Wikipedia:井戸端/subj/テンプレ総合問題20070430

テンプレートの位置について[編集]

先ほどの井戸端そのものを乗っ取った文句・抗議を『すごいことになってるなぁ、言い得て妙だなぁ』などと思いつつ(加筆:既に削除されているので、意味が分かるように簡単に説明しておきますと、「ウィキナチズム」「ウィキファシズム」「国家社会主義」などという表現で、日本語版Wikipediaの管理のあり方が露骨に非難されておりました。こういう、ただの非難をそれこそ「ファシズム」的に削除抹殺してしまうから、ますます根拠をもって、そういうようなことを言われてしまうことになると思うんですよ。いわゆる「釣り」ですね)、しかし、他に適当な場所がないので、やはり、ここで質問しておきます。例えば河野談話の記事の中の「ウィキソースに慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話(河野談話)の原文があります」のテンプレート、つまり、(⇒右下)


の原文が、百科事典の読者として最も読みたい箇所であり、また、読めなければ話にならないという問題についてです。かつ、その肝心の原文が事前に明示されていないとその記事解説は意味をなさないというのに、不親切にも最下段に外部リンクとしてあるだけです。これに対し、「中立の観点」のテンプレートのほうは、どこがどう中立性について問題点があるのかノートページでも具体的に示されていないというのに、記事の執筆者たちを無理やり侮辱したがっているかのように、これみよがしに最上段にあります。これは、明らかに、まともな人間のやることではないような感じがします。百科事典としてやるべき事が全く逆であるし、一般読者・執筆者に対して極めて不親切で不穏当で僭越だと思われます。社会一般の一般執筆者・一般読者がこの百科事典の管理に全く関係していないだろうこと、および、日本語版Wikipediaの管理に携わっている者たちが(少なくとも最近は)一般執筆者・一般読者の感覚を全然持っていないのだろうと感じざるを得ない困った問題に思えます。せめて、ウィキソースやウィキクオートのテンプレートをページの最上段に置くぐらいの配慮は行なうべきではないでしょうか? -- BBBeaver 2007年4月30日 (月) 02:05 (UTC)、加筆2007年4月30日 (月) 09:09 (UTC) [返信]

はっきり言って、井戸端でする話じゃないと思います。関連テンプレートのノートあたりがいいでしょう。 -- NiKe 2007年4月30日 (月) 04:11 (UTC)[返信]
「はっきり言って、井戸端でする話じゃないと思います。関連テンプレートのノートあたりがいいでしょう」。そういう(はねつけているだけみたいな)言い方や判断の仕方自体が、私には(とても私だけじゃないと思いますけど)意味不明・根拠不明・「ファシズム」的なのです。NiKeさんのコメントは、残念ながら、「はっきり言って、井戸端でする話じゃないと思います」。非常にマズイと思います。なぜなら、
  • それは、「中立の観点」などのテンプレの張り方と全く同様、意味不明・根拠不明・「ファシズム」的であり、極めて一方的で非常識な結論の押しつけにしかなってないからです。そこんところ、お願いですから分かってください。
  • しかも、上記本文だけでなく、下(のWikipedia:井戸端#上記「テンプレートの位置について」の更なる説明)でも事前に説明してあるように、"各種テンプレートの位置やあり方という総合的な問題を、全体的な視点から調整し直さなければ醜悪で不合理なことこの上ないですよ"という性質の問題です。つまり、私が提起している問題の性質を、まるで理解できていないようにしか見えないからです。
  • せっかく事前に説明してあるのに、いくら何でも、失礼で鈍感過ぎやしませんか? そういう失礼で鈍感すぎる感覚で、あっちこっちに、いろんなテンプレがおかしな貼られ方・意味不明な貼られ方をしているから、こちらは、この井戸端で質問せざるを得なくされてしまっているわけです。そこんところ、お願いですから、理解してください。
  • それとも、独断・意味不明・根拠不明と思われるテンプレを見つけた人は誰でも、それを貼った人と同様、独断・意味不明・根拠不明な態度ですぐに剥がしてしまってもよいのでしょうか? 『そのほうが合理的なんじゃないか』とも思うのですが、そういうことなら、そうさせていただきます。 (→#意味不明テンプレを剥がす基準
  • しかし、仮にそうであっても、この総合的な問題は解決しません。しかも、この、各種テンプレートの位置やあり方という総合的な問題を、全体的な視点から調整し直さなければ、一般読者・一般執筆者の立場からは、醜悪で不合理なこと この上ないですよという問題提起に対して、(人知れず)特定のテンプレートのノートのみで行なえというのは、明らかに不合理で理解しがたい要求です。私が問題にしているのは、個々のテンプレートの必要性やあり方の問題ではありません。個々のテンプレートのあり方に問題があるものもあると思いますが、記事を見ていての、テンプレート全体の問題です。せっかく井戸端へのリンクが、常にこれ見よがしに左上にあるわけですから、しかも、個人的な問題でも個別の問題でもないわけですから、つまり全体的な視点で総合的な調整をする必要があるという問題であることは明らかなわけですから、井戸端の存在意義をNiKe氏が勝手に否定してしまうというのは、仮に日本語版WikipediaをNiKe氏が自分個人の私物だと固く信じていたとしても、極めて理解不能な話です。
  • また、どこか他のページで意見なり反論なり議論なりがまともに出来るというのであれば、こういう総合的な問題の場合は、まず最初に、誰の目にも一番目につき易い、この井戸端を活用すべきであろうと思います。
  • そこで、問題のすり替えや問題の矮小化やたらい回しや先送りなどではなく、問題解決に真摯な管理者さんにのみ、もう一度、お伺いしてみます。河野談話などを見れば明らかなように、「中立の観点」など、意味不明・根拠不明の僭越なバッシングテンプレをページの最上段に置いておくくらいなら、一般読者および一般執筆者にとっては遥かに重要なウィキソースやウィキクオートのテンプレートのほうをまず、ページの最上段に置くぐらいの配慮を、当然その前に行なっておくべきではないでしょうか? -- BBBeaver 2007年4月30日 (月) 09:09 (UTC),2007年4月30日 (月) 15:02 (UTC)[返信]

#RontenReturn -- BBBeaver 2007年5月7日 (月) 23:04 (UTC)[返信]

何を問題にしているのか、論点が明確でないと感じます。ウィキソースやウィキクォートへの誘導テンプレをどこに置くべきか、という話題と直接関係無い記述が多過ぎます。ついでに言うと、荒らし対応(井戸端の機能を阻害する滅茶苦茶なページ移動は、Wikipediaに対する破壊行為と言わざるを得ず、明らかに悪質な荒らし行為)を「ファシズム」呼ばわりしておいて、「真摯な管理者さん」の暖かい返答を期待するというのはどうかしています。 -- NiKe 2007年5月1日 (火) 02:23 (UTC)[返信]
  • まぁまぁ落ち着いてください。私の表現の仕方も悪かったかもしれませんが、「ファシズムだ!」と抗議するのは決してファシズムではありません。健全な民主主義です。「釣り」「荒らし」とは当然言えるでしょうが、リバートすれば済む健全な荒らしです。しかも、問題の本質は、ここの管理のあり方を「ファシズム」「ナチズム」だと問題にしているところにあります。ここの管理者側にその「荒らし」の責任がないとは到底言えません。ここの管理者よりも健全な精神の持ち主による「荒らし」ではないかという(ねじれ)現象が生じていることは、残念ながら、容易に見て取れます。一般読者(一般執筆者)から見れば、明らかに了解可能な一種のデモに過ぎません。そこんところを、申し訳ないですが、まず理解してください。管理者側が「抗議荒らし」抹殺などの「ファシズム」的過剰反応をすれば(既にしてしまったけれど)、一般読者(一般執筆者)からすれば、『なーるほどね』ってだけの話です。その「荒らし」さんからすれば、『ビンゴ!』『ほらね』って感じでしょう。そういう問題です。例えば、ある問題教師(たち)がいて、その問題教師(たち)を「問題教師だ」「ファシストだ」と非難している生徒たちがいる場合に、もし、その問題教師(たち)が自分(たち)の立場・権限を悪用して「ファシスト」よろしく、自分(たち)を悪く言う生徒たちに対し、最低最悪の虚偽内申書を書いたり全員(実質)退学処分にしようなどとしたら、その問題教師(たち)はとんでもないファシストの問題教師であることをわざわざ自分(たち)自身で立証したことになります。そういう意味で、私が見た「荒らし」は、単純な「イタズラ荒らし」でもなかったし、名誉毀損や個人情報の勝手な公開などの「悪質な荒らし」でもありませんでした。NiKe氏が何をもって「悪質な」と過剰な(かなり不適切で僭越な)形容詞を用いているのか、理解しかねます。そもそも、そういうところが問題なのです。しかも、いまだに、「荒らし」さんの仕掛けた単純明快な「釣り」を理解できていないように見受けられます。抗議そのものをファシズム的に罪悪視し、抗議そのものを抹殺したり不可能にしようとすること自体が明らかに「ファシズム」です。日本その他、先進諸国では、「荒らし」よりもそういう、人間および人間社会としての健全さを根本的に失わせる「ファシズム」「ナチズム」のほうが遙かに許し難い致命的問題として罪悪視されます。「荒らし」さんが言ってた「ファシズム」「ナチズム」「国家社会主義」という抗議は、残念ながら、そういう「釣り」にも管理者側が引っかかってしまっているので、私の目から見ても正当に見え、ますます「言い得て妙」なわけです。もともと、どこのどういうサイトであっても、サイトの管理者とただの一般利用者との関係には、管理者がファシズム的な暴君になりやすいという性質があります。これは、一般読者(一般執筆者)からすれば、残念ながら、極めて自明の単純明快な常識だと思われます
  • それから、もともとの問題ですが、いろいろな性質のテンプレをどこにどのように配置すべきかという問題は、各々のテンプレートの必要性や品性などを総合的に考えて各々をどのように配置すべきかという全体的問題です。総合的なセンスが問われる人間的問題です。個々のテンプレだけを個々に論じてればそれで済んでしまうという問題ではありません。というより、そもそも、個々のテンプレートそのものに特有の個別の問題があるわけではありません。かなり多くのテンプレが、記事ページの最上段でかなり刺激的に目立っている割には、その理由説明や運用のされ方、総じてそれらのテンプレートのあり方そのものが全体的に見て明らかにおかしく見えるという問題を、こちらは指摘しているわけです。これらは、各種テンプレが、どこにどのように貼られ、どのように不当に目立ち、あるいはどのように不当に目立たず、どのようにうまく利用されていないかを比較しながら総合的に考えて初めて分かることです。残念ながら、こういうことは、Wikipediaに管理のために張り付いていない一般読者(一般執筆者)のほうが(自家中毒に陥っていないので)はるかに良く見える問題だと思います。だから、ここに、(問題提起してあげなければ分かんないんだろうなぁ、などと勝手なことを思いつつ)やむを得ず問題提起させていただいているわけです。(ここで、私自身編集しにくくなったので、小分節を設けます。)

ウィキソース等のテンプレの位置[編集]

そういうことで、あらためて、問題のすり替えや問題の矮小化やたらい回しや先送りなどではなく、一般読者・一般執筆者から見ての問題解決に真摯な管理者さんにのみ、もう一度、お伺いしてみます。河野談話などを見れば明らかなように、「中立の観点」など、意味不明・根拠不明の僭越なバッシングテンプレをページの最上段に置いておくくらいなら、一般読者および一般執筆者にとっては遥かに重要なウィキソースやウィキクオートのテンプレートのほうをまず、ページの最上段に置くぐらいの配慮を、当然その前に示しておくべきではないでしょうか? -- BBBeaver 2007年5月1日 (火) 23:41 (UTC)[返信]

この「井戸端」をWikipedia:井戸端から「赤いバスターvs国家社会主義ウィキペディア労働者党」なる項目へ移動させたり、多くの人が話し合っている文章を全部消してこんなもので置き換えたり、といった行為を「ただの非難」と呼んでみせるBBBeaverさんの感覚は全く以って不思議であるとしか申し上げようがありません。こんなことをやらかした人物がファシストなのかアナキストなのか民主主義者なのかは知りませんが、そのどれであったにせよ「健全」とは言えません。 -- NiKe 2007年5月2日 (水) 02:17 (UTC)[返信]
追記。テンプレの位置については、下の方を御覧になって下さい。て言うか、自分で節を分けていたことを忘れてませんか? -- NiKe 2007年5月2日 (水) 02:20 (UTC)[返信]
間違えないでください。私自身、それを「荒らし」と認定して「荒らし」とはっきり表現しています(どうして、これを復活してしまったんですか? 「釣り」に引っかかって削除してしまったのなら、もう、それはそれで、しようがないじゃないですか)。ただ、一読者(一執筆者)としては、十分理解可能な「荒らし」だったので、しかも「釣り」の仕掛けがしてあったので、それを説明してあげただけに過ぎません。NiKeさん、頭冷やしてよ~く考えてください。あの荒らしは「釣り」ですよと再三説明申し上げているのは、こちらなんですから。私は、ただの野次馬、一観察者に過ぎません。どちらにも味方していません。勿論、「荒らし」はいけないことです。そんなことは分かり切っています。しかし、では、「荒らし」を招いてしまっているほうは、全く正しい、100%純然たる被害者なのか、というと、そういう感じが全然しないし、そういう反応でも全然ないわけです。いかにも図星を突かれたような反応をし、差し戻しという簡単な対応で済むはずなのに、私にまでしつこく絡んできてくれているわけです。だから、NiKeさん、そんなにカリカリして八つ当たりしてたら、現在のNiKeさんのようなやり方が「ファシズム」だと批判されているということが私だけでなく一般読者(一般執筆者)みんなにバレてしまっているだけだと思いますよ。私の編集に対しても、こんな、ファシズム的な理由なき削除してますし。とても、100%純然たる被害者には見えないわけです。実際、他にも、ファシズム的な削除があっちこっちで行なわれてるみたいだし。私自身、もともと、そういう関係の問題で、ここで問題提起せざるを得なくなっています。だ・か・ら、あの荒らしを、そんなに『悪質』とは思えなかったし、十分あり得る反応だろうなぁ、と一観察者としては、正直なところ、思ってしまったわけです。ただ、『こういう根源的な問題が、私が今変だと思ってるテンプレートの位置の問題とも十分関係しているな』と私は直感的に感じたので、わざわざ、そういうことが分かるように「荒らし」の言わんとしていることや、それへの対応までわざわざ取り上げ、説明申し上げました。そして、更に一観察者として更に反応ぶりを監察しているわけです。それだけの話です。たまたま生じていたシンクロニシティを利用しただけの話です。 -- BBBeaver 2007年5月4日 (金) 19:09 (UTC), 2007年5月7日 (月) 17:18 (UTC)[返信]
この節#テンプレートの位置については、テンプレ総合問題のための、ただの入り口に過ぎません。だから、多くの論点が積み重なっている問題ではありますが、この節で問うている問題はたった一つです。ウィキソースやウィキクオートのテンプレートの位置の問題だけを取り上げてます。これが最も考えやすく、最も対処しやすい問題だからです。その他のテンプレ総合問題は、別の節、[[Wikipedia:井戸端#上記「テンプレートの位置について」の更なる説明|]]のほうへ分けました。だから、この節([[Wikipedia:井戸端#テンプレートの位置について|]]、および、そこから分節化した、この#ウィキソース等のテンプレの位置)では、以下のことしか聞いていません。

あらためてお伺いします。問題のすり替えや問題の矮小化やたらい回しや先送りなどではなく、一般読者・一般執筆者から見ての問題解決に真摯な管理者さんにのみ、もう一度、お伺い致します。河野談話などを見れば明らかなように、「中立の観点」など、意味不明・根拠不明の僭越なバッシングテンプレをページの最上段に置いておくくらいなら、その前に、一般読者および一般執筆者にとっては遥かに重要なテンプレートであるウィキソースやウィキクオートのテンプレートのほうをまず、ページの最上段に置いておくぐらいの配慮を示しておくべきではないでしょうか? -- BBBeaver 2007年5月4日 (金) 19:09 (UTC)[返信]

どうして、これを復活してしまったんですか?
一種の技術的な都合によるものです。井戸端がおかしな項目へ移動させられ、それに滅茶苦茶な上書きが行われました。本来なら、これについてrevertと移動(どっちが先でもいい)を行うところなのですが、誤って削除されてしまいました。それを別の管理者が復帰・再移動したのですが、この時に過去の履歴を復帰し忘れていました(削除されたままだった)。そこで、私はこの過去の履歴を復帰させてから再移動して井戸端に統合・復帰させました。ここで戻した過去の履歴で、最新の版が荒らしによる投稿分だった、ということです。
「釣り」云々は意味不明です。何かの勘違いじゃないですか。道路に生ゴミをぶちまけるような荒らし行為に対して、掃除するのは当然でしょう。
みんなが使う場所を使用不能にする行為を『悪質とは思えない』と公言するような感性は、どうにかしておく方が良いんじゃないかと思います。Wikipedia:索引における部分的差し戻しについては、あちらのノートでどうぞ。 -- NiKe 2007年5月5日 (土) 04:32 (UTC)[返信]
読んでると、荒らしそのものよりも、管理者として荒らし対応の不手際が大変だったんですねぇ。御苦労様です。それにしても、ここで問うている問題は無視し続けておいて、ずいぶんこじれさせてくれますね~。お互い様かもしれないし、「荒らし(悪質な投稿)」が悪いことだということは当初からこちらも分かっていますが、既に再三説明しておりますように、まず、私の問題とも関係しているなと私自身感じてしまった、ある意味、理解できる「荒らし」であったことを理解してください。また、「荒らし」版を差し戻して、あとは(図星の批判でなければ)知らんぷりしてればいいだけの「荒らし」を、どうしてNiKeさんは、「道路に生ゴミをぶちまけるような荒らし行為」と生々しく「悪質」に考えたがるのか、ここも疑問です。undoワンクリックで対応できる「荒らし」と、「道路に生ゴミをぶちまける行為」とは質的に全然違うと思います。あなたが、こちらにそう同一視させたがっているということだけはもう十分分かりましたが、残念ながら、人の感性・センス・倫理観まで無理やり支配したがっているということになると、そういういかがわしい「ファシズム」的言動のほうがよっぽど「悪質」な問題だ、ほとんどの人がそう考えざるを得ないだろう、だからNiKeさんはいまだに「荒らし」が仕掛けた「釣り」に引っかかり続けているということになってしまってますと再度説明させていただきます。(説明しても、無意味な人なのかなぁ...)とにかく、私は、残念ながら、直感でそういう問題だと感じました。今、私がここで取り上げている問題は、そういう問題ではありません。(間接的には、そういう問題とも絡んでいますが、)今私が取り上げているのは、姉妹プロジェクトへのインターウィキリンクの位置の問題です。 -- BBBeaver 2007年5月7日 (月) 17:18 (UTC)[返信]

あらためてお伺いします。問題のすり替えや問題の矮小化やたらい回しや先送りなどではなく、一般読者・一般執筆者から見ての問題解決に真摯な管理者さんにのみ、もう一度、お伺い致します。河野談話などを見れば明らかなように、「中立の観点」など、意味不明・根拠不明の僭越なバッシングテンプレをページの最上段に置いておくくらいなら、その前に、一般読者および一般執筆者にとっては遥かに重要なテンプレートであるウィキソースやウィキクオート等へのテンプレートのほうをまず、ページの最上段に置いておくぐらいの配慮を示しておくべきではないでしょうか? -- BBBeaver 2007年5月7日 (月) 17:18 (UTC)[返信]

意味不明テンプレを剥がす基準[編集]

#FirstPlaceノートを見ても独断・意味不明・根拠不明と思われる放置テンプレ(あるいは荒らしテンプレ?)を見つけた人は誰でも、それを貼った人と同様、独断・意味不明・根拠不明な態度ですぐに剥がしてしまってもよいのでしょうか? 『そのほうが合理的なんじゃないか』とも思うのですが、そういうことなら、そうさせていただきます。 -- BBBeaver 2007年5月7日 (月) 17:18 (UTC)[返信]

Wikipedia:荒らし#論争タグの不適当な使用 - 論争に決着が付いたと確信できない場合、それらを取り除かないでください。 -- Tietew 2007年5月8日 (火) 03:11 (UTC)[返信]
最低限、Aという意見、Bという意見が具体的に出ていれば、「論争」であることは誰でも分かりますが、タグあるいはテンプレートだけ貼られていて、「論争」が始まっているようにも見えないし、そもそも何らかの編集合戦があったようにも見えないし、また、その必要性がきちんと説明されているようにも見えないものに対しては、一般読者(一般執筆者)も剥がしてよい、ということですか? -- BBBeaver 2007年5月15日 (火) 00:50 (UTC)[返信]

上記「テンプレートの位置について」の更なる説明[編集]

上記、Wikipedia:井戸端#テンプレートの位置についてで一応、一つだけ要望してみましたが、この問題には、困ったことに、少なくとも四つの問題が重なっています。

  1. 一つ目は、ウィキソースやウィキクオートとインターウィキさせるためのテンプレ({{Wikisource|**|~~}})の位置の問題。
  2. 二つ目は、「中立性の観点」({{観点}})など、一般読者(執筆者)からすれば具体性や根拠不明・意味不明の、甚だ失礼で非常識なバッシングテンプレの位置の問題。
  3. 三つ目は、記事内容をバッシングしてるだけみたいな、つまり、「中立性の観点」({{観点}})などの、バッシングテンプレのあるべきあり方の問題。
  4. 四つ目は、河野談話などのように、それそのものが重要な原文は、「ウィキペディア」を「百科事典」と称している以上(左上のロゴを見られよ)、読者への便宜という意味だけではなく、ウィキソースやウィキクオートとかぶってでも、百科事典の記事の中で当然紹介されるべき内容として、その原文自体を(たとえ原文全文になるとしても)Wikipediaの記事本文にも当然明示すべきではないか、という問題。

この、少なくとも四つの問題について、(誰かが指摘してあげないと分かんないんだろうなぁ、この人たち、などと勝手なことを思いつつ、)早急に改善されることを希望し、要請しているわけですが、反論のある管理者さん、どなたか、いらっしゃいますか。反論のある管理者さんは、どういうことで、こういうおかしな事になってしまっているのか、私には全く分かりませんので、具体的に河野談話を例にとって明快に説明していただけると助かります。説明しやすいように、とりあえず、私のほうで節を作っておきます。--BBBeaver 2007年4月30日 (月) 02:57 (UTC)[返信]

インターウィキテンプレの位置の問題[編集]

たぶん、ほとんどの人が一般の検索エンジンでWikipediaの記事が上位にあるのを何度も目にしたことがあると思います。しかし、 検索のかなり下位のほうですら、ウィキソースウィキクォートの姉妹プロジェクトの記事を目にした人はほとんどいないと思われます。私自身全く記憶がありません。つまり、日本語版ウィキソース(日本語版ウィキ情報源)日本語版ウィキクォート(日本語版ウィキ著作物引用集)などは、ウィキペディア利用者のほとんどの人たちにとって、 不当なまでにかなり遠い存在なわけです。ウィキソースウィキクォートなどの姉妹プロジェクトがどのように存在し、どのように重要であるかは、日本語版ウィキペディアと比較すれば、まるで知られていないといっても何ら過言ではないと思われます。私自身、全く知りませんでした。もし、ある人たちが、日本語版ウィキペディア経由でこれらの姉妹プロジェクトに協力するようになるとすれば、明らかに、Wikipediaの記事にその姉妹プロジェクトへのインターウィキテンプレがあればこそでしょう。そういう意味で、率直に言って、インターウィキテンプレは、あらゆるテンプレの中で最も建設的なテンプレであり、極力、最上段に貼っておくべきです。どうして、その行きがかり上、姉妹プロジェクトの充実にも当然最も協力すべきであろうウィキペディアの管理者たちが、インターウィキテンプレを最上段ではなく、あべこべに最下段に置きたがっているのかが、全く分かりません。そもそもウィキペディア記事の最下段に目立たないように姉妹プロジェクトへのインターウィキテンプレが置いてあることを想定してウィキペディアを読み進む一般読者はいないと思われます。仮にそう想定して読む場合でも、そういう重要な基本情報は最初に目に入って来るほうがいいに決まっています。インターネット社会の現代では、(公的な人物の)公的な発言や公的な文書が日々公表され続けていますが、それらを蓄えるべき日本語版ウィキソースや日本語版ウィキクォート等が、日本語版ウィキペディアよりも遅れに遅れているというのは相当にマズイ現象ではないかと思われます。ということで、姉妹プロジェクトへのインターウィキテンプレは、ウィキペディア記事の中に優先的に最上段へ置いてもいい、勿論、節の中へ適宜配置してもよい、ということにしておくべきだと思います。それとも、ウィキペディアの管理者と姉妹プロジェクトの管理者がこっちの全くあずかり知らない敵対関係にあるというようなお恥ずかしい事情でもあるのでしょうか? -- BBBeaver 2007年5月7日 (月) 19:11 (UTC)[返信]

バッシングテンプレの位置の問題[編集]

バッシングテンプレのあり方の問題[編集]

肝心の原文を記事の中に当然示すべきだという問題[編集]

該当記事で本文を消した当人です。議論してた方が別件で投稿ブロックされそうだったので、反論できるうちにと思い速やかにやっちゃいましたが、まずかったでしょうか?(ノートには一応反論をお願いしますと書いたのですがね・・・反論なしのリベート[1][2]があったのみでした。)

なお、削除の根拠としては、Wikipedia:原典のコピーはしないを挙げております。かつ、私自身は、「ウィキペディア」を「百科事典」と称している以上、全文掲載はすべきで無い(リンクで十分。必要であれば要約or重要な部分を抜粋して引用)と考えています。

PS. 向こうのノートにも書きましたけど、Wikipediaにソースがあることを期待している読者なんて、一見さんはともかく、いないですよね?ソース置いてないのが基本なんですから-- Honeplus 2007年4月30日 (月) 04:57 (UTC) 追記、管理者ではありません。--Honeplus 2007年4月30日 (月) 05:00 (UTC)[返信]

これは、これは。ここでも、真摯なお返事、ありがとうございます。ご苦労様です。Honeplusさんのおっしゃってることも十分わかるのですが、河野談話履歴や、そのノートをすべて読んだ上で、『やっぱり、これは、一般読者・一般執筆者にとっては、見過ごせない変な問題だよなぁ』『しかも、あっちこっちの記事で起こるべくして起こる総合的な問題だよなぁ』と思って、『改善されたらいいな』ということで井戸端のほうに投稿してみただけです。
  • 河野談話の原文の場合は、実に微妙な表現をしておりまして、これが非常に多くの国際的誤解に生んでしまっていることも既に明らかであり、それについて整合性のある直接的で丁寧な解説が是非とも必要なところを、肝心の河野談話の原文がポンポン削除されてしまっていたら、誰もそれについて直接的で丁寧な解説をできなくされてしまっているということになります。そういう個々の問題が、個々の記事から原文本文が削除されてしまう場合、どんな場合でも必然的に生じてしまう可能性があると思います。
  • それから、どんな記事のどんな原文の場合でも、読者は、誰かの事前の解説によって洗脳されるべきではなく、真っ先に原文に当たるべきであるという普遍的な問題があります。そのため、私などは、原文を真っ先に確認したい方です。
  • 更に、他のテンプレとのバランスや記事の品格という総合的で人間的な問題があります。これは、総合的なセンスの問題ですが、「そういうこと、お願いですから、分かってくださいよー」とだけ言っておきます。とにかく、「一見」さんのほうが、こういう問題は瞬間的によく分かるんです。
  • 大体、その記事を初めて見た人は誰でも、その時だけは少なくとも「一見」さんです。何度もその記事をチェックし続けていたら、『これは要らない』『これはリンクしとけば十分』などという判断にもなり得るかもしれません。また、いろんな決まり事を知ってると、かえってそれを振りかざしたくなってしまうというのも人の性(さが)というものかもしれません。しかし、ほとんどの一般読者(一般執筆者)は、原文そのものを知っている人の場合でも、基本的に「一見」さんです。私含めて、まず、「一見」さんです。「一見」さんは、決まり事よりは、記事内容そのものを問題にします。そして、不合理だと思われる決まり事の改善などにいちいち付き合っているヒマはありません。もともと、「一見」さんには、『不合理にしか思えない決まり事を作った責任、およびそれを改善しなければならない責任は、まず、その変な決まり事を作った当事者たちにのみある。こっちは、記事内容を良くししたいだけだ』ぐらいにしか思ってません。だから、『こっちは管理者でもないのに、どうして、そんな変な決まり事にまで付き合わされなきゃいかんのだ? この人(たち)は、何故、そんな、明らかに変な決まり事まで強要したがるのだ?』『この記事は、原文が最重要に決まってるじゃないか!』『たとえウィキソースやウィキクオートとかぶっていても、この原文はこの記事の中に絶対含めておくべきなんだよ』『あとは、どうしてこっちがそうしたがるのかを自分で考えてくれれば十分だろう』というようになると思います。実際、そんなもんなんですから、分かってくださいよ。お互いの省エネ化のためにも。
  • 少なくとも、ウィキソースやウィキクオートへのインターウィキリンクは、最後までキッチリ読まないと分からない最下段の外部リンクのところではなく、記事ページの最上段に目立つように置いておいてもらいたいものです。この最後の問題に関しては、(お願いしたり説明したりすること自体がためらわれるほど)極めて簡単な話なんですから、お願いですから『ああ、なるほどね。そりゃあ、そうだね。ごめん、ごめん。早く言ってくれればすぐ対応したのに』てな感じで軽く了解してもらいたいものです。そういうことです。 -- BBBeaver 2007年4月30日 (月) 10:54 (UTC)、加筆2007年5月2日 (水) 03:04 (UTC)[返信]
Template:Wikisourceを下に置く明文根拠ってあります?慣習的になんとなくそうなっているというだけなら変えてもよいのかも、とは思わないでもないです。BBBeaverさんの他の主張や主張の仕方はほとんど同意できないですけどね。とりあえず、一見さんが執筆するのは歓迎されますけど、だからといって執筆者が一見さんで当たり前だみたいな胡坐の書き方はやめてもらえないですかね。メインページにわざわざ「基本方針に賛同していただけるなら、誰でも記事を編集したり新しく作ったりできます」と留保つきで書いてあるんですから。-- しゃっふる。 2007年4月30日 (月) 11:33 (UTC)[返信]
  • Template:Wikisourceを下に置く根拠ってあります?」って、そりゃこっちが聞きたいことです。最上段に置くほうが遙かに合理的な場合が多いことは明らかなんですから、しゃっふる。さんが「一見」さんのつもりでないなら余計、最上段の方に置くようにしてください。
  • 「執筆者が一見さんで当たり前だ」とは私は言ってませんが、事実は大体そういう解釈でいいんじゃないでしょうか。校正や決まり事偏重の「編集者」と、記事内容の追加修正重視の一般「執筆者」(一般読者)とは明らかに違う人種です。この、「編集者」と「執筆者」との根本的な違いを分かっていない人が日本語版ウィキペディアでは決まり事をいたずらに振り回し過ぎているような気がします。もともと、根本的には、そういう問題です。誰でもが文筆家(執筆家)になれるかといえば、人が時間を割いて読む価値のある文章を書ける人は、実際には極めて限られています。これは理解してもらわなければ困ります。わかりやすく言えば、誰もが松坂大輔と同じように投球でき、誰もが中村俊輔と同じようにパスを出せたりフリーキックしたりできるわけでは絶対ないということと理屈的には同じです。
  • Wikipedia:基本方針の絶対に外してはならない核心とは何か? まず第一に「ウィキペディアの目的は、信頼されるフリーな百科事典を――それも、質も量も史上最大の百科事典を創り上げることです」。このWikipedia:基本方針の核心に賛同していない(記事内容追加重視の)一般執筆者は皆無と思われます。しかしながら、校正や決まり事偏重の「編集者」の場合は、管理的なことばっかりやっている当事者なのに、残念ながら、あべこべに最も重要なWikipedia:基本方針の趣旨を外しまくっているように時々見受けられます。
  • Wikipedia:五本の柱Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいと、本家本元のen:Wikipedia:Five pillarsen:Wikipedia:Ignore all rulesを見比べると明らかに分かります。本来、Wikipediaの決まり事は、あくまで「信頼されるフリーな百科事典――それも、質も量も史上最大の百科事典を創り上げること」のための手段に過ぎず、そのルールがその手段として不適切に思われる場合は「ルールすべてを無視しなさい」というルールのほうが公的ルールです。この本家本元の公式ルールをいつまでも理解できず、いつまでも草案段階に貶め続けている決まり事偏重の人たちが日本語版ウィキペディアの管理をやっている限り、ほとんどの一般執筆者は、残念ながら、「一見」程度の存在に留まらざるを得ないと思われます。みすみす不当に不愉快な思いをしたい人は、そんなにはいないはずだからです。(加筆:つまり、『おかしな事が極めて改善されにくい状況にあるな』ということです。Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいが日本語版でも公式ルールとして認識されていない限り、今までの管理やその決まり事を当然のこととしてなじんできた人たちが、それを不思議に思った一般読者(一般執筆者)からの問題提起に対し、それを正当かつ十分に理解し、感情的反発を抑えて柔軟かつ合理的に対応していくということは、かなり困難なはずと私自身容易に想像できるからです。)
  • 一般「執筆者」を否定するような校正をしたり、バッシングテンプレを乱暴に貼り付けたり、一般執筆者側の極めて簡単な事情すら理解しようとせず杓子定規に決まり事を持ち出したりする「編集者」のほうが、どういう種類の文章を編集する場合であっても妨害者にしかなっていないということは、社会的にも、もともと極めて自明なことです。したがって、既に説明した通り、そういう決まり事偏重の「編集者」のほうが、Wikipedia:基本方針においても、執筆妨害的なことをしている以上、Wikipedia:基本方針に反していることは明らかだと思います。(加筆:締め切り以外は、「編集者」のほうが「執筆者」のほうに合わせて、足らざるところを補ったり誘導したりしていくほうが、どんな場合でも無難だろうと思います。とんでもない「執筆者」も中には当然いるでしょうが・・・)。
  • 残念ながら、一般執筆者は、管理者権限を持っておりません。「権限を持っていない者が、責任だけは、権限を持っている者と同等かそれ以上に持たなければならない」、つまり、「管理者でもなく、管理者の権限も持っていない者が、管理者と同等か、管理者以上に管理の決まり事について苦労しなければならない」などというような不公正極まる主張をしゃっふる。さんがお持ちだというのであれば、そういう不公正で非社会的な考え方は、到底社会では受け入れられないだろう」とだけ申し上げておきます。「管理者」としてそれ相応の責任を果たせない者が、その権限だけは行使しているなんて人ばっかりが「管理者」やってるんですか? もしそうなら、それは余計「管理者」だけの問題です。一般執筆者の問題ではあり得ません。権限を特別に持つ者には、その権限の分だけ、当然、特別な義務が伴うべきであることは自明だからです。特に管理の決まり事に関しては。でなければ、公正とは、とても言えません。義務を余計に果たせない程度なのであれば、そういう人は、結局、タチの悪い暴君に過ぎませんから、その権限を、当然、放棄する(させる)べきでしょう。
  • それに、ここの管理者の仕事って、一般執筆者とまともに対話し、まともに理解し、励ますか、了解するか、誘導すればいいだけの話なのに、あべこべに、いちいちケチを付けてケンカを売ったり、人がせっかく書いた文章を削除したり、焚きつけておいてブロックしたりしている人ばっかりが目立つように見えます。モッタイナイ話です。一般執筆者がせっかく築いているWikipediaの信用性を、「管理者」や「編集者」がわざわざ台無しにしてるんですから。
  • それから、しゃっふる。さんの言った「他の主張や主張の仕方はほとんど同意できないですけどね」という部分についてですけどね、しゃっふる。さんのそういう「主張や主張の仕方」に同意できる一般執筆者(一般読者)のほうが、私はいないと思います。前段でも申し上げた通り、明らかに意味不明・根拠不明・「ファシズム」的ですから。
  • しゃっふる。さんは、感情論と、理性的な説明をごちゃ混ぜにしてませんか? そういう基本的なことをまず、理解し、混同しないようにしてください。もし、しゃっふる。さんに、本当に「他の主張や主張の仕方はほとんど同意できない」と言い得る総合的に筋の通った根拠があるのでしたら、感情的な結論のほうではなく、理性的な説明のほうを、まず、こちらに分かるように説明するはずです。もともと、こちらは、意味不明・根拠不明・「ファシズム」的な結論のほうではなく、理性的な説明のほうのみを求めています。「同意できないですけどね」などと感情的にケンカを売られてるだけだったら、『ここの管理者は、ますます意味不明・根拠不明・ファシズム的なひどい連中だなぁ』ということにしかなりません。まず、求められている理性的説明の方をしゃっふる。さんは説明してください。しゃっふる。というアカウントがもし管理者のWikipedia:サックパペットでないのなら、しゃっふる。さんの「主張や主張の仕方」は、こちらには、ますます意味不明で根拠不明で理解不能です。しゃっふる。さんは、まず、自分の主張について、自分自身で説明すべき理性的説明のほうを説明してください。もともと、それが求められてるんですから。 --BBBeaver 2007年4月30日 (月) 15:02 (UTC)、加筆2007年5月2日 (水) 03:04 (UTC)[返信]
いや、感情的に何の考えもなしにわざわざ井戸端に書き込むわけないじゃないですか。いろいろ考えてはいても、それをいちいち全部書き表す必要があるときとないときがありますから、とりあえずは端的に書いたというだけのことです。それを「意味不明でファシズム的」とか「管理者のソックパペット」だとかいわれるその決め付け方のほうがよっぽどファシズム的ですよ。理性的に書くことはもちろんできますが、今はとりあえずあなたの長文にいろいろ萎えてしまったので、ちょっとお時間をいただきますね。一両日中には書きます。--しゃっふる。 2007年4月30日 (月) 15:32 (UTC)[返信]
まぁまぁ、そんなに怒らないで。よく読んで。いくらなんでも「端的」過ぎたんですよ。それに、乱暴な「決め付け」は、こちらは全然してないつもりです。よく読んで。しゃっふる。さんて、ここの「管理者」に立候補したくて「編集者」を一生懸命やっていた人なんですかね? それなら、話はかなり分かります。そんなに気を落とさないで。ともかく、これを糧(かて)に、「管理屋」ではなく立派な「管理者」になってください。そう申し上げておきます。 -- BBBeaver 2007年5月2日 (水) 03:04 (UTC)[返信]
Wikipedia:Template_メッセージの一覧/姉妹プロジェクトで、テンプレを貼る場所は指定されています。誰が決めたかは知りませんが、きっと英語版あたりで作られた時に決められたのでしょう。まあ姉妹プロジェクトへのリンクは外部リンクの一種ですから、妥当な位置であろうと思います。どうしても本文中あるいは冒頭で誘導したいのなら、そのプロジェクトの該当項目へのリンクを置けば良いだけのことです(記法はWikipedia:編集の仕方#言語間リンク・他プロジェクトへのリンクを参照)。 -- NiKe 2007年5月1日 (火) 03:05 (UTC)[返信]
  • ことわざの{{Wikiquote|日本の諺}}の位置を見てどう思いますか? こちらのほうが一般読者にとってははるかに妥当な位置であろうと思います。
  • それに、姉妹プロジェクトへのリンクを「外部リンクの一種」などと強弁するのもどうかと思います。 -- BBBeaver 2007年5月2日 (水) 03:04 (UTC)[返信]
すいません。昨日はあのように書きましたが、どうもBBBeaverさんの書き込みが喧嘩腰に感じまして、反論を打とうと考えれば考えるほど冷静さを失っていくのが自分でもわかりますので、書き込みは控えさせていただきます。私の書き込みはなかったものとするか、もしくは私をけちょんけちょんに罵ってくだされば結構です。失礼しました。
あ、Nikeさん、名文根拠の提示、ありがとうございました。--しゃっふる。 2007年5月1日 (火) 10:31 (UTC)[返信]
そりゃあなた、いくらなんでも卑下しすぎですよ。よわっちゃうなぁ~。ほとんどの人は、私含めて、『ここの管理者が言うであろう事を、あなたが代わりに言ってくれたなぁ』ぐらいにしか思ってないと思います。おかげで、極めて反応しにくいであろうはずの問題提起であるにもかかわらず、今のところ、あなただけが立派に井戸端会議を成立させてくれています(今のところ、管理者のほぼ全員が無責任にも無反応のままでいることと比較すれば、あなたの態度ははるかにマシです!)。しかも、不利な立場の当事者であるにもかかわらず、ここで問題提起されていることをめざとく見つけ、素早く、それなりに真摯に反応していただいていることは明らかです(あぁ、それで思い出した。『河野談話に限った話じゃないのに、河野談話のノートなんかで問題提起したりすると、個人攻撃っぽくなるし、ただでさえややこしい問題なのに余計ややこしいことに巻き込まれることになるな』などと考えて、ここ井戸端で問題提起したのでした)。しゃっふる。さんには、あらためて大変ありがとうございましたと申し上げておきます。 -- BBBeaver 2007年5月2日 (水) 03:04 (UTC)[返信]
他人の投稿をぶったぎってレスしないで下さい(戻しましたが)。それと、既にレスがついている過去の発言を、後からチョコチョコと書き替えるのも止めて欲しい(誤字・脱字程度ならともかくも)。 -- NiKe 2007年5月2日 (水) 03:58 (UTC)[返信]
しゃっふる。さんへ。上のようなレスが本当の「喧嘩腰」。私は真面目に説明しているだけ。 -- BBBeaver 2007年5月14日 (月) 22:16 (UTC)[返信]
[[[利用者:NiKe|NiKe]]さんへ。[利用者:しゃっふる。|しゃっふる。]]さんが、私とあなたの両方に返事を書いていて、しゃっふる。さんが「私の書き込みはなかったものとするか、もしくは私をけちょんけちょんに罵ってくだされば結構です。失礼しました(#Shitsurei)」と言ったすぐあとに私の返事を入れなければ文の続き具合が大変おかしくなると判断したためです。それから、NiKeさんから「何を問題にしているのか、論点が明確でないと感じます」(#Ronten)などと批判されているのに応えて文を多少読みやすく整え直す必要性に応えただけです。はっきり言って、[[[利用者:NiKe|NiKe]]さんのために間に割って入って、。[利用者:しゃっふる。|]]さんに返事をし、[[[利用者:NiKe|NiKe]]さんのために誤字脱字を修正しつつ文章を分かり易くしようとしただけです。しかも、文意を全く変えることなく日本語的な上手く無さを修正しただけです。NiKeさん自身、短文でも、えっと思うような修正を行なっているわけですから、何ら問題ないと思います。全91字中28字(3割)がレッド、しかもタイムスタンプ偽装工作。タイムスタンプの偽装工作はいくらなんでもダメだと思いますよ。詳しくは、利用者‐会話:BBBeaver#あなたの投稿スタイルはおかしいをご覧ください。他にもNiKeさんと性向のよく似たアカウントが幾つかありますが、NiKeさんは、曲がりなりにも「管理者」である以上、一期一会の精神で友好的かつ理解力ある態度で冷静に対応していただきたいと思います。 -- BBBeaver 2007年5月14日 (月) 22:16 (UTC)[返信]
え~と、すごい長文が書かれてしまっているので、私の発言への返信にだけ返信します(他は斜め読み)。
  • >河野談話の原文の場合は
    最初の発言にも書いていますが、そういう場合は必要な箇所だけ「引用」すれば足りるのでは? あえて全文掲載する理由は無いですよね?
  • >それから、どんな記事のどんな原文の場合でも、
    考え方には同意します。が、ここはWikipediaです。原文を収集しているのは姉妹プロジェクトのWikiSourceです。仰られているように、WikiSourceへのリンクの位置を改善する必要はあるかもしれません(その議論は他の方にお任せします)。ですが、原文を載せるというのは、Wikipediaの目的から外れた使い方でしょう。
  • >更に、他のテンプレとのバランスや記事の品格という
    バランス的にも特に問題なく、むしろ原文が記述されているのは冗長である、と感じます。こちらも、分かってくださいよー、と言いたい気分です。まぁ、センスは人それぞれだから仕方ないんですけどね・・・必要なら多数決?
  • >大体、その記事を初めて見た人は誰でも、
    申し訳ありませんが、実際、そんなもんなんですから、分かってくださいよ。と言われても、さっぱり同意できません。そもそも私が言った一見さんは「読者」で、かつ記事の一見さんではなく「Wikipediaの一見さん」のつもりでした。少しでもWikipediaを利用した経験があれば、Wikipediaの記事は 1. 基本的に原文は載っていない、2. 原文などへのリンクは一番下、というスタイルであることは判ると思います。一度把握してしまえば、困ることはないでしょう。なお、執筆者が一見さんというのは・・・論外では?
  • >少なくとも、ウィキソースやウィキクオートへのインターウィキリンクは、
    というわけで、私としては現状の一番下というスタイルでも別段問題ないと考えます。もっとも、確かにWikiSourceはその性質上記事の一番右上とかもいいかな、とも思いますけど。これについては、正直変にならなければどっちでも・・・。
以上です。要約すると、「Wikipediaの役割ではない」し「載せないことこそが読者のため」ということです。後者については主観が絡む部分なので、たぶん議論しても平行線だと思います。ですので、発言はこれっきりにしようと思います。一意見としてご参考ください(前者についてであれば、議論についていけそうなら返信します)。--Honeplus 2007年5月3日 (木) 12:53 (UTC) ちょっと訂正--Honeplus 2007年5月3日 (木) 13:03 (UTC)[返信]