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問題のある記事の編集[編集]

記事の中には、中立性に欠けるものや蛇足的なものが少なくないと感じていますが、その対処は編集者によって大きく違っているように思います。 私は明らかに悪戯と判断出来るもとは除いて、感情的な表現や過剰な表現を排して中立的な記事に直したり、整理してまとまった内容に再編するなど、既存の記事を出来るだけ削除しないようにしているつもりですし、削除した方が良いと思っても、まとまった量を削除するときには事前にノートに提起します(肥大化した記事を大幅に整理する場合も同じ)。

が、中には「とにかく削除」してしまう人も多く目につきます。何の前触れもなく項目がまるまる無くなっていたり、数項目に渡って大規模に削除されることもあります(コメントアウトも、利用者から見えないという点は同じなので削除に含みます)。量の問題ではないのですが、ノートで議論しようとしなかったり、中には削除した後でノートに提起したり、とにかく最初に「削除ありき」のやり方をする人がいます。その結果、中立性のタグだけが残され、問題とされる部分が無くなっている記事もあります。

皆さんは問題のある記事を見つけた場合、どのように編集しますか? また、大量に内容が削除された記事を見つけた場合、どのように対処しますか?--カイの迷宮 2007年11月7日 (水) 07:07 (UTC)[返信]

マスコミ関係の記事(例:テレビ離れキー局)などが感情的な削除が見られると思います。もちろん原因はマスコミ不信なんですが。ノートで議論するしかないのですが、記事内容が嫌いな人は数の論理で否定する例も多いですね。そもそもこういう細かいことを整理するためにプロジェクトがあるはずですが、マスコミ関係のプロジェクトは誰もつくろうとも参加しようともせず削除ばかり。いよいよのときはリバートしますが、あきらめて放ることがおおいですね。--たぬき 2007年11月7日 (水) 09:40 (UTC)[返信]
ケースバイケースですね。除去すべきかどうか迷うときは、ノートへの提案後に状況に応じて除去という流れを取りますし、除去すべきだと判断すれば、除去してからノートに説明します。後者の場合、リバートされたとしてもそこから議論を始めればよいと思っています。
とにかく削除、というのが必ずしも悪いとは思いません。編集合戦は避けなければなりませんが、先に除去するという判断はあってしかるべきだし、その判断が間違っていると考えたなら、差し戻した上で議論を行うことで十分でしょう。
たぬきさんの示した記事は、感情が入りすぎて、除去するほうも書き込むほうも理がないでしょう。テーマ自体が議論を呼びそうなものはとくに、検証可能性や出典の明記といったウィキペディアのルールやガイドラインを遵守するように努めないといけないと思います。--Tamago915 2007年11月7日 (水) 09:44 (UTC)[返信]
場合によってまちまちですね。特に投稿者が反論のための反論や言を弄して改善の様子が見られないなどトラブルを起こす傾向が強く見出せる場合は、後腐れ無いようにザクッといっとく場合もあれば、主観的部分は削りに削って妥当性のありそうな部分だけ残して全面書き換えしちまうこともあります。まあ…温い小生としては、大抵は後者で対応する訳ですが。問題を起こす傾向が認められない利用者の記述なら、まず妥当性をいくらか下調べして、拙い部分はコメントアウトで置き換えて、使えそうな部分はおおいに補強することで記事に組み入れるようにとかしています。こと即興で書かれたような断片的な記述の場合、周辺事情まで埋めると一節設けることもできますので。ただ、思い付きで関連性もないのに私的な連想で書き込まれたようなものは、サクッといっちゃうときもありますが。余りに拙いと言うのか個人的な趣味嗜好で掲示板に書き込む感覚で書かれちゃったようなのは。--夜飛/ 2007年11月7日 (水) 13:06 (UTC)[返信]