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Wikipedia:井戸端/subj/編集履歴による「専門家」化と要約欄への直接的・個人的知識の記入による改変

編集履歴による「専門家」化と要約欄への直接的・個人的知識の記入による改変

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Wikipedia:独自研究は載せないでは「出典がなく、検証不可能であるならば、専門家を自称する編集者が、直接的・個人的知識をもとに寄稿することは禁止されています。」とあります。現実には残念なことに「専門家を自称する編集者」のように自ら称しているわけではないが、編集履歴から他者から「専門家」のようにみられている者が、一からの「寄稿」ではなく出典をつけて変更された部分にもかかわらず直接的・個人的知識を要約欄に記入して自らの意見の根拠になる出典は不明なまま「改変」していることが少なからずあります。

気になるのはこういう編集者が現状維持的で、それまで出典のない記述は問題にしていなかったのに、出典をつけた加筆に対して要約欄で自らの意見を記入して改変している行為です。

改稿された部分が正しいかどうかは付けられた出典で客観的に判断するもので、他の編集履歴で「専門家」化されていれば出典の主旨とは異なる記述であっても変更が正当化されるという考え方は問題です。他の編集履歴で「専門家」化されているとその人の言い分の出典の有無は指摘しにくいのでしょうか。--Nanttam会話2020年10月9日 (金) 23:49 (UTC)[返信]

  • (コメント)出典付き記述を除去するのですから同等の出典が必要でしょう。私も気を付けたいと思います。--6144会話2020年10月10日 (土) 01:17 (UTC)[返信]
    • コメント 出典付きの記述であれば、ノートにおける議論もなしに除去したり、改変するのは不適切です。出典のない記述であっても、改変するのであれば新たに典拠を追加すべきでしょう。ただし、具体的なケースごとに考えないと、一概に議論してしまうのにはなじまないことが色々出てきてしまうようにも思います。
なお、「それまで出典のない記述は問題にしていなかったのに、...」の箇所には、違和感も覚えます。確かに、出典のない記述は、本来であれば適切に出典が付けられるべきです。しかし、ウィキペディアにおいては、記事の編集において優先順位を強いるルールは基本的にはないはずで、出来る者が出来るところから手をつけてよいはずです。--山田晴通会話) 2020年10月10日 (土) 03:36 (UTC)直前のポストの要約欄に「返信」と書き込んだのは誤記です。申し訳ありません。--山田晴通会話2020年10月10日 (土) 03:52 (UTC)[返信]
コメント出典のついた記述を除去するのにいちいちノートでの議論は不要です。問題のある除去ならその時にノートで尋ねればいいだけの話です。官僚主義、手続き主義ではないので。--Afaz会話2020年10月10日 (土) 06:56 (UTC)[返信]

コメント既に出典の表示されている箇所の取り扱いについてウィキペディア日本語版にはコミュニティによる合意事項がガイドラインに定められています。

  • 出典を明記することには、検証可能性や中立的な観点を確保するとともに、読者がさらに深く調べる際の参考に資するという重要な目的があります。出典の表示を新たに設定するときにも、その後更に編集を加えるときにも、検証可能性や中立的な観点が維持・向上されるようにしなければなりません。
  • 個々の記述に出典を設定したり既に出典の表示されている箇所を編集する際には、著作権を遵守しつつ、その記述が出典の内容によって明示的に裏付けられる状態になるようにし、出典にはない意図を取り込むことによって独自研究に陥ることのないようにしてください。
— Wikipedia:出典を明記する#三大方針との兼ね合い

出典が見つかるまで改稿の実施を控えてノートへの記載に留めている編集者もたくさんいます。ケースバイケースだとは思いますが、加筆時の独自研究の排除や検証可能性の方針と釣り合いが取れない(言葉を借りて言いかえると個人的知識・独自研究による編集と区別できない)ほど不合理な改変は避ける必要があります。--Iibkg会話2020年10月10日 (土) 12:30 (UTC)[返信]

コメント Nanttamさんの問題提起はどこが論点か分かりにくいと思いますが、最後の文『他の編集履歴で「専門家」化されているとその人の言い分の出典の有無は指摘しにくいのでしょうか。』と想定してのコメントです。(1)ウィキペディア上は「専門家」などの格付けは存在せず、管理者を含めて立場は対等です。(2)ガイド上で不適切と思う記載や行為があれば、ノート等で対話する、解決しなければコメント依頼等へ進む、との通常の対応が推奨されます。(3)「専門家」が自称ではなく周囲の思い込みならば、問題は周囲なので、周囲の一人として指摘すれば良いのではないでしょうか。仮に、「自分は指摘したくないが周囲が変化して欲しい」との希望ならば、その願望は実現困難に思えます(言わなければ誰にも伝わらないので)。(4)なお過去実績からコミュニティで周囲に信用されている(ような)方は多数存在しますし、ウィキペディアは編集者の履歴追跡も容易なので判断基準にする事は自然と思います(過去、「該当の編集だけで判断すべきだから編者者の履歴参照禁止論」もありましたが、私は賛成できない)。しかし仮にその分野の有識者でも偏りや勘違いはあるので、不適切と思えば指摘すれば良いとの基本は同じと思います。(4)文末の「指摘しにくいのでしょうか」ですが、気づいた人が指摘して頂ければ良いだけです。(5)ウィキペディアのコミュニティ全体への問題提起ならば「誰でも参加できるボランティアの百科事典作成プロジェクトなので、色々な人がいて、分野や記事により有識者も実際にはいるが、対等であり、指摘は対話推奨なのは同じ」なのではないでしょうか。繰り返しばかりで恐縮ながら。--Rabit gti会話2020年10月11日 (日) 04:11 (UTC)[返信]