Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ソコト帝国 20210826

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選考終了日時:2021年9月9日 (木) 11:11 (UTC)

  • (推薦)自薦。19世紀に誕生した西アフリカのイスラーム王朝の記事です。歴史のほか、社会や経済、文化などの記述はブラックアフリカに存在した歴史的国家の記事としてはかなり詳細だと考えるので自薦します。--Takenari Higuchi会話2021年8月26日 (木) 11:11 (UTC)[返信]
  • 賛成 :推薦者票。--Takenari Higuchi会話2021年8月26日 (木) 11:11 (UTC)[返信]
  • コメント:多数の言語版がある記事に、詳しい出典をつけて加筆してくださり感謝します。私は最近サハラ交易を加筆していたので参考になりました。気になった点として、宗教節に加筆が必要だと考えます。イスラーム勢力圏内の宗派や集団について、この時代はどのようになっているのでしょうか。赤阪(1975)を読んでいて、ティジャニーヤやカーディリーヤなどが気になりました。宗教節が加筆されれば賛成します。
以下は、そのほか気がついた点です。必須ではありません。
  1. 苅谷 (2017) によると、ジハードによる建国が現代の問題にもつながっているようにも読めました。もし現代のイスラームとの関連があるなら、それについての説明があればさらによいと考えました。
  2. 衣服節の裸族文化のあたりは、エジプトもアフリカに含まれるので、西アフリカやサブサハラなど地域を限定するとよいかと思いました。
  3. 言語節は、話し言葉としてフラニ語やハウサ語が中心で、書き言葉はアラビア語という理解でよいでしょうか。
  4. 地理的な特徴や人口は分かるでしょうか。人口は記録がなさそうな気がするので、もし見つかればで結構です。民族構成はフルベ人が中心だと理解していますが、他に特筆すべき集団があればお願いします。--Moke会話2021年8月26日 (木) 20:00 (UTC)[返信]
  • 返信 :ありがとうございます。まず、宗教節についてですが、カリフ/スルターンがカーディリーヤを信仰していたというのは間違いないですが、住民がどのような教派を信仰していたのかは分からないとしか言いようがないです。カーディリーヤが18世紀以降に西アフリカで勢力を伸ばしていたという文献もありますが、決してソコト帝国とは書かれておらず、分からずじまいというかたちです。ティジャニーヤについてはトゥクロール帝国の建国者ウマルが信仰していたようですが、ティジャニーヤとソコト帝国との繋がりは見つかりませんでした。
  1. 苅谷 (2017) の書き方は恐らくイスラーム用語一般としての「ジハード」における背教規定はムハンマド時代から現代まであるという話であり、ウスマンのジハードによる建国が現代の問題につながっているわけではないと考えます。苅谷 (2016) p.7には「ウスマンの思想が現代の過激派の行動原理とつながっているわけではない。」ともあります。
  2. 嶋田 (2010) には「黒アフリカ」とあったため「ブラック・アフリカ」をリンクさせました。
  3. 話し言葉についてはその通りです。書き言葉については学問節に加筆しました。アラビア語のほか、フルベ語やハウサ語をアラビア文字で表記していたようです。
  4. 仰る通り人口は恐らく記録されておらず、人口を示した資料はありませんでした。地理的特徴については地理節を、民族構成については民族節を追加しました。--Takenari Higuchi会話2021年8月27日 (金) 11:13 (UTC)[返信]
賛成 :宗教節について加筆をありがとうございました。支配者層と住民では異なっていた可能性があるということで理解しました。資料が少ないので難しいところなのかもしれません。賛成します。--Moke会話2021年8月27日 (金) 15:33 (UTC)[返信]
返信 他の部分についても加筆をありがとうございました。--Moke会話2021年8月27日 (金) 17:07 (UTC)[返信]
コメント 基本的にGA選出に賛成なのですが、少しだけわからないところがありましたのでコメントします。
  1. 宗教節「ニジェール川の中流域では他の地域に比べてイスラーム化が進んでいなかった」、詩・音楽節「他の地域に比べイスラーム化が進まなかったニジェール中流域では恋愛歌や享楽的な詩が保たれた」とあります。しかし、ニジェール川中流域は、ふつう、ニジェール川流域で最も早くからイスラームを受容した地域と言われており、赤阪 (1975) や嶋田 (1985) にも最初の方でそう書いてあります。典拠の江口 (1985) p78 を参照すると「強いイスラム化にさらされなかったニジェール中流域の人々」と書いてあります。ここでいう「強いイスラム化」は、フルベのジハードというイスラーム改革運動でしょう。「強い」を抜かすとニジェール川中流域全体が他の地域よりイスラームの受容が遅れたという意味になるので、読んでいてなんだかおかしいなという感想を持ちます。
  2. 政府・行政節。amir, emirate をそれぞれ「首長」「首長国」と訳すことについて気になる人と気にならない人がいると思いますが,私は非常に気になります。赤阪 (1975) では pp39-41 フラニ「帝国」の領域構造の節で、「帝国」-エミレート-属国の三層構造を示し、amir を安易に訳すことを避け「エミール」と音転写することによって、「主なリネェジ長」である「首長」と区別しています。emirate についても同様、「エミレート」と音転写しています。これに対し嶋田 (1985) は emirate =首長国というスタンスで、ソコト帝国-首長国-副首長国としています(p275)。刈谷 (2017) には「アミール(amīr,首長,指揮官)」という記載があります(p39 の脚注)。しかし、「首長」というと文化人類学でいう chief や big man の訳語として定着していると、私は思うのです。それに、アミールに「首長」の訳語をあてるとあたかもアミールが血縁原理によって権威が受け継がれるものという思い込みが読者に生じます(そのようなケースが多数ありますが、建前はそうではない。建前がそうではないことが結構重要。)。amir が文化人類学で言う chief や big man と混同されることを避けるため、私は、赤阪 (1975) のように訳語を注意深く選ぶほうがいいと考えます。なお、赤阪 (1975) と嶋田 (1985) は、それぞれが提示している領域構造そのものには齟齬がなく、同じだと思いますので、これは訳語だけの問題。
  3. 上に付随して、「帝国」の領域構造の記載に齟齬があるようです。「ソコト帝国はスルターンを頂点として各地にエミール(首長、または藩王)を配置する体制を取っていた(島田 (2019) p22)」の記載は下線部がこれであっているか、ご確認ください。嶋田 (1985) と刈谷 (2017) では amir =首長ですが、嶋田 (1985) p275には emirate に服属する属国を「藩」と呼ぶ先行研究があるよと書いています。--ねをなふみそね会話2021年8月27日 (金) 10:22 (UTC)[返信]
  • 返信 :ありがとうございます。宗教節についてですが、江口 (1985) を読み返すと確かにそのように書いてあったので修正しました。政府・行政節についてですが、なかなか難しいですね。仰る通り、研究者によって用語の使い方がバッサリと別れているのでどうしたものかという感じですが、とりあえずは現役でソコト帝国研究をしている苅谷のものに合わせようと考えます。領域構造の記載についてですが、手元に島田 (2019) がないため、確認は明日以降、もしかしたら土日を挟むかもしれません。申し訳ございません。--Takenari Higuchi会話2021年8月27日 (金) 11:13 (UTC)[返信]
  • ざっと苅谷の著作を確認しましたが、エミールはアミールに置き換えるとして、emirateにあたる言葉は一度も出てきてないようなのでこれを苅谷の表記によるというのは厳しそうです。なので首長国という項もあることですし、首長国という表記についてはこのままにしようと考えています。いかがでしょうか。--Takenari Higuchi会話2021年8月27日 (金) 11:53 (UTC)[返信]
  • 提案 :Takenari Higuchiさんに提案です。島田 (2019) p22の部分は、本日の夜でもよければこちらで確認して書けますが、いかがしましょう?--Moke会話2021年8月28日 (土) 04:25 (UTC)[返信]
  • 返信 (Takenari Higuchiさん宛) 了解です。--Moke会話2021年8月28日 (土) 05:19 (UTC)[返信]
  • 返信 (Takenari Higuchiさん宛) 島田 (2019) p22を確認しました。該当すると思われる部分を引用します。「ダン・フォディオは一八〇八年にユンファを打ち破りイスラーム藩王国を樹立した。ここで藩王国と呼ぶのは、この国が、政治的統治者スルタン(彼は宗教的指導者カリフでもある)を頂点として各地にエミール(藩王または藩主)を配置する体制をとる王国だったためである。(中略)一八一〇年までにほとんどのハウサ王国がイスラーム藩王国となった。かつてのボルヌの領域も藩王国となった。」 他にも島田 (2019) の内容で確認したい点があれば、ご連絡ください。--Moke会話2021年8月28日 (土) 13:04 (UTC)[返信]
  • 島田 (2019) のp24にも、関連しそうな記述があるので引用します。「やがてソコトを首都とする国はソコト藩王国と呼ばれるようになり、ベロは正統な宗教指導者カリフとなりかつソコト藩王国のスルタンとなった。」 ベロは、ダン・フォディオの息子ムハッメド・ベロです。--Moke会話2021年8月28日 (土) 13:30 (UTC)[返信]
  • 返信 (ねをなふみそねさん宛) :Mokeさんのご厚意で、ねをなふみそねさんが確認を依頼されていた部分の確認は完了しました。この他ねをなふみそねさんが挙げていらっしゃった疑問点はそれぞれ、アミール/エミール/首長/藩王はアミールに統一し、emirateはWikipedia日本語版において首長国という記事名となっていることから首長国のままとし、首長国の属国については「藩」や「副首長国」という呼称もあるという注釈を追加したことであらかた解決できたと考えます。いかがでしょうか。--Takenari Higuchi会話2021年8月29日 (日) 12:56 (UTC)[返信]
    返信 (Takenari Higuchiさん宛) 再度読み返すと、ところどころ引っかかるところがありました。
    1. 私も島田 (2019) の記述を確認しました。嶋田 (1985)p274 によれば、日野舜也『アフリカの小さな町から』(筑摩書房,1984年)に、アダマワなど各 emirate とその属国との関係を江戸時代の幕藩体制と類似していると考え、属国を「藩」になぞらえているそうです。孫引きで申し訳ないですがアクセスしにくそうな本なので。しかし島田 (2019) は「藩王」を「エミール」の別名として書いています。混同していますね。
    2. 「ソコト帝国はカリフを君主とするカリフ帝国と見なされている(嶋田 (1985) p272)」→嶋田 (1985) p272には、「現在,ソコト帝国をカリフ(Caliph)を首長とするカリファト(Caliphate)とみな(すという習慣がある)」という記載はありますが、「カリフ帝国」という文言はありません。これは何なんやろう、また新概念が出てきたな、と思いました。なお、最近刊行されたルイスの『中東全史』なんかでは英語 Caliphate の訳語として「カリフ国」が使われています。
    3. 「カリフは宗教指導者としての称号であり、政治的統治者としての称号はスルターンであった(島田 (2019) p22)」→これ、マジ?「カリフ」の文言が「アミール・ル・ムウミニーン」を中公新書の読者向けにわかりやすく選ばれた用語であるのはいいとしても、ふつう、カリフはイスラームの宗教共同体を宗教的にも政治的にも導く権能を持つとされます。ほかの文献には一切出てこない情報であり、信ぴょう性を疑っています。
    4. 宗教節。「ウスマンは神秘主義教団のカーディリーヤを信仰しており」の表現ですが、「ウスマンはカーディリー教団に加盟し、」のような感じに書き直したほうがいいです。ウスマンが信仰していたのは「神」でしょう。もしくは、出典となっている大塚和夫先生の表現の通りにしたほうがいいです。細かい話で申し訳ないです。あと、「福井ほか」となっていますが、『アフリカの民族と社会』(中央公論新社、1999年)は執筆担当者がはっきり分かれているので、大塚和夫の名前を出したほうがいいと思います。
    5. 私の書き方もまずかったと思いますが、はっきり言うと「アミール=首長」は誤解です。嶋田襄平「カリフ制の成立」『日本オリエント学会月報』1959年2巻4-5号p.18-21,DOI=10.5356/jorient1955.2.4-5_18 などによると、アミールはイスラーム起源の言葉であるとのことです。アフリカ学や文化人類学において「首長」という用語は、非イスラーム社会の長(例えば、chief, big man, あるいは、リネージ長、神聖王、レイ・ブーバであれば「ラミド」)に使われています。アミールはこのようなものと異なるし、特に、本記事の主題においては三重になった国家体制を説明しなければいけないのですから、赤阪 (1975) のように訳語を注意深く選ぶほうがいいです。例えば「アミール(首長)」「首長国」という表現が適切かどうか、ご再考ください。--ねをなふみそね会話2021年8月30日 (月) 10:53 (UTC)[返信]

条件付賛成:伺っておきたいのですが、二人のアミール?のカリグラフィは、文書に記されているものなのでしょうか?Takenari Higuchiさんの画像投稿ではないようですし、さほど複雑でもないスルス体ですので、投稿者の「創作」の可能性を危惧するのですが。またねをなふみそねさんもご指摘のように、アミール/カリフ/スルターン/首長、用語の使い分けが不明瞭に感じます。ここは記事の根幹に関わることです。--Falcated会話2021年8月28日 (土) 03:51 (UTC)[返信]

  • 返信 (Falcatedさん宛) :ありがとうございます。カリグラフィについてですが、投稿者による創作の可能性は否定できないです。利用者ページを見る限りいちおう投稿者はハウサ語話者のナイジェリア人のようですが、いずれにせよ記事に直接関係する画像じゃないので消しておきます。用語についてですが、アミール/首長は上で申し上げたようにアミールで統一し、カリフ・スルターンに関しては、君主節に記しているようにソコト帝国の君主は宗教的権威であるカリフであり世俗的権威であるスルターンであったので、宗教的権威が強調される文脈ではカリフを、他は基本的にスルターンとしようと考えています。--Takenari Higuchi会話2021年8月28日 (土) 04:12 (UTC)[返信]
  • カリグラフィの画像は除去し、アミール/首長はアミールで統一を、カリフ/スルターンも以上のような修正を行いました。--Takenari Higuchi会話2021年8月29日 (日) 12:56 (UTC)[返信]

Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考#早期終了より、賛成票のみ3票以上集まった状態が48時間継続したため、通過(早期終了)とします。 --karu1231会話2021年9月1日 (水) 20:24 (UTC)[返信]