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Wikipedia:削除された悪ふざけとナンセンス/ウィキペディアデス

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ウィキペディアデスΥικιπαίδειαδης, 紀元前5世紀中頃? - 紀元前4世紀初頭?)は、古代ギリシアテーバイの詩人。「共同作業の苦労と喜び」を主題としたいくつかの抒情詩を残したとされるが、現存する作品はない。

生涯[編集]

ウィキペディアデスは紀元前5世紀の中頃、古代ギリシアのテーバイで生まれたとされる。家族関係は不明。ウィキペディアデスの生涯については謎のところが多く、出生地に関してもテーバイのほかにデルポイや、アテナイであったという説もある。古代ギリシアの社会制度や生活様式から、一生をテーバイで過ごしたとする説が今のところ主流であるが、近年F・エイプリル教授によって有力な反論が唱えられている(後述)。

その後、ウィキペディアデスは紀元前440年頃から本格的に文学の修行を始めたと考えられている。出生からそれまで何をしてすごしていたかは分かっていない。始めは古代ギリシア文学の花形である悲劇作家を志していたが、やがて悲劇を捨て抒情詩を書くようになった。このウィキペディアデスの転身については、紀元前431年から始まったペロポネソス戦争との関連を指摘する研究者もいる。修行の中身についても分かっていないが、一説には文学の修行としてギリシア全土を巡っていたという。この時期にウィキペディアデスは2本の悲劇を書き上げたされているが、それがどのような内容であったかまでは伝わっていない。

抒情詩人となった後のウィキペディアデスはテーバイの町を中心に活動していた。歴史に大きく名を残しているわけではなく、ジャンルもメジャーな悲劇ではなかったので、ウィキペディアデスが一世を風靡するような人気詩人であったとは考えにくい。しかし、決して平和とは言えない時代にその作品が受け入れられたのか、異説さまざまあるにせよ、同時代の人達から一定の支持を得ていたことは確かである。

紀元前4世紀の初頭に死去。死因は不明。テーバイで葬られたことは確かだが、その後の破壊によって墓の場所は分かっていない。

作品[編集]

作品は抒情詩がほとんどである。ウィキペディアデスの作品の特徴として、「共同作業の苦労と喜び」という一貫した主題が存在する点が挙げられる。ともすると訓話的な主題であるにもかかわらずウィキペディアデスはこれを巧みに扱い、作品に接したものを虜にし、熱くさせる一流の芸術作品にまで昇華させている。異なる価値観を持つ者同士がひとつの目的のために協力して作業することがいかに難しいものであるか、またそうした苦労を乗り越えた先にある達成の喜びがいかに大きなものであるかというメッセージは、直接的にはポリス同士が勢力争いを繰り返していた当時のギリシアの人々に向けられたものであったが、普遍性を持つがゆえに時代を越えて当てはまるものでもある。

ウィキペディアデスの作品は紀元前335年にテーバイの町がアレクサンドロス大王によって破壊された際に全て失われたため、今日では詳細を知ることはできない。

その他にウィキペディアデスの作品されるものとしてはギリシャ神話の神々を題材とした『神保記』がある。その作品の全てが失われてたとされていたウィキペディアデスの現存する唯一の作品となるだけでなく、抒情詩を得意としたウィキペディアデスとしては珍しい叙事詩であり、主題も知られている他の作品とは大きく異なることから発見当初は注目を集めた。しかし、その後の研究によって信憑性が疑問視されるようになり、現在の学会ではウィキペディアデスの作品ではなく、後世の人間による贋物であるという見方が主流である。

なお、ウィキペディアデスの後に生まれたググレカスは幼少時ウィキペディアデスの著書に触れ、これこそは人間の知識の殿堂であると賛嘆していた。ググレカスは図書館に存在した他の書籍も満遍なく読んでいたが、特にウィキペディアデスの作品を好んで読んでいたことが、ググレカスに質問した同時代人の記録から推測される。

ウィキペディアデスの正体[編集]

ウィキペディアデスはその作品や関係する史料の全てが消失しており、同時代の人物と比べてもその実像をつかむのが難しい。それゆえに、学会では明らかに個人の妄想でしかないようなものも含めて数々の説が唱えられてきた。

そのなかでも最も有名なものの一つは、1996年に南オレゴン大学 (University of South Oregon) のF・エイプリル教授が発表した論文である。エイプリル教授は、「共同作業」という特徴的な主題などからウィキペディアデスが実は複数人によるサークル名であったとし、その上で出生地などの謎についても解説した。ウィキペディアデスの作品自体が外国人を含む広範な人々の共同制作であったとの考えは、これまで謎とされてきた特徴的な主題や生涯についても十分に納得のいくもので、受け入れられやすい推理といえた。

これに対して、学会の重鎮であるW・ミュンヒハウゼン博士は『ウィキペディアデス、よくある批判への回答』として旧来の立場から反論を行ったが、ウィキペディアデスの人物像を巡る論争はいまだに決着がついていない。

これらの動きとは別に、若手の研究者を中心に「史料や作品がまったく残存していない人物をどうして存在すると言い切れるのか。ウィキペディアデスとはそもそも架空の人物ではないのか」等とウィキペディアデスの存在自体を疑問視する声もある。中心人物である鷽殻眞などは『ウィキペディアーデス:削除依頼』のように自説を出版するなど積極的に活動しているが、今のところ学会からは黙殺されている。

参考文献[編集]

  • 坂蒲卯月『ウィキペディアデス(日本語版)』1982年
  • 洞大学出版会『ウィキペディアデスについて』2000年
  • F・エイプリル『ウィキペディアデスは何でないか』1997年
  • 鷽殻眞『ウィキペディアーデス:削除依頼』2001年
  • F・エイプリル『なぜウィキペディアデスは素晴らしいのか 』1989年
  • W・ミュンヒハウゼン『ウィキペディアデス、よくある批判への回答』1999年

関連項目[編集]

エイプリルフール
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この記事は、4月1日に立てられました。この記事の中身は嘘っぱちでデタラメです。
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