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Wikipedia:コメント依頼/Trca

利用者:Trca会話 / 投稿記録 / 記録氏の行動について、コメントを依頼します。特に記事の発展に対する非協力的姿勢と不適切なTemplate:特筆性タグの濫用、また「インターネット前」の事物で短時間に出典を用意するのが困難な内容の記事に対する一連のクレームについてです。--江東琴会話2012年10月19日 (金) 06:08 (UTC)[返信]

経緯

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以下は依頼者が初版を投稿した特定事例であり、依頼者が編集に関与していないものを含めると類似の事例は枚挙に暇が無いと思われます

依頼者が輝け潮流ノート / 履歴 / ログ / リンク元を投稿したところ、被依頼者は即座にTemplate:複数の問題を貼付すると共に依頼者の会話ページに「出典や特筆性の無い記事を投稿するな」と言う趣旨のクレームを書き込みました。依頼者は被依頼者(に限らず複数人の特定編集者)の特筆性タグの使用方法にかねてから疑問を抱いていたのと、記事の解説対象がいわゆる「インターネット前」に属するものであるため直ちに「出典無効」とされないような(個人サイトで公開されている類ではない)二次資料を揃えることは困難であると判断し、Wikipedia:削除依頼/輝け潮流を提出しました。「当時の資料を引用可能な編集者によって加筆が為された結果、ケースEに該当しなくなったと言う判断が為されればそれに越したことはないし、そうでなければ削除もやむなし」と考えてのことです。加筆依頼も薦められましたが、被依頼者の態度から見て有効な手段ではないと考えてまずは現在進行中の削除依頼の結論を待ちたいと思います。念のために補足すると、解説対象の曲がメジャーレーベルの日本コロムビアから発売されたシングルに収録されている事実に関しては商業出版社である音楽出版社が運営するCDジャーナルのデータベースについて初版からリンクを提示しており、その強弱は別にして二次資料が皆無と言う訳ではありません。 --江東琴会話2012年10月19日 (金) 06:08 (UTC)[返信]

依頼者の見解

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Wikipediaに記事投稿を始めてから、特筆性タグを貼られたり記事が削除されたりした経験はありますし編集内容に関して疑問やクレームが付けられたこともありますが、今回のように初版の投稿内容そのものに関して「出典や特筆性の無い記事を投稿するな」と会話ページにクレームを入れられたのは初めてであり、どうして「完成度も解説対象の価値も低い」と酷評されなければならないのかと衝撃を受けました。これがTemplate:出典の明記Template:独自研究であればまだ受け入れられたと思いますし、いずれ有意の出典が追加される可能性も高いでしょう。しかし、被依頼者は客観的に見て特筆性タグでなく加筆依頼の提出や出典の明記・独自研究などのタグ使用に留めるべき完成度の記事についても個人の主観と偏見に基づいて特筆性タグを濫用し、解説対象を貶めて記事の発展を阻害するような乱暴極まりない編集を繰り返しているように見えます。何より、記事の内容が全くの虚偽であるような場合ならばまだしも、記事の完成度について利用者ページにクレームを入れる行為は明らかに行き過ぎであると感じます。「初版投稿者は最初から完成された記事しか投稿してはならない」とでも言いたいのでしょうか。 --江東琴会話2012年10月19日 (金) 06:08 (UTC)[返信]

  • コメント まず第一に、被依頼者の特筆性タグ貼付に関する判断は会話ページで何度も同様のクレームが繰り返されていることを見てもわかるように、非常に粗雑です。個々の案件についてはケースバイケースで特筆性タグの貼付が妥当なケースも含まれていると思うのでここでは取り上げませんが少なくとも、有意の出典追加を促すような形で使用されているとは思えません。不十分な形での投稿とならざるを得ないのであれば初版から加筆依頼を提出すべきであったと言うのであれば、それは依頼者の非に帰する問題であり同意せざるを得ませんが、特に今回の記事を目の敵にした形で利用者ページにクレームを入れる行為は「たまたま閲覧した新着記事の完成度の低さに驚き、義憤にかられた」としても明らかに行き過ぎだと感じます。今回の記事の場合、例えば1991年当時の神戸新聞やデイリースポーツ、週刊ベースボール、その他選手名鑑などの資料を当たれば検証可能性を充足する可能性が高いはずの性質のものであり、依頼者も初版投稿の時点からその認識はありました。しかし、直ちにそうした紙媒体の資料に当たるのが物理的に困難な状況なので最低限、メジャーレーベルから発売された音源が存在する事実の外部言及を用意し、他の編集者から当時の資料に関する加筆が期待される蓋然性が高いと判断して立項に踏み切ったものです。依頼者は以前に「特筆性を欠いている」と言う文言は特に個人や団体に対する名誉毀損と成り得るとの認識より、せめて先に修正された特筆性タグの「特筆性の基準を満たしていない」と言う文言へ複数の問題タグやカテゴリを含めてに全面的に改めるべきだと言う提案を行い(議論)、その通り修正されましたが文面の修正後も被依頼者を含む粗雑な判断を基にした特筆性タグの濫用に起因する編集者間の軋轢は余り改善されていないように感じます。これ以上は被依頼者だけの問題ではなくなるので最小限に留めますが、他の編集者からも何度か意見の挙がっている「特筆性」なるWikipedia独自の造語が持つ必要以上の攻撃性がこの軋轢の一因となっている可能性を否定し切れないので、将来的には現在と同じ定義であっても「掲載基準の充足に関する証明(の不足)」など別の言い方を考えることも視野に入れるべきではないかと考えています。 --江東琴会話) 2012年10月19日 (金) 18:00 (UTC) 「議論」節から移動しました --Calvero会話2012年10月20日 (土) 05:37 (UTC)[返信]
  • 一点だけ弁明します。自己主張のゴリ押しと取られるのは自由ですが、早期に有意の出典が追加されて問題が解決するに越したことは無いと言うのが最優先の動機です。ゴリ押しというのは何が何でも記事を存続させたいと考えているような場合ならば該当するでしょうが、削除依頼によりリミットを設けて審議期間中に情報提供が無ければ削除もやむを得ないと言う認識があるから削除依頼の提出と言う手段を選択せざるを得なかったと考えています。 --江東琴会話2012年10月20日 (土) 03:36 (UTC) 「議論」節から移動しました[返信]
  • コメント Wikipedia‐ノート:特筆性で昨年12月に行った提案について。他の編集者から賛同を得られなかったのでその時点で終結したものと承知しており、今回の議論において(同根の問題であることまでは否定しませんが)直結するものではないと理解しています。 --江東琴会話2012年10月20日 (土) 06:39 (UTC)[返信]

提案

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第三者コメントで挙げられた依頼者が初版で提示しなかった資料について、出典無効となるかどうか開示されなければ判断が出来ないと言う点に回答します。最低限の定義に関する外部言及として存在することが挙げられるのは、日本スポーツ出版社(2007年以降は廣済堂出版に発行元が移っているが、記事の解説対象とは関係しないので除外して考える)から毎年必ず発行されている『12球団全選手カラー百科名鑑』(1999年までは『プロ野球カラー写真名鑑』)です。この名鑑には必ず掲載されています。しかし、出版物の性質上、1冊に対象を絞るのが困難であり、また依頼者の手元に現物がないので依頼者自身では具体的なページ数を提示することが出来ないのが難点です。どの年度の版を用いるかは別にして、当該資料に球団歌として掲載されている事実を提示することが許容されるかどうか判断を仰ぎたいと思います。「ページ数すら提示出来ないようなものは有意の出典として認めない」との意見が多数であれば、削除もやむを得ないでしょう。 --江東琴会話) 2012年10月20日 (土) 03:36 (UTC) 「議論」節から移動しました --Calvero会話2012年10月20日 (土) 05:37 (UTC)[返信]

論点

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「インターネット前」の事物について被依頼者を含む複数人の編集者により特筆性タグが濫用され、最悪の場合は記事破壊すら引き起こしている問題についてはかねてから多くの編集者が認識しているのではないかと思います。客観的に見ても被依頼者は記事の発展を阻害しかねない形での特筆性タグの濫用が顕著であると強く感じるので、依頼者以外の編集者が同様の問題に直面した事例の報告と対処を含めて皆様のコメントをお願いします。 --江東琴会話2012年10月19日 (金) 06:08 (UTC)[返信]

被依頼者のコメント

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依頼者コメントにある、輝け潮流の件に関してコメントします。それ以外に関しては、個別に具体的な指摘のあった際にコメントします。

はじめに、依頼者のコメントに事実と異なる点があることを指摘しておきます。依頼者は、「(前略)「出典や特筆性の無い記事を投稿するな」と会話ページにクレームを入れられたのは初めてであり、どうして「完成度も解説対象の価値も低い」と酷評されなければならないのかと衝撃を受けました」とコメントしています。しかし、私が依頼者の会話ページにご案内した(利用者‐会話:江東琴#出典を提示してください)のは、出典明記のお願いと独自研究に関する注意喚起のみで、特筆性や記事の完成度、まして解説対象の価値に関しては一言も触れておりません。「投稿するな」と表現されるような強い言葉も使っておりません。カギカッコは通常、文章の引用に用いられますが、今回の依頼者コメントに含まれるカギカッコは、私のコメントの引用でも要約でもないことに注意してください。実際のところ、この案内文はWikipedia:案内文の文例をわずかに改変したもので、出典の不十分な編集をした利用者に対する案内としては標準的なものです。依頼者がこのように強く感情的な反応をなさったことに驚いております。

当該の記事の出典はCDジャーナルのデータベースのみです。このデータベースには、CDの基礎的な情報が収録されているだけです。記事主題の楽曲に関しては、タイトルと歌手名以外の情報はありません。したがって、記事に含まれる情報の大部分(応援歌制定の経緯、曲調の評価)は出典のないものです。基礎的な情報のみのデータベースでは、Wikipedia:特筆性#一般的な特筆性のガイドラインの求める「有意な言及」とみなすことはできません。また、充分に出典が示されていないため、Wikipedia:特筆性 (音楽)#楽曲の「検証可能性のある多くの情報源に基づいた、合理的で詳細な、百科事典として十分な記事」ともみなせません。しかし、著名な音楽家によるプロ野球チームの応援歌という事情を考えると、時間が経てば資料が得られる可能性はあるので、早急に削除依頼や統合提案を提出するべき案件ではないと判断しました。そこで、Wikipedia:特筆性#特筆性のガイドラインを満たしていない記事に従い、テンプレートを利用した対処を行いました。

以上のように、この件に関して、私はとくに不適切な行為を行ったとは考えていません。

なお、依頼者は「インターネット前」の事物であることを強調されていますが、いつの時代の事物に関しても検証可能性等の方針の適用外とはなりません。もちろん、時代を問わず、ネット上の情報が乏しい記事主題は珍しくありません。私は知名度の低い生物の記事をいくつか手掛けてきましたから、そのことはよく知っています。言うまでもありませんが、そのような場合には、紙媒体の資料を利用すればよいのです。--Trca会話2012年10月19日 (金) 07:16 (UTC)[返信]

現時点では、依頼者以外の参加者の方々には、私の行動が方針に沿ったものであると認めていただけているようで、安心しております。さて、依頼者がなぜか、依頼者コメント欄でなく下の議論欄に再コメントをなさっているので、そちらに対して返答します。

  • 依頼者の意図や加筆の見込みなど知りようがありませんから、私に認識できたのは、明らかに(その時点で)出典の不十分な記事が立項されたという事実のみです。そのような場合に、タグの貼付と投稿者へのご案内を行うのは標準的であり、特別な対応ではありません。「たまたま閲覧した新着記事の完成度の低さに驚き、義憤にかられた」などという事実はまったくなく、依頼者の憶測にすぎません。ただ、方針を順守しない記事(非常に残念なことに、現在のJAWPにはありふれています)に対する通常の対応を行ったまでです。私は複数の利用者に対して同様のご案内を差し上げていますが、これほどに強く感情的な対応をされたのは初めてです。依頼者にはもう少しWikipedia:善意にとることをお願いしたく思います。
  • 私の特筆性タグの使用が粗雑であるとのご意見ですが、具体的にどの記事のどのタグがなぜ粗雑であるのか、説明を願います。依頼者のコメントは印象論に終始しているため、私としては対応のしようがありません。
  • 依頼者が「特筆性」の語に強い嫌悪感をお持ちなのはわかりますが、そのことに関する議論はWikipedia‐ノート:特筆性等で行うべきであり、私個人に対するコメント依頼でご意見を表明されても、やはり対応できません。--Trca会話2012年10月20日 (土) 00:46 (UTC)[返信]

依頼から2日も経たないうちにまとめられてしまいました。利用者へのコメント依頼が、これほどまでに早く終了することは珍しいのではないでしょうか。依頼者に対して申し上げたいことはいくつもありますが、依頼者ご自身が反省の意志を表明なさっていることから、現時点では胸の内に留めます。ただし、下の「提案」節において、依頼者から私を名指しした質問があるので、依頼終了後ではありますが、これに関連する件のみコメントします。

さて、「12球団全選手カラー百科名鑑」「プロ野球カラー写真名鑑」なる文献が出典となるかどうかとのご質問ですが、これは検証可能性等の方針を理解し、なぜウィキペディアの記事は出典を提示しなければならないかを把握していれば、まったくの無意味であることが直ちにわかる質問です。出典は飾りではなく、記事に記載された情報源の検証可能性を確保し、ひいては記事の信頼性を保つためのものです。ですから、この資料に問題の記事の裏付けとなる情報が記されているならば、もちろん出典とするべきです。逆に、もしそのような情報がないのに出典として記載すれば、虚偽の出典提示となり、ウィキペディアの記事の信頼性、そしてウィキペディアン間の相互信頼を大きく損なう非常に悪質な行為です。

上記のことを理解していれば、「「ページ数すら提示出来ないようなものは有意の出典として認めない」との意見が多数であれば、削除もやむを得ないでしょう」なる依頼者のコメントが、いかに荒唐無稽であるかが容易にわかります。大事なのはページ数が提示できるかどうかでなく、編集者が資料を閲覧し、記事の裏付けとなる情報を確認しているかどうかです(もちろん、確認していればページ数は提示できるはずですし、提示したほうが望ましいのは間違いありませんが、これは二次的なことです)。もし、この依頼者の発言が、自分の目で見ていない資料を出典として記載することを検討した、という意味であれば、検証可能性や出典明記の意味について、改めて確認していただきたいと思います。同時に、もし過去にこのような行為(確認していない資料を出典とする行為)を行っているとしたら、直ちに、当該記事のノート等にそのことを表明してください。

依頼者のご質問は、単に出典として用いることの是非だけではなく、特筆性の根拠として充分かを問うたものと思われますが、これに関しても資料の内容が確認されない限り、判断は不可能です。一般論での回答となりますが、その資料がWikipedia:特筆性#一般的な特筆性のガイドラインの求める、対象とは無関係な信頼できる情報源からの有意な言及であれば、特筆性の根拠となります。--Trca会話2012年10月21日 (日) 07:39 (UTC)[返信]

議論

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  • (コメント)Trcaさんの行動は方針に沿ったものであり、まったく無問題です。Trcaさんの問題というよりも江東琴さんの問題です。江東琴さんは根本的に特筆性と検証可能性が分かってないのではないでしょうか?ネットだろうが図書館であろうが出典を提示することが困難なことは書いてはいけません。それを書いてしまうからタグを貼られたりするのです。まず最初にきちんとした資料があることがスタートです。きちんとした資料があって初めて執筆に入れるのです。そうでなかったら何を書いているのでしょう?不確かな情報源または曖昧な記憶で書いているという事になりますね。「いいや、俺の記憶は確かだ」と言われても貴方の記憶力を信じる理由がどこにありましょう?また、江東琴さんが提示した“オリックス・ブルーウェーブ・イメージソング 〜 リトル・ネプチューン”. CDJournal.com (音楽出版社). http://artist.cdjournal.com/d/-/1294120638 2012年10月18日閲覧。 が何を語っているのでしょうか?輝け潮流の特筆性や記事内容を何ひとつ担保していません。
検証可能性がどうしても守れない人はWikipedia:投稿ブロック依頼/ノーザン123Wikipedia:投稿ブロック依頼/綿毛のような事にもなりかねません。私には江東琴さんはとてもノーザン123さんや綿毛さんに近いところにいるように思えます。--ぱたごん会話2012年10月19日 (金) 10:30 (UTC)[返信]
  • (コメント)Trcaさんの行動はウィキペディアの検証可能性の基本に沿ったものだと思います。問題とされたCDJournal.comには曲名など基本データ以外の情報がなくとても資料といえるものではありません。次にそのことについて執筆者に知らせるために会話ページに書き込むことはウィキペディアでは一般的であり、また言葉づかいもごく普通でありとてもクレームといえるものではないと思います。このようにこれはむしろ江東琴氏の問題であると判断します。江東琴氏が出典についての理解と他の利用者のコミュニケーションについて見直さないかぎりウィキペディアへの参加には向いていないように感じます。--みや1229会話2012年10月19日 (金) 11:52 (UTC)[返信]
  • コメント コメント依頼から参りました。Trca様の行動は何も間違っていないと思います。これが新規参加者であればともかく、江東琴様は長年Wikipediaに貢献されてきた方ですよね。なお、独自研究タグではなく特筆性タグが貼られている理由は、「特筆性が無い」からではありません。Wikipedia:特筆性を読み返されれば、御納得頂けると思います。次に会話ページにて御注意されたのは、クレームではなく親切だと思います。江東琴様に何か特別な事情があれば、それをタグを貼られたTrca様に訴える事ができる機会なのですから。「インターネット前」と仰いますが、出典を揃えてから記事を書くのが当然でしょう。最後に貴方様が、ぱたごん様が挙げられた方のような運命を辿らない事を心配申し上げます。--JapaneseA会話2012年10月19日 (金) 12:13 (UTC)[返信]
  • コメントJapaneseAさんのコメントを見て私も追記したほうがいいと気が付きました。Trcaさんも私も「この主題にはどのようにしても特筆性があるはずない」と言ってるわけでなく「記事対象とは無関係な信頼できる情報源による有意な言及によって特筆性が検証可能な形で示されていない」と言っているのです。それがwikipediaにおける特筆性です。--ぱたごん会話2012年10月19日 (金) 12:44 (UTC)[返信]
  • コメント 私は以前依頼者に対し、自分の投稿した記事に出典を付けるよう言ったことがあります[1]。自身の振る舞いを何ら改善せず、記事空間や削除依頼を使って自己の主張をゴリ押しした上、方針に則った助言にコメント依頼で返すという依頼者の行動こそ問題があります。被依頼者には問題を認めませんのでコメントしません。- NEON会話2012年10月20日 (土) 02:20 (UTC)[返信]
  • コメント 依頼者が指摘しているような問題点は確認できませんでした。Wikipediaの方針と、共同作業に相応しい行動かとの観点から、そう判断します。なお、ここは被依頼者の行動に対するコメント依頼の場なので、特筆性の運用に対する独自の演説や考えを語るなら適切な場所でお願いします。さしあたって、江東琴さんの被依頼者の行動に対する解釈は多くの意見で否定されていることだけご理解下さい。自分の考えに合わないからといって、相手が間違っていると考えてはいけません。双方のためにも、これ以上の軋轢を招かないようにお願いいたします。そのためにはWikipedia:善意にとるのガイドラインが依頼者の助けになるかと思われます。--Sikemoku会話2012年10月20日 (土) 02:41 (UTC)[返信]
  • コメント 依頼者によれば「被依頼者の特筆性タグ貼付に関する判断は会話ページで何度も同様のクレームが繰り返されていることを見てもわかるように、非常に粗雑です」とのことですが、そうは思えません。タグを貼付するのは、特筆性の基準を満たしていない、すなわち特筆性があることを示す出典が提示されていないためであり、またちょっと探せばすぐに出典が見つかるような記事にやたらにタグを貼っているということもありません。「何度も同様のクレームが繰り返されている」のは単に、貼り付けた記事の投稿者がウィキペディアにおける特筆性について理解していないというだけのことです。--Calvero会話2012年10月20日 (土) 06:04 (UTC)[返信]
  • コメント 依頼者の「一点だけ弁明します」についてコメント。「ゴリ押し」というのは「タグの使い方が間違っている」という点についてなので、弁明になっていないと思います。依頼者についてのコメントになってしまうのですが、「要は特筆性を理由にした削除依頼が乱発されるような事態を防ぐことが問題提起を行った理由だった」(Wikipedia‐ノート:特筆性、江東琴さん、2011年12月7日 (水) 11:59 (UTC))だそうですが、これはどうなったのでしょうか。「削除依頼の提出と言う手段を選択せざるを得なかった」という結論とは矛盾すると思います。タグを貼って様子を見ることが、「特筆性を理由にした削除依頼」を提出せずに済ませる方法なのではないでしょうか。--Calvero会話2012年10月20日 (土) 06:04 (UTC)[返信]

コメント これまでの議論状況から、このまま終了でいいだろうと思われます。--GDSTCB会話2012年10月20日 (土) 22:16 (UTC)[返信]

まとめ

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発端となった記事の改善に関して依頼者の側からこれ以上の材料提供が現状では困難であり被依頼者との合意が早期に図れる可能性が無い以上、議論を長期化させることは本意ではないので今回の依頼はこれで終了とします。結論から言うと、依頼者は問題の存在が被依頼者の編集ではなく特筆性タグの方にあると認識すべきでした。現行のタグ使用に関して「記事の発展に非協力的である」とか「判断が粗雑」と言う印象を依頼者が抱いたのはタグの方に原因があり、被依頼者の責任に帰すものではなかったことについて依頼者は率直に認め、被依頼者にご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。

そのうえで被依頼者に要望したいのは、被依頼者の側がそのような意図で特筆性タグを使用していないのだとしても、現在の特筆性タグには使用の状況や対象により解説対象の社会的信用を低下させる意図が疑われる場合があると認識される可能性を考慮していただきたいと言うことです。Wikipedia内部の方針としては正しくとも、編集に関与しない閲覧者にとってはこのタグが貼られている記事の解説対象は"社会的に"無価値ないし価値が低いものでへしかないと言う印象を抱かせかねないのが現在の特筆性タグであり、依頼者が「欠いている」と言う文言を先に修正されたタグの方に合わせる形で複数の問題タグとカテゴリについても修正を提案したのは、そうした問題意識に基づく改善提案の一環でした。被依頼者自身が解説対象に何らの偏見も抱いていないと言うのが真実であっても(その認識に関しては争いません)、編集に関与しない読者はそう認識しない場合が往々にしてあると言う点について今後のタグ貼付に当たりご一考いただきたいと願います。

当該記事に関しては、削除依頼に諮って今後の判断を仰いでいるので存続かリダイレクト化となった場合は直ちに加筆依頼を野球と音楽のポータルに提出し、削除となった場合は新規の執筆依頼を提出することにします。依頼者自信か他の編集者の手で為されるかはわかりませんが、記事の改善ないし再作成が行われた際はタグの除去が妥当か否か、解説対象に何らの偏見も抱いていないし記事の破壊が目的ではないと言う被依頼者の意思を信じて被依頼者に改めて判断を仰ぐことになると思いますので、その際は真摯に対応していただければ幸いです。

最後に、依頼者としては今回の議論に参加した全員から不完全な記事の投稿について断罪された責任を取り、当面は特筆性の問題が生じにくい分野の記事執筆を中心に行いたいと思います。 --江東琴会話2012年10月20日 (土) 22:48 (UTC)[返信]