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Wikipedia:コメント依頼/Goki

Gokiさんの言動と行為についてコメントを依頼します。--miya 2008年4月22日 (火) 05:28 (UTC)[返信]

これまでの経緯[編集]

Gokiさんは、Wikipedia‐ノート:保護の方針/仮運用で、「馬鹿」という言葉を「意図的」に使い、海獺さんに自粛を呼びかけられても、応じる様子がありませんでした。海獺さんはGokiさんに会話ページでも呼びかけを行いましたが、「対話拒否」ではないと言いつつ回答を拒否され、3分たたないうちに21分後会話ページを過去ログ化なさいました。

(注記)正確を期すると、Gokiさんの回答拒否からは21分後、Gokiさんの直前編集からは4分弱後、海獺さんの最終コメントからは3分後、ということです。--miya

通常、このような態度は「暴言」または「対話拒否」でブロックされることが多いですし、実際、このケースでもブロックした方がご本人のためではないかと思いつつ、、利用者‐会話:Goki#書き込む際のお願いに免責事項のようなことがいろいろ書かれていて、ブロックが適切な措置かどうか判断が難しいため、第三者からのコメントを依頼します。

まとめ

  1. Goki氏の一連の「馬鹿」発言は妥当か。許容範囲か。
  2. 会話ページでの宣言は、長文拒否、無回答、即座の過去ログ化を正当化しうるか。

--miya 2008年4月22日 (火) 05:28 (UTC)[返信]

参考リンク[編集]

Wikipedia‐ノート:保護の方針/仮運用
利用者‐会話:Goki

被依頼者のコメント[編集]

  • Kojidoi氏のコメントが私の意図をほぼ表していただいています。依頼者のような角度から物事をとらえる方に関しては本当はいろいろ言いたいことはあるのですが、これまでの経験上このような捉え方でものを書いた時点で理解していただけないと考えています。また、何か書いたところで場を荒らすだけなのでコメントいたしません。以上です。--Goki 2008年5月7日 (水) 11:08 (UTC)[返信]

海獺氏のコメント[編集]

コメント[編集]

  • どちらも許容範囲ではないでしょうか。もちろん、一般社会においてでしたらGoki氏の発言が完全に許容されるものでは無いでしょう。しかし、海獺(らっこ)氏に関しても、Goki氏に対しての態度、ほかの場で「お話はこれ以上できません」といった発言などあまり関心できるものではないですし、やや誤解を生むような表現かもしれませんがお互い様といった感じかと。私自身、過去にはそのような言動は厳しく断ぜられるべきだと考えておりましたが、wikipediaにおいてはそれほど問題にするようなものではないかと思われます。--Baldanders 2008年4月22日 (火) 05:44 (UTC)[返信]
  • 被依頼者は、「過去ログ化は21分後」だとして、依頼者の発言を修正されていますが、 この海獺さんの問いかけ(03:58)に対して応えることなく、過去ログ化を実行(04:00)しているわけですから、文字通り「3分たたないうち」かと存じます。--アイザール 2008年4月22日 (火) 07:04 (UTC)[返信]
  • 私は、両方とも問題があると思います。まず「馬鹿発言関連」ですが、その行為は、Wikipedia:礼儀を忘れないに反する行為であるからです。議論が白熱し、その勢いで出てしまうことはあると思います。しかし今回のケースでは、それを不快に思った他者が注意をしたところ、「使用している意図を説明をしない」「意味が無くなる」と持論を展開しています。悪意は無くともネチケットに反した行動だと思います。次に「会話ページのログ化」ですが、これは非常に重要な問題であると思います。問題・対話が終止していない状態で項を削除(ログ化)することは、会話の改竄に近い状態でしょう。「目下の臭いものに蓋をした」という行為に取られてもおかしくない行動です。Help:ノートページ#ノートページの整理では、「既に議論が収束している部分の過去ログ化を行うことができます。また、自分の会話ページについては、各自の裁量でそれを行うことが認められています(警告の意図的な隠ぺいなどを除く)。」とあります。注意して下さい。まずは、ネチケットや会話ページ関連のルールを熟読の上、活動を続けて頂きたいものです。 --テンパわたる( ("ε") 会話/ φ(.. ) 履歴) 2008年4月22日 (火) 15:33 (UTC)[返信]
  • 自身の会話ページでこのような宣言(説明?)をしていますが、私の会話ページでの発言を見る限り、その場しのぎの言い訳なんだろうなという印象しか持てません。また、会話ページでの宣言は、長文拒否、無回答、即座の過去ログ化を正当化しうるものではないと思います。他の利用者とのコミュニケーションを阻害する行為は慎むべきでしょう。クールダウンして頂けたらと思います。--赤井彗星 2008年4月22日 (火) 15:40 (UTC)[返信]
  • Goki氏とは考え方は違うが意図するところは同意できる。この程度のことへの「苦言」は荒らしに荒らしと言うなというのに近い。例を挙げなかれば言いがかり、例を挙げれば個人攻撃として非難する行為に似ている。元の馬鹿云々自体ただ単に行き過ぎた権限行使をするなという意味でしかない。海獺氏が常に話が通じないとは思わないが、通じない相手をスルーするぐらいは許容される。というか海獺氏に向けていないから出てこないでくれと書いてあるのにおかしなコメント依頼へずれ込むことが利用者層としてどうかしているようにしか見えない。johncapistrano 2008年4月22日 (火) 16:30 (UTC)[返信]
  • んー。基本的には「馬鹿に馬鹿と言うのは親切だ」とは思うものの「馬鹿にはなかなか思いは伝わらない」とも思うわけで、伝わるときにだけ使うようにしませんと。GOKIさんはちょぉっと馬鹿を濫用しすぎではないだろーかという感想は持ってます。おれにだけは言われたくないってか。でも言っちゃうんだもんね(=^_^;=)。あと、直接の発端となったWikipedia‐ノート:保護の方針/仮運用のやりとりですけど、ふたりとも(ふたりとも、な。当然にGOKIさん含む。特に 2008年4月21日 (月) 21:36 のコメント)、次回のスルー力強化合宿には必ずご参加いただきたいとか思いました。スルーしときゃいいものを相手をしたあげくこともあろうに「スルーしろ」って、それはダメダメだと思うんだよね。--Nekosuki600 2008年4月22日 (火) 16:40 (UTC)[返信]
  • まず会話ページの宣言のことですが、自分の会話ページで勝手にローカルルールを作るというのは許容し難いことのように思えます。不特定多数の参加によって成り立っているプロジェクトである以上、会話ページでの振る舞いには厳格な規律が適用されるべきだと思っています。一方の「馬鹿」発言ですが、悪態語・差別語の類いについての言葉狩りに反対するというのは一つの見識としてあり得ると思います。ただこうした言葉を用いることが時に騒動を招くのはわかりきっているのですから、質問を受ければ何度でも説明するのを覚悟の上で用いるべきでしょう。この件についての苦言・質問は受け付けないなどと勝手に宣言するのは対話拒否と見做されても仕方ないと思います。--sergei 2008年4月23日 (水) 10:17 (UTC)[返信]
    • なお誤解されたくないので一応補足しておきますが、私は例えば川崎洋が悪態語にこだわって制作した詩を発表していたように、文学等における表現の多様性を確保するために言葉狩りに対抗するのには共感を覚えるのですが、そうした言葉をこのような議論の場で敢えて用いる必要性があるのかどうかにはかなり懐疑的な考えを抱いていることを申し添えておきます。--sergei 2008年4月23日 (水) 13:28 (UTC)[返信]
  • みんなして放っておけばあるいは、Goki氏の空回りっぷりだけが浮き立ち、滑稽さを残してフェードアウトしたかもしれないのにというのが第一。ノートまでいって追い詰めるという、「馬鹿」発言を止めさせる為のアプローチとしては下策としかいえない行動をとった海獺さんも滑稽。スルー推奨したGoki氏も自身がスルーできないという滑稽さ加減。そして、自身ののブログでは事ある毎にNekosuki600氏への当てこすり/揚げ足取りをしているMiya氏が、この依頼を出したということも含め、一連の流れ全てが滑稽であるとしかいえません。Miya氏はブロックしたい意図なのでしょうが、こんなんでブロック依頼とかまで進んだら滑稽を通り越して不憫に思います。「人様に馬鹿と言ってはいけません」なんてことは幼稚園児でも知っているわけで、まさか本気でコミュニティに”「馬鹿」発言は妥当か。許容範囲か”のコメントを求めなければ判断できない訳はないでしょう。それでもGoki氏はああやって連呼していたのだから、なんだかはわからなくとも何かしらの意図は聞くまでも無くあるのだろうと推測することは、それほど難しいことでしょうか。あの場でああいう口調を使わざるをえないと思いつめたGoki氏はもちろん、当然、褒められたもんじゃない。だが、それを止めさせる方法は、暴言だ対話拒否だとコメント依頼ブロック依頼を経て被依頼者をブロックする方向へ誘導することが唯一の、最善の手段なのかと、依頼者に問いたい。--124.25.228.30 2008年4月23日 (水) 13:44 (UTC)[返信]
  • 一般論を。Wikipediaのノートでこうした“文字通り相手を馬鹿にしている発言”“幼稚園児でもしてはいけないと知っている発言”が黙認される傾向にあるように思いますが、大きな問題ではないでしょうか。社会に向けて発信する百科事典である以上、議論の場においても社会通念に発言する行為を厳しく制することは必要だと思います。100万単位の利用者がいる大規模なサイトにおいて、個人サイトですら直ちに削除されるだろう暴言が放置されるのは好ましくありません(社会に対する責任というものがあります)。そうした発言に対して“何かしらの意図があることを汲み取るべき”などと弁護してしまうと、「Wikipediaにおいて他人に意見を聞かせるために、わざと相手を馬鹿呼ばわりする」行為を正当化することになります。WPが「目的のためなら手段を選ばない」人間の溜まり場にならないことを祈ります。--Yoh-yoh 2008年4月25日 (金) 09:24 (UTC)[返信]
私に言わせればwikipediaのノートでの発言は既に神経質といっていいほどに激しく制されていると思いますね。こんなコメント依頼が出ていること自体がその証左です。私の結論は、2つの設問のどちらについても答えは「問題視するに値せず」です。バカはバカだけにはっきり言ってやらなければ通じないということもあるわけです。そのようにしか評価しようのないものをそのように発言することを禁ずるべきではありません。それは言葉狩り以外の何者でもなく、よほどWPの発展を阻害します。もちろん被依頼者のその評価が妥当かどうかはまた別の問題です。妥当でないと思うのなら、バカとかの言葉は放っておいてその評価の内容そのものについて反論すればいい。そもそも記事本体ならともかく、個人ページの発言なんか好きなように書かせておけばいいのです。それがなぜ「社会に対する責任」とかにつながるのか。さっぱり分かりません。Kojidoi 2008年4月25日 (金) 11:22 (UTC)[返信]
>Kojidoiさん 個人ページの発言なんか好きなように書かせておけばいいのです。それがなぜ「社会に対する責任」とかにつながるのか。さっぱり分かりません。 ええっと、Wikipediaがインターネット上の誰でも見ることが出来るページであることを認識された上での発言でしょうか。利用者同士の悪口が、調べ事をしようとしていた小学生の目に止まることもあるわけで、社会通念上大きな問題があると考えます。Wikipediaを利用しているのは誰か? ということをよく考えてください。個人ページだから何を書いてもいい、ということは言えません。--Yoh-yoh 2008年4月26日 (土) 23:36 (UTC)[返信]
何かというと小学生だの幼稚園児だの持ち出して主張を正当化する人がよくいますが、どうかと思いますね。実はwhyもhowも全く説明できていないということに気づきましょう。我々は小学生に範を示すためにwikipediaやそのほかの言論を為しているわけじゃない。秘依頼者の発言を「悪口」とか「対話拒否」としか捉えられないような、言葉の表層的な意味しか捉えられない人は最初からターゲットではありません。特に個人ページは「大人が大人のために」書くページでいい。編集者の責任ということを考えるなら、それは記事にいかに充実した内容を盛り込むかが全てです。そのための議論は記事付随のノートでやれば良い。そして被依頼者はちゃんとその辺のことはわきまえている人です。何も問題ではない。Kojidoi 2008年4月27日 (日) 03:12 (UTC)[返信]
>我々は小学生に範を示すためにwikipediaやそのほかの言論を為しているわけじゃない。 小学生に範を示すというのは例えです。要は「たくさんの利用者に利用してもらって初めてWPの価値がある」ということを言いたいのです。Kojidoiさんは「記事の充実こそがWP最大の主眼」と仰りたいのでしょうが、例えば著作権法に触れる編集は禁止されていることからも分かるように、「WPは、記事充実という目的のためなら手段は選ばない」ということはないでしょう。それならば、利用者が気持ちよく使えないようなサイトにWPをしてしまいかねない行為もまた禁止されて然りです。
もう1つ、別の視点ですが、乱暴な言葉遣いというのは論争相手を萎縮させてしまいかねないです。誰かが「この場で○○と言うのはお馬鹿さん」と言った後だと、「本当は○○と発言するのが正しい」と思っていてもつい気後れしてしまうでしょう。もし本当に記事の充実が目的なのであれば、そうやって論争相手の機先を制して事前に発言を封じてしまいかねない発言は慎むべきです。
背後に個人間の確執がありそうだという事情は飲み込めて来ましたが、そうしたケースだからこそGokiさんは言葉を選ぶべきだと思いますし、それさえ受け入れていただければコメント依頼は取り下げられると思いますよ。--Yoh-yoh 2008年4月28日 (月) 06:23 (UTC)[返信]
>WPは、記事充実という目的のためなら手段は選ばない」ということはないでしょう。それならば、
「それならば」の前後で論理がつながっていませんね。
>利用者が気持ちよく使えないような
「気持ちよさ」なんてものを安直にWPに持ち出してよいのですか? それをいうなら自分の編集が他の人に削除されたりしたら多くの場合「気持ちよく」ないですよ。
>乱暴な言葉遣いというのは
この程度で乱暴だっていうのはどういうものなんですかね。私にはナイーブ過ぎるとしか思えませんが。それに被依頼者は誰彼構わず「乱暴な」発言をしているわけではないですね。今回のあげつらわれているのも、既に指摘されている通り「行き過ぎた管理行為一般」を批判しての発言であって特定の個人に向かっていません。この発言によって萎縮しているような人間ってどんな人間なんですかね?
>背後に個人間の確執がありそうだ
いやそんなものはないでしょう。
>コメント依頼は取り下げられると思いますよ。
非常に変ですね。コメント依頼って被依頼者に非を認めさせるためにあるのですか?Kojidoi 2008年4月28日 (月) 16:24 (UTC)[返信]
一般論から入ってGokiさんの案件と照らし合わせるつもりが、どんどん外れて来ているようですが、議論拒否はしたくないので。 >それならば 「WPの主眼が記事の充実であっても、著作権法のような社会規範を無視していいわけではない。“それならば”同様に、記事の充実が全てだと言って礼儀を軽んじていいわけではない」ということです。 気持ちよさ 相手のルールやマナーに則った行動による不快と、ルールやマナーに反した行動による不快は意味合いが違います。後者のような不快を避けるべきだと言っています。 >この程度で乱暴 いや、馬鹿はまずいと思いますよ。乱暴ではなく無礼と言えばよかったですね。 >被依頼者に非を認めさせるためにあるのですか 揉め事を解決するためにあります。今回のケースではGokiさんが反省すればよいのではないかと。 >そんなものはないでしょう ないですか。ならやはり一意見として、Gokiさんには「WPで批判目的で馬鹿などと言わないでください」とお願いしたいです。他に言い方はいくらでもありますよ。また言い回しの悪さ以外を否定する気はありません。--Yoh-yoh 2008年4月28日 (月) 21:17 (UTC)[返信]
124.25.228.30です。私のコメントを引用なさってますので、もう少し説明させていただきます。まず。wpjaで暴言が黙認されているとは私は感じていません。個人サイトでも削除されるほどの暴言が放置されている実例をみてみたい気もしますがそれは置いておくとして、現状は、必要に応じてコミュニティの判断、時には管理者の裁量で適宜対処されています。もちろん対処は「厳しく制する」一辺倒ではなく、言葉を尽くして諭す場合もあります。まあ、wikiにおいて「放置されている。由々しき問題だ」と声を上げることは、天に唾をするというか、翻って自分に返ってくる行動だということは自明です。気づいた人が気づいた時点で行動すればいいのです。もし問題があるのに自分以外のだれも対処しないと感じているなら、コミュニティのコンセンサスと自分の感じ方の乖離を一度疑ってみてください。ここまで、一般論の話。
さて、その後の弁護云々に関しては誤読であります。Miya氏は執筆歴も長く、管理者です。裁量で一週間のブロックを行使できますし、個人が独自の免責事項を定めたところで何の効力も持たないことは承知しています。で、このコメント依頼の経緯にあるように、もし本気で免責事項を気にして管理者権限の行使を踏みとどまったのだとしたら、それは管理者としての資質が根底から疑われる行動様式です。Miya氏の“意図を汲み取らずに”表面の文章のみを真に受けるなら、「解任動議を見据えたコメント依頼」級の問題発言です。かように意図を汲み取るという行為はコミュニケーションの場において当然のように要求されるものですし、この一連の流れはGoki氏だけでなくみな一様にくだらないのです。私も含めて。--210.229.11.202 2008年4月25日 (金) 14:00 (UTC)[返信]
んー。でもさあ。くだんないことに真剣になることができなくなったら、百科全書派としては引退したのがいいんじゃないだろーかとか思ったりして。あ、だからって、くだらない記事を容認するわけじゃぜんぜんないんだけどね(ふっ)。--Nekosuki600 2008年4月25日 (金) 15:52 (UTC)[返信]
>IPさん 前半はお互いの個人的体験に依存しますから、共感いただけないなら止むを得ません。参考意見だと思ってください。後半について、意図を汲み取るべきというのは了解しました。コメント依頼で来たばかりなので、今一度状況を把握に努めます。一応こちらとしては「仮に相手方にも問題があったとしても、だから被依頼者に問題がないとは限らない」と思います。両者が別の問題なのか、同根の問題なのかという点が明らかであればよいのですが。--Yoh-yoh 2008年4月26日 (土) 23:36 (UTC)[返信]
依頼者コメント

皆様、コメントありがとうございました。コメントもおおよそ出尽くしたようですので、GW終了と同時に閉めようと思います。その前に、依頼者としてコメントさせていただきます。

Gokiさん、もはや数年前の、アクティブユーザーが100人もいないような小さなコミュニティではなくなっているということを今一度お考えください。今のウィキペディアで、Gokiさんのようなベテランユーザーがあのような発言を行い、会話ページの性急なログ化をして何のとがめも受けなかったら、小中高校生、大学生、大学院生がまねをするかもしれません。馬鹿発言だの性急ログ化だの、同じことを行ってブロックされたとき、Gokiさんはよくてなぜ自分はブロックされなくてはならなかったのかという話になってしまいます。もう、芸風ということで看過される段階ではなくなっているのです。この点、ゆっくりお考えいただきたかったというのが、このコメント依頼の主眼です。

他の方法も考えたのですが、上で書いたようにブロックすべきかどうか迷いがありましたし、会話ページで意見しても海獺さんの苦言と同じ運命をたどるのは目に見えていました。コメント依頼ならば、少なくとも、読んではいただけるだろうと思いました。コメントをお寄せくださった皆様には、今一度心より御礼申し上げます。ありがとうございました。--miya 2008年5月5日 (月) 07:35 (UTC)[返信]

依頼者のコメントには微妙な違和感を覚えます。「もう、芸風ということで看過される段階ではなくなっているのです。」などと最近になって情勢が変わったかのようにおっしゃいますが、「馬鹿とか言うのは止めよう」「バカとしか言いようのないものをバカと表現して何が悪い」といった応酬は少なくとも15年以上の昔からさまざまなネットコミュニティーで展開されてきたもので、本件におけるやり取りもその域を出ない古風で陳腐で紋切り型のやり取りに過ぎません。同様のやり取りを私は何十例と目撃しましたが、実りのある結果に終わったものはほぼ皆無です。こういう罵倒語の使い手は、確信犯なのです。miyaさんやyoh-yohさん程度の根拠不明確な批判で考えを改めるようなら初めからそういう表現は使いません。このコメント依頼はおそらく何の役にも立たないでしょう。
小学生が云々という発言には更なる違和感を覚えます。このコメントはwikipediaにおいてベテランと若者(?)とで異なる基準で発言が評価されているという前提に立っているように読めますが、いかがでしょうか。現実は、相手がGokiさんだろうが小学生だろうが、問題がある言動は問題があると評価されるだろうし、それほどでもない言動はことさら問題視するに及ばずと判断される、それだけのことです。「何のとがめも受けなかったら」それはコミュニティとして容認したということです。何が問題なのでしょうか? Miyaさんの懸念には現実味がないように思われます。Kojidoi 2008年5月5日 (月) 18:41 (UTC)[返信]