あと、対人関係の1番目に有名人の高村智恵子を記述したくなる気持ちは分からなくもないですが、二階堂トクヨの女子体育教育に影響を強く与えたわけではないので、記述順も違和感を覚えます。以上です。--ProfessorPine会話2019年8月19日 (月) 10:14 (UTC)[返信]
  • コメント 主要な加筆を行った者です。ProfessorPineさんのご指摘の通り、本記事は教育者たる二階堂トクヨを主題としながら、その教育理論や指導の実際などについてはほとんど触れていません。実は日本女子体育専門学校(現状は日本女子体育大学へのリダイレクト)の独立記事化の作業を鋭意進めている最中で、その記事で教育理論などについて詳述し、記事が完成した後に内容を要約したものを本記事に反映しようと考えていたところです。そういう意味で本記事には「スタブ」テンプレートを貼付しています。以下、ご指摘の点について、直しやすいところだけ直しました。
  1. トクヨが習った体操は純粋なスウェーデン体操+ドイツ体操だったわけではなく、ミス・モルガンなりのアレンジを加えた体操でした。具体的な内容は出典元にもトクヨの著書にも記述がないのですが、「必要な器具を身近なもので代用する」という話があったので、それを書きました。トクヨの体操に魅了された理由は注釈に入れましたが、要するに、スウェーデン体操という当時最新の体操を授業に取り入れたことと、トクヨ自身の持つ魅力だと言える、とのことでした。
  2. 家庭競技の説明を追加しました。出典元には名前しか書いてなかったので、ウェブ出典により、どんなものかごく簡単に説明を加えました。要するに「子供の遊び」ですね。ほかのテストではまともに返答できなかった中で、唯一答えられたのが家庭競技であり、イギリスにはないものをトクヨが答えたため高評価を得たようです。
  3. クリケットとホッケーは、これ以上出典元には記述がないので、残念ながら加筆できません。太字化したのは私ではない編集者の方で、私自身太字にこだわりがあるわけではないため、除去しました。
  4. 卒業生が体育教師になったことは書いてあるので、これで分かるかと思っていましたが、分かりづらいということで、「女子体育の研究機関と女子体育家(≒女性体操教師)の養成機関を兼ねた塾」という1文を入れました。いつ考えを改めたかについては、人見絹枝のセクションで「トクヨの方も岡山県から絹枝に陸上競技大会への出場要請が来たことで」と明記しています。なぜこの時に考え方を改めたのか、までは不明です。絹枝自身、県からの出場要請をトクヨに伝えるかどうかひどく悩んだ(伝えたらトクヨに怒られるのではないかと思っていた)そうですが、いざ伝えてみるとあっさりOKされて拍子抜けしたというエピソードがあります。
  5. 定員割れの理由の考察は出典元にはありません。私の推測では、塾から専門学校への昇格に際して1年制から3年制に変更した(まだ本文には書いていません)ことが原因ではなかろうかと思います。塾時代の売りは「3年で教える内容を1年で叩き込む」だったので、売りが失われたのだろうと推測します。「学校経営が専制的」以降は定員割れの話とは(本質的には関わっているのかもしれませんが、出典元にそういう記述はないので)無関係です。段落を分けて違う話だと示したつもりです。このあたりの記述は日本女子体育専門学校の独立記事化が終わってから修正を加えようと思っています。
  6. 対人関係がトリビア的というご指摘はごもっともでして、「トクヨの人生にこう影響を与えた」という視点ではなく「同時代の人とトクヨはどういう関係にあったか」という視点で書いたことが原因だと思います。出典元では時系列で書かれているので、同じ人物がぶつ切りに登場して分かりにくいと思ったので、1人の人物とトクヨの関係を1か所で説明しようとしたのがこのセクションになります。永井道明との対立は今の記述以上は出典元にありません。本文中にあるように、ちょっとしたすれ違いがだんだん大きくなっていったということだと思います。(当事者である永井道明が何も書き残していないことも真相がつかめない大きな要因です。)それから、人物の並び順は、トクヨと出会ったのが早い順です。対人関係の冒頭にその旨追記しました。智恵子との関わりは意外性があって面白いですが、そういう意図で1番に持ってきたわけではありません。「トクヨへの影響度の大きい順」に並べたほうが有益かもしれませんが、「1番影響を与えたのはオスターバーグ」以外に出典が付けられるものはないので、独自研究にしないためにも、このままでいいかと思います。--Miyuki Meinaka会話2019年8月20日 (火) 17:33 (UTC)[返信]
  • ご回答・修正頂きありがとうございます。修正箇所を確認しましたが、少し加筆するだけで随分分かりやすくなるものですね。勉強になりました。もし「日本女子体育専門学校」のリダイレクト起こし作業が数日内に終わらず、「教育理論と指導の実際」を二階堂トクヨの記事にすぐに反映できなさそうであれば、残念ですがいったん二階堂トクヨの選考は見送りにして、先にリダイレクト起こしに専念頂くのがベターなのかなと思います。特に教育理論については、英語版を読むと「スウェーデン体操」と「ドイツ体操」(現在は体操に節リダイレクト中) で派閥化して争った形跡が日本国外でもあるので (en: Battle of the Systems)、スウェーデン体操推進派の永井と国粋主義的なトクヨの根本的な対立も、このような根深い思想の違いに起因するのかな、なんて仮説が浮かんできました。となると、今まで使っていた伝記系の文献ではなく、教育理論系の文献を押さえる必要が出てくるので、時間がかかりそうな印象です。GA選考の期間延長制度を使うかは、Miyuki Meinakaさんのご判断にお任せします。--ProfessorPine会話2019年8月21日 (水) 10:10 (UTC)[返信]
  • 賛成 確かに背景にある教育哲学がはっきりしないという面はあるのかもしれませんが、良質な記事の段階でそこまで厳しく求めても仕方ないかなと思います。やはりスタブテンプレートは外してしまって良いと思います。--Tam0031会話2019年8月21日 (水) 14:34 (UTC)[返信]
  • コメント 選考期間終了時点で賛成のみ2票のため、選考期間が2週間自動延長となります。--Tam0031会話2019年8月27日 (火) 14:18 (UTC)[返信]
  • 賛成 質、量ともに基準をクリアしていると考えます。--Hanabishi会話2019年8月28日 (水) 07:39 (UTC)[返信]
  • 二階堂トクヨの最も核心部分が欠如している、と以前指摘させて頂きましたが、その後の加筆で十分に課題はクリアしたと思います。良質な記事の選考基準は満たしていると感じますので、 賛成 確定票を投じます。以下は (秀逸な記事選考も見据えた) 今後の編集ポイントとして、コメント残させて頂きます。既にMiyuki Meinakaさんご自身が自覚しておられるかもしれませんので、釈迦に説法のような気もしますが。
  1. 日本女子体育専門学校」のリダイレクト起こしを進めておられるとのことなので、こちらが終わってからで構いません。あくまでトクヨが「個人」として関与した内容は二階堂トクヨのページに残しつつ、トクヨの所属した「組織」の運営問題は、日本女子体育専門学校に移植すべきであり、一部転記を行った方が良いと思われる箇所があります。
  2. 体育の前世代の人・永井との対立点は、今回の加筆で明確になりました。となると、トクヨが影響を与えた後世の人・戸倉ハルらとの対比も欲しいです。そもそも戸倉ハルの記事が単独立項されていないようなので、対応に時間がかかるかもしれませんが。前との比較はトクヨの活躍・偉業を示すものであり、一方の後ろとの比較はトクヨの教育論の問題点・限界を示すものです。そして、トクヨの教育論が現代にどこまで残って活用されているのか、にもつながる論点です。
  3. この1週間の加筆の多くが、西村氏の著作への依存度が高いのが少し気になります。良質な記事の基準である「検証可能な信頼できる情報源」は満たしているものの、より高みを目指すならば、別の著者の出典補強があった方がいいかもしれません。特に人物伝の場合、著者が歴史人物に肩入れして誇大な記述になりがちなので、複数著者によるバランス視点が求められると思います。以上です。日本女子体育専門学校の記事も楽しみにしています。--ProfessorPine会話2019年8月29日 (木) 03:15 (UTC)[返信]

賛成のみ3票以上の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031会話2019年8月30日 (金) 13:30 (UTC)[返信]