Wikipedia:悪意にとる

「駅にはどちらに行けばよいかわかりますか?」と旅人がたずねました。「もちろん」と地元の人が駅の反対側を指さします。指の先にはあるのは郵便局でした。「行く途中にポストがあるので、私の手紙を出してくれませんか?」と地元の人。「もちろん」と旅人は答えながら、早く中をあけて金目のものがはいっていないか確かめたい、と気がはやるのでした」(アマルティア・セン)
大きな瞳と白い歯がかがやく、人なつこい笑顔、エレガントなファッション。だめです、それでも悪意にとりましょう。

このエッセイで扱っているのは、もしかすればあなたにも自覚症状がある、編集合戦から距離をおいたり、今まさにお茶でも飲んで腰を落ち着ける(アウトドア派であれば、犬の散歩に行く)べきはずの兆候についてだ。あるいは、こんな格言を思い出すことが目的といえるかもしれない。「あなたが病的な被害妄想だったからといって、相手があなたをやっつけようと躍起になっていることまで妄想とは限らない」。

悪意のある管理者にどう対応するべきか[編集]

ノートページで自分に反対意見をとなえたり、削除してほしくない記事を削除するような管理者に出会ったことがあるはずだ。もちろんそんな連中は、そのために時間をかけて編集履歴を積み重ねて管理者になりおおせた荒らしにほかならない。ウィキメディア財団に、HTMLで全文ボールドにしたメールを送って確認してみたらどうなるだろう。おそらく財団の反応は、あまり芳しくないか、まったく芳しくないかのいずれかのはずだ。なぜならそういう管理者はルージュに染まっているからである。ではどう対応するべきか。そういうときは、管理者のアカウントを乗っ取って、ウィキペディアの管理を引き取ろう。アカウントを乗っ取るには技術的な向き不向きもあるので、向いていない場合は法的な手段をとろう(法的な脅迫にならないように気をつけること!)。

法的手段と並行して、大胆な編集、差し戻し、差し戻し英語版のサイクルを意識することも検討したほうがよい。

どれも上手くいかなかったなら スパイダーマンの服を着てライヒスタークを登ることも考えてみるべきだ。ウィキペディアの編集とは座学ではなく実践のなかにあるのだから。

悪意の果てに?[編集]

もうそろそろ、ウィキペディア以外のプロジェクトでも誰かを悪意にとって、とって、とりたい気持ちが芽生えている頃かもしれない。実際に悪意のある管理者にウィキペディアを無期限ブロックにされた直後なら余計にそう思うだろう。…残念。おそらくその頃には、ウィキメディア財団の運営するあらゆるプロジェクトから追放されているだろう。お疲れさまでした。

関連項目[編集]