Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ソグド人 20191011

ソグド人 - ノート[編集]

選考終了日時:2019年10月25日 (金) 00:04 (UTC)

  • (自動推薦)2019年9月の月間強化記事賞受賞記事。--Trgbot会話2019年10月11日 (金) 00:04 (UTC)[返信]
  • コメント 悩んだのですが月間強化記事賞の投票から外しました。理由はソグド人の「民族」の定義が不明瞭だからです。どのような要素を含むと、この人はソグド人だ、あの人はソグド人ではないと切り分けられるのでしょうか。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部) にある通り、導入節では主題を定義し、間違いやすい事柄にも言及すると規定されており、スタイルマニュアルは良質な記事の選考目安として掲げられているので、修正・加筆をお願いしたいです。
そもそも民族の一般的な概念が曖昧なので、Wikipedia上で民族の記事を執筆する際には慎重に定義文を書かねばならないでしょう。特に、その民族が「過去に存在した」(今はその民族概念が消滅している) とのニュアンスを含む場合は、さらなる慎重さが必要です。例えばJETROアジア経済研究所でも触れられていますが、民族にはNation-state (国民国家) もあれば、言語・居住地・信仰・慣習などで括るEthnic groupもあります。前者のNation-stateであれば、A国家が滅びればA国民の概念は消滅するので、A民族が現存しない理由になります。同様にB言語やB宗教で民族を括っている場合は、別のものに乗り換えてしまえばB民族は消滅します。
翻ってソグド人。ソグド語を話し、ゾロアスター教を信仰していたことをソグド人の定義とするならば、後の同化によって消滅した理由も分からなくないです。しかし現在の記事では、ソグド人は「ザラフシャン川流域地方に住んでいたイラン系(ペルシア系)のオアシスの農耕民族」と書かれ、一方で「商業を得意として定住にこだわらず」とも書かれています。農耕民族ならば一般的には定住しており、ザラフシャン川流域地方から引っ越さなければソグド人という民族は残っているはずです。定住かキャラバンかは民族を定義する上で重要なファクターだと思うのですが、どちらもソグド人に含めるというのは定義上混乱します。--ProfessorPine会話2019年10月11日 (金) 02:51 (UTC)[返信]
  • 賛成 :自動推薦を見て来ました。投票期間内の主な加筆者です。他の方も誤字の訂正などをしてくださっており、賛成します。以下、指摘です。
  1. 「その他の習慣」については出典が確認できなかったので、分かる方がいれば出典をお願いいたします。なさそうであれば、コメントアウトまたは削除します。
  2. 「石人」についてコメントアウトがされていましたが、中国語版のこちらの記事 ( https://zh.wikipedia.org/w/index.php?title=石人&oldid=35731143 にあたるものと考えられます。 --Moke会話2019年10月11日 (金) 11:29 (UTC)[返信]
  • 反対 元の状態から大幅に改善されていると思いますが、現時点では反対で投票します。個人的に関心の強い主題であることもあり、不必要に判断が厳しい可能性が高いですが、まだ改善すべき点は数多く残されていると思います。長くなってしまうので§歴史までについて述べます。
  • 出典の取り扱いについて
    • 『『モノから見た海域アジア史 - モンゴル~宋元時代のアジアと日本の交流』『ユーラシアの交通・交易と唐帝国』『大唐西域記』の3点を除いて、出典と対照し確認しました。
    • 概ね齟齬はないのですが、いくつか帰属化されている出典から見て不適当である記述が見受けられます。荒川 2003を例にとると、冒頭の「近年の研究では、シルクロードを経済的に支配していたといわれている」についてはpp. 10-12の説明では、奢侈品を取り扱うキャラバン交易がほぼソグド人の独占状態にあったとはあるものの、これを「経済的に支配していた」と描写するのは大きな飛躍であると感じます。
    • また、ヘロドトスの引用については、確かに『歴史』にその通りあるのですが、ハカーマニシュ朝の徴税体制についてのヘロドトスの文章をそのまま信用して良いかどうかはかなり疑問符が強く(少なくとも日本語版の役者である松平氏は該当部分に多数の注釈を付けて注意を促しています)、引用にあたってはそうした信憑性の問題には触れる必要があると考えます。
    • 細かい点ですが、出典の司馬遷を「司馬 2013」と表記するのは個人的にはかなりわかりづらく、単純に「司馬遷」とするか、役者の名前を付記した方が良いと思います。
  • 「民族」の問題
    • 概ねProfessorPineさんの指摘されている通りですが、ソグド人を如何に定義するかという点について問題があります。私が知る限り「ソグド人とは何か」という問題について明解に説明している書籍・論文はあまり存在しないので帰属化が難しいのですが、おおむね「ソグド」という名称で呼ばれる、または「ソグド語」を使用している人々の総体を指す言葉として「ソグド人」という用語が使われていると言って良いと思います。この点について「イラン系(ペルシア系)のオアシスの農耕民族。また、商業を得意として定住にこだわらず、シルクロード周辺域の隊商をはじめとして多様な経済活動を行った」という職能と結びつけての説明は適切ではなく、単純な話として交易に従事していても、農耕に従事していても(また安禄山に言及するのであれば軍人として活動していても)、「ソグド人」であるとすれば、ソグド人の定義と職能は直接的に結びつかないように見えます。また、注釈レベルでもソグド人という「民族」が近代的な民族のそれとは異なることは説明が必要であると思います。
  • 構成の問題
    • §歴史の構成は特に地理的な面において各小節の脈絡が乏しい状態です。ソグディアナ(§アケメネス朝~§ヘレニズム国家)⇒モンゴリア(§遊牧国家)⇒西域・中国(§奄蔡・康居~§突厥・ウイグル)⇒ビザンツ帝国(§ハザール)⇒西域・中国(§トゥルファン・敦煌~ソグド系テュルク人と安史の乱)、ソグディアナ・中国(§イスラム王朝~§同化)と焦点が移動しますが、これほど広大な範囲における出来事を一本の歴史として接続するのは困難です。これは記事の問題というよりは、ヴィシエールが語るように、ソグド人についての史料残存状況が断片的で、しかも外部の記録者によるものばかりである点によって必然的にこうなるものですが、ソグド史を語る上ではこの史料的問題についてしっかりとした説明がされなければならないと思います。特に、「本国」たるソグディアナの描写が薄いのに対して中国のソグド人の説明が具体的であるのはまさにこの史料残存状況の反映ですが、その説明がない状態では非常にバランスを欠いた構成に見えてしまいます。
  • 史料について
    • 構成の問題で述べた内容と被りますが、ソグド人について語る時、利用できる史料の問題はほとんどの書籍・論文で触れられる点であり、「項目に記述されるべきトピック」の中でも優先度の高いものと考えます。どの程度の詳細さで説明するかという点は何とも言えませんが、読者に対してソグド人の理解について留意すべき事項として史料について提示される必要があると思います。--TEN会話2019年10月14日 (月) 17:45 (UTC)[返信]

選考終了時点で賛成1票、反対1票のため、今回は見送りとなります。--Tam0031会話2019年10月25日 (金) 15:24 (UTC)[返信]