Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/カルナック神殿 20200526

カルナック神殿 - ノート[編集]

選考終了日時:2020年6月9日 (火) 01:42 (UTC)2020年6月23日 (火) 01:42 (UTC)

  • (推薦)古代エジプトの有名な神殿の記事です。豊富な写真や地図、一通りの出典付きで神殿の全容が把握できる良記事となっており、GAの水準を満たすものと考えます。--Iso10970会話2020年5月26日 (火) 01:42 (UTC)[返信]
  • 賛成 :推薦者票--Iso10970会話2020年5月26日 (火) 01:42 (UTC)[返信]
  • コメント よく書かれてはいるのですが、恐らくは翻訳に由来する読みづらい文章がちょっと多く感じます。ちょっと長いですが、例としては「セティ1世は死去する直前に列柱室の南側の装飾を始めたが、この部分はほとんど息子であるラムセス2世によって完成した。ラムセス2世の装飾は当初浮き彫りであったがすぐに沈み彫りへと変更し、その後の列柱室の南側にあるラムセス2世の浮き彫り装飾は、そこにあるセティ1世のわずかなレリーフに加わり、沈み彫りに切り替わった。ラムセス2世は隆起した浮き彫りとして北翼棟にセティ1世のレリーフを残した。ラムセス2世はまた列柱室の他の場所において父のレリーフのほとんどを尊重しながらも、列柱室の東西の主軸沿いおよび南北の列柱通路の北側部分に沿ってセティ1世の名をラムセス2世自らのものに変更した。 」というような文章がそれにあたります。「ラムセス2世は隆起した浮き彫りとして北翼棟に...」などは日本語の表現としてははっきりとおかしいとも思います。
  • もう一つ、「第11王朝において国家神はモンチュとされたが、神殿域で発見された最古の遺物に、第11王朝による小さな八柱神のものがあり、アメンについて記されている。第1中間期(紀元前2181-2055年頃)のうちに伝来したアメンは長くテーベの地方神であったが...」という説明がありますが、アメンが「伝来した」という表現は単純に疑問です。出典を確認してはいないのですが、名前自体は第5王朝時代にも出現する神であるので、第1中間期に外来の神として現れたものではないように思います。
  • 後者の方は枝葉末節のことなのでさほど重要ではない話ですが、文章については全体にもう少し推敲が必要ではないかと思います。--TEN会話2020年6月1日 (月) 15:03 (UTC)[返信]
    • Hiyotchi による編集についてと思いますが、翻訳に由来する読みづらい文章の多くとか「日本語の表現としてははっきりとおかしい」といわれる部分、それに「文章については全体にもう少し推敲」の指摘について、個人的に何か非常に不愉快に感じることから、あえて修正はしないので、貴殿もしくは第三者の修正をお願いします。もう一つ、アメンが「伝来した」という表現は単純に疑問で、第5王朝時代にも出現する神であるので、第1中間期に外来の神として現れたものではないように思います。との思い込みによる記述もありますが、「憶測」だけでなく、それ以前より「テーベ」に伝来していた、というものを提示ください。そうでないと怪しい部分があるという印象を誘導するものとして不快です。疑うことはいいことで、ここであだこうだといわれるのも参考にしていますが……。差し当たりあしからず。--Hiyotchi会話2020年6月2日 (火) 11:58 (UTC)[返信]
      • 返信 文章について:私の文が非常に不愉快に感じるということですが、特に悪意を込めたつもりはなく、以後表現には気を付けたいと思います。ただ、文章については読みづらいと感じるのは正直な感想であり、本記事の良質な記事の選考においては賛成ではなくコメントにとどめる理由であります。無論これはあくまで私の判断であるので、主筆者の方であれ誰であれ、問題が無いと考えるのはそれで良いと思います。なお、本記事は関心のある分野であるのでどこかで編集させていただくことはあるかもしれませんが、他に書きたい記事があるので今この時点で特に編集するつもりはありません。
      • アメンについて:これについては、憶測と言われるとその通りで不適切であったと思います。申し訳ありません。一応説明させていただくと、選考にあたって関連する資料を数件確認し、アメンがテーベに「伝来した」というような説明を行っているものがなかったため、アメンを外部から伝来した神と言い切って説明するのは一般的ではないと判断しました(具体的には『大英博物館 古代エジプト百科事典』、ジャック・フィネガン『考古学から見た古代オリエント史』、A. J. スペンサー『大英博物館 図説 古代エジプト史』、『古代エジプト神殿大百科』『世界の歴史 1 人類の起源と古代オリエント』、深谷雅嗣「古代エジプトのアメン神に関する一考察 : アメンは大気の神か?(第六十四回学術大会紀要)」 )。第5王朝時代にも出現するというのは(ウナス王の)ピラミッド・テキストに登場する件で、出典は『大英博物館 古代エジプト百科事典』「アムン、アムン=ラー」および『大英博物館 図説 古代エジプト史』p. 78に基づいています。当然これはテーベにおけるアメン崇拝を証明するものではないですし、テーベのアメン崇拝の痕跡という意味では第11王朝より前のものは恐らく無いと理解しています。一方で、『大英博物館 古代エジプト百科事典』の方にはアメンのみに捧げられた神殿は第11王朝時代のテーベの神殿が初であったと思われるともあり、やはりアメンが外部からテーベに伝来したという要素は乏しいように考えます。
      • しかし、上記から「第1中間期に外来の神として現れたものではない」とするのは確かに私の憶測というか想像に近いもので、私のコメントを完全に裏付ける出典はなく、当該部分の出典であるデイヴィッド『古代エジプト人 - その神々と生活』の記述が優先されるべきと思います。この件について特に誘導する意図はなく、そうした印象を作ってしまったことは謝罪いたします。中途半端に知識があったため自分の思考と学術上の事実がきちんと弁別できていませんでした。--TEN会話2020年6月2日 (火) 17:08 (UTC)[返信]
        • 返信ありがとうございます。当初「第5王朝時代にも出現する神であるので」とのことでしたが、テーベにも以前より信仰があったと強く考えているわけではないものと理解しました。「伝来した」は、知られていなかったアメンがテーベに伝わった(もたらされた)ぐらいのつもりでしたが、言い切っているとして、強く「外来の神」として捉えられたものと思い削除しました。ただ、単に「第1中間期より」として可なのか? 表現を短い言葉に集約しようとする癖があるようです。日本語の表現としてははっきりとおかしいと捉えられる場合もあろうかと思います。選考とかに関係のない蛇足ですが何卒ご容赦ください。--Hiyotchi会話2020年6月3日 (水) 01:00 (UTC)[返信]
        • 細かいことですがやっぱりつじつまが気になるので言い換えてみました。--Hiyotchi会話2020年6月3日 (水) 04:11 (UTC)[返信]
  • 賛成 良質な記事の基準を満たした遺跡記事のように思う。--ねをなふみそね会話2020年6月8日 (月) 13:03 (UTC)[返信]
  • コメント 選考終了時点で賛成2票のため、選考期間が2週間自動延長となります。--Tam0031会話2020年6月9日 (火) 13:31 (UTC)[返信]
  • 賛成 私もややわかりづらい文章があるかなと思っていたのですが、豊富な写真と図が示されていますし、良質な記事の水準としてはこれくらいかなとも考えて、賛成とします。--Tam0031会話2020年6月16日 (火) 13:59 (UTC)[返信]

賛成のみ3票以上の状態が48時間継続のため、早期終了・通過となります。--Tam0031会話2020年6月18日 (木) 14:04 (UTC)[返信]