コンテンツにスキップ

Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ワーテルローの戦い 20121012

ワーテルローの戦い - ノート[編集]

選考終了日時:2012年10月26日 (金) 10:34 (UTC)

  • (推薦)2012年9月の月間強化記事賞にエントリーした記事です。戦いそのものについてだけでなく、戦前および戦後の経緯にも言及しつつ、詳細に記述がされており、検証可能性も概ね高く、良質な記事の目安を満たしているように思います。
  • 賛成 ただし主要将帥の肖像画を記事の中ほどに載せる必要があるのかということや、地図をもう少し小さく、左右いずれかに寄せて配置してもいいのではないか、「作品」節については若干の整理が必要ではないか(例えばアニメ『ヤッターマン』に言及する必要があるのか)といったことも感じますので、可能であれば手入れをお願いします。--Pastern会話2012年10月12日 (金) 10:34 (UTC)[返信]
    • コメント:地図に関しては戦略地図はナポレオンの置かれた戦略状況を視覚的に把握するのに適当と思い作成しました。あれ以上、小さくすると部隊名が重ねってしまいます。会戦の地図画像を日本語化することも考えたのですが、ペイントしかなく、これで試してみてもわたしの技術的にも無理と判断して日本語を上からかぶせることにしました。これもこれ以上小さくすると中央部あたりの文字が重なってしまいます。戦場の地図については文中にベルギーのなじみのない地方の地名が頻出し、地名の位置関係を日本語で用意しないと訳が分からずに読む進むことになります。外国の歴史ものを読むときに途中でどこで誰が何をやってるのか把握できなくなるのが、挫折する大きな要因のひとつだと思います。作戦地図は文字が近すぎてこの手法では無理でやむなく英語のままにしました。
わたしとしては必要な地図は記事中で見で把握するべきで、画像をクリックしてコモンズのページを別に開いておけというのは(わたしを含めて)実際の読者はなかなかやってくれず、現実的ではないと考えます。現状の歴史ものの記事で使用されている地図の多くが地名や部隊の位置関係を把握する役目を果たさず単なる記事の飾りになっているのではないかという印象を持っていました。
戦闘序列と将軍の肖像については、これを踏まえたうえで会戦へとを読み進めるのが筋と思い、真ん中あたりになりました。ただ、この点はこだわりませんので複数の方からご指摘があれば付録的な位置の下に持ってゆきます。
作品のヤッターマンについては加筆前からあったもので…異質に感じて削っちゃおうかと少し悩んだのですが、一応この回はワーテルローの戦いのパロディで主題ではあったので残せるなら残した方がいいかなと思って、ばっさり削る決断ができませんでした…複数の方から指摘があればわたしの方で削っておきます。--野島崎沖会話2012年10月12日 (金) 13:16 (UTC)[返信]
  • 賛成 読みました。
  • 肖像画を並べられても記事の理解に役立っていないように感じますし、「古戦場」節の写真ギャラリーも個別に説明があるわけでなく、文章からは何故掲載しているのかわからないものもあるなど、画像が効果的に使用されておらず、使用も過剰に思います。
  • どうすべきかというガイドが見つけきれなかったので、具体的なアドバイスはできないのですが、「カトル・ブラの戦い(英語版)」「大砲列(grande batterie)」「コペンハーゲン号 (en) 」など他言語版へのリンクの貼り方が不統一でした。
  • 「作品」節は映像、音楽、文学等ジャンル別にもう一段節を分けて整理しても良いかもしれません。また、作品とは別に主題に対する研究史的な話題について触れることが可能であれば、追加を検討頂ければと思いました。
若干細部に入りすぎている感はありますが、全体的に高い水準で記載されており、読み応えのある記事に仕上がっていると思います。構成面での深刻な問題も見受けられませんので、良質な記事への選出に賛成します。--ayasesaya会話2012年10月20日 (土) 16:41 (UTC)[返信]
  • 賛成 戦いの様子がよく描かれていて、戦いに至る背景や戦後処理などもきちんと説明されており、良質な記事の水準に達していると考えます。写真/肖像の多数の貼付は私はさほど問題に感じませんでした。ヤッターマンを取り上げるかどうかですが、出典があれば取り上げてよいでしょう。見ればこの戦いのパロディであることは明らかなのかもしれませんが、それは独自研究ですので、どうしても出典が必要かと。地図はこの戦いを理解する上で重要なのですが、多くの部隊の機動が1枚の地図の上に描かれても非常に理解しづらいので、時系列にいくつかの地図に分けて、「○○部隊の突撃まで」みたいな感じで本文と照らし合わせる位置に貼っていくと理解しやすいと思います。完全に日本語化できればなおよいですね。「英蘭連合軍」の説明で、オランダ人とベルギー人とありますが、この時代ベルギーはまだ独立していないはずですけど、ベルギー人がオランダ人と別という認識はあったのでしょうか。ハノーファー、ブラウンシュヴァイク、ナッサウはドイツ諸邦ですがイギリスの正規兵なのでしょうか。ハノーファー国王は確かイギリスの国王と同一だったとは思うのですが。--Tam0031会話2012年10月25日 (木) 15:41 (UTC)[返信]
    • コメントヤッターマンについてはWOWOWの当該回のページに簡単なあらすじがあったので出典にしておきます。「ベルギー人」の表記は英語版にあり、参考文献にも散見されました。もともと現在のベルギーの地域はハプスブルク家領で革命戦争とナポレオン体制下ではフランス領、ウィーン会議でオランダに編入されており、オランダ語系のフラマン人の部隊なのかフランス語系のワロン人の部隊なのか、民族ごとに部隊は別けていないのか不明で、ここでは単純に現在のベルギーに相当する新規編入領土の住民の部隊と考えるべきかと。より詳しい参考文献の戦闘序列を見るとドイツ諸邦の部隊は旅団とか連隊・大隊単位でイギリス軍の軍団や師団の編制に組み込まれておりますが、別にイギリスの正規軍というわけではなく同盟軍です。--野島崎沖会話2012年10月26日 (金) 08:40 (UTC)[返信]
  • コメント いくつかの部分について修正あるいは確認があります。#フランス軍の、「馬術も不十分だった[27]。この戦いのフランス軍は14個胸甲騎兵連隊、7個槍騎兵連隊からなっていた。」の部分ですが、フランス軍騎兵は14個・・・などのようにした方が良いかなと思いますがいかがでしょうか。#戦闘準備にある「(プロイセン軍)彼らは戦場からはるか西方に位置しており」は、ワーヴルと戦場との位置関係からはるか東方の誤りかと思います。#皇帝近衛隊の突撃にあるフランス軍第二派、第三派は、第二波、第三波かなとも思いましたが、第二派、第三派の方が適切なのでしょうか。--Tiyoringo会話2012年10月26日 (金) 12:41 (UTC)[返信]

選考終了時点で賛成3票のため、通過となります。--Tam0031会話2012年10月26日 (金) 14:40 (UTC)[返信]