Wikipedia:コメント依頼/利用者:鈴之助

Wikipedia:コメント依頼/利用者:鈴之助- 長年、企業の社史制作をサポートする職業に就いている者を名乗られている鈴之助氏による社史での編集行為と考え方についてコメントを依頼します。

これまでの経緯[編集]

鈴之助さん(投稿記録)は、ノート:社史での議論において、「長年、企業の社史制作をサポートする職業に就いている」と自己紹介されています。発端は2010年6月になされた編集であり、「現場の当事者である私の実体験から申し上げる注意喚起」なのだそうです。「検証可能性について言えば、私が証人であり、文献的な「出典」以上の証明力があると思うのですが。」とも主張しておられます。

私はこの行為は下記のガイドラインに違反すると考えます。

ところが、鈴之助さんはこれらのガイドラインを読まれた上でご自身の編集行為を正当な行為である旨主張し、編集行為も継続しています。その根拠はWikipedia:編集方針にある下記の記述だと称しています。

  1. 完璧でなくてもよいのです。編集を楽しんでください。
  2. 多様な参加姿勢が受け入れられます
  3. 他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください

なお、私の指摘に対しては次のような文言で正当性を主張しております。

>私は岩見さんの主張を超えうる根拠として再度「ウィキペディアにおける行動規範は、基本方針やガイドラインの文言によって創設されるわけではありません」とのWikipediaの言明を呈示した。

皆様のコメントをお願いいたします。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2010年11月27日 (土) 11:13 (UTC)[返信]

被依頼者のコメント[編集]

 鈴之助です。こういう欄も設けていただけるのですね。ありがとうございます。

 私が「注記」を投稿して数カ月のち、岩見さんより私の利用者ページに「あなたの体験を書かれたのですか」とお尋ねがあり、「そうです」と答えたところ、「個人の体験は書いてはいけない」とご指導がありました。それに対し「なぜですか」と私なりに反論したところから今回の議論が始まっています。きっかけは私の書いた「注記」ですが、議論の本質は「当事者」論です。

 私についての上記「これまでの経緯」の岩見さんの説明は、誤解を生むものです。「注記」を書いた私がガイドラインを読んだのちも「ご自身の編集行為を正当な行為である旨主張し、編集行為も継続しています。」というふうに言われると、多くの人は、私が岩見さんの指導を無視して「注記」を編集し続けた無法者のような印象を持たれることでしょう。しかし、真相は、私は疑義を示された「注記」についてはその後、編集は加えていません。私の興味はもっぱら「Wikipediaは本当に当事者の投稿を歓迎しないのか」という点にあったからです。ノートをちゃんと読んでいただけば分かりますが、私はほとんど「当事者」とは何か、「Wikipediaにおけるルールとは何か」、「Wikipediaはルール至上主義か」ということを論じています。そのようなテーマについては他にそのための議論のページが備えられていることは途中で知りましたが、岩見さんの「当事者は出て行け」論には反駁し続けざるを得ませんでした。

 また、上記の説明で岩見さんの言われている「編集行為も継続しています」の内容は、履歴を見れば分かる通り、私が岩見さんの「当事者絶対排斥論」の頑迷を突くために、「当事者であっても、こういう編集ならOKだろう」と、岩見さんの記述をあちこち修正したことを指しています。

 具体的には、「正史は通史と同義語」だとか「小史とは特定の出来事について書かれた歴史」だとか「労働組合史は労働組合によって書かれた社史」だとかいう岩見さんの記述を訂正したのです。これらは単なる無知による誤記であって、だれでも基本的な国語力があれば直せるし直すべきであるという意味で「当事者でも編集が認められる」と私が考えるものです。また労働組合史についての誤記などは専門家(岩見さんの言われる「当事者」)であればなおさら自信を持って直せるものです。にもかかわらず岩見さんはその訂正を是認せずある社史業者サイトのの奇妙な説明をも「出典」として、再びわざわざ誤った記述に書き戻すという恥の上塗りのようなことをされました。さすがに今では私の忠告を少しは受け入れられ、私の訂正通りに残したり、「労働組合史は労働者側の視点で書かれた社史である」というような記述から「社史」の言葉をこっそり削除して別の表現に変えたりしておられますが、これも岩見さんの厳格な定義では編集をしてはならない「当事者」の私が編集したからこその成果です。

 私が最初に書いた「注記」には、事柄のマイナーな性質上、「出典」というようなものはありません。表現も「百科事典的」でない箇所があります。表現の問題箇所は是正してもよいですが、事典というものの基本的な目的、すなわち「知識をもって良き人生良き社会構築に資する」に照らせば、投稿者が何らかの意味で「当事者」だというだけで全的に削除することは不適当と考えます。

 要は、岩見さんのような「当事者は出て行け」論には反対!ということです。

 「ウィキペディアにおける行動規範は、基本方針やガイドラインの文言によって創設されるわけではありません」

 という編集方針は、もちろん「何でもやっていい」と言っているのではありませんが、「有益な知識の自由な持ち寄り」というWikipedia の最も基本的な理念を表しているものだと思います。--鈴之助 2010年12月1日 (水) 22:57 (UTC)[返信]

コメント[編集]

依頼者としてコメントいたします。鈴之助さんの主張はほぼ全てガイドラインの曲解に基づいた詭弁であり、即刻当項目より手を引いていただきたいと考えます。また鈴之助さんは

>「特筆性」のページにも、「ウィキペディアの記事は完璧でなくともよく、編集を楽しむものであることを思い出してください。特筆性を証明できるような情報源が現時点で追加されていないような記事でも、それが実は存在して、特筆性を示すことができるのかもしれません」とあるではないですか。

と述べていますが、彼が警鐘と称して最初に実施した編集は、個人体験から来る受注者(出版業者)への中傷とも取れる行為でしたし、この差分の右側に見られるように、「御用組合」や「名だたる大企業」への出所不明の批判的記述といった、安易な記述が目立ちます。私も、実際の取引においてトラブルが存在する可能性や現代史の基本程度は理解しているつもりですし、全くミスの無い投稿をしてきたのかと言えば全然そんなことは無い訳ですが、雑誌等での批判事例がなければ記述するべきではないと考えます。そもそも、契約とは発注者、受注者の二者から成り立つことだという背景もあります。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2010年11月27日 (土) 11:13 (UTC)[返信]

鈴之助です。ここに書いてもいいのですか。「個人体験から来る受注者(出版業者)への中傷とも取れる行為でした」とは、妙なことを言われますね。私は「悪質な業者が存在する」と言っているだけです。固有名詞は一切挙げていないのに、どうして「中傷」が成り立つのですか。「悪質な業者」以外、誰がこの記事で傷つくというのですか。「善良な業者」はそういう行為をしていないのだから傷つく理由がありません。「中傷ともとれる」などというのは私に対する悪意に基づく意図的な曲解としかとれません。フェアな議論をしようとしているのですから自重して下さい。--鈴之助 2010年12月2日 (木) 00:19 (UTC)[返信]

被依頼者コメントと纏めてレスします。注記部分については散々述べているので細部です。
>岩見さんはその訂正を是認せずある社史業者サイトのの奇妙な説明をも「出典」として、再びわざわざ誤った記述に書き戻すという恥の上塗りのようなことをされました。
一般的な意味を知らないのではなく、出版文化社は検証可能な情報源且つ専門家に包含可能だから取扱に注意しろと言うことを言ってるのです。辞書を使って辞書的な意味を提示するのは余り気が進みませんが、やるなら両論併記でしょうね。そこに編集者の主観を入れるべきではない。また、この差分のように脚注で示した出典を削除する行為は論外です。実は貴方はこのノートでの議論でも似た間違いを犯しています。「検証可能性」などの言葉をWikipedia上でのテクニカルタームとして認識せず、辞書的な意味合いで処理しようとしていましたね。
>これも岩見さんの厳格な定義では編集をしてはならない「当事者」の私が編集したからこその成果です。
それは専門家である近江氏の本や以前読んだ組合史などを再チェックしていないからです。組合史の序文には経営陣が認めようとしない社史云々と謳っている例があった筈だからね。今まで書いていないだけで、経営陣が認めようが認めまいが社史と称して売られている一般書やそれを紹介した新聞記事も存在しますよ。例えば消滅した歴史上の会社の歴史などですね。また、「社史」や「正史」と言う言葉自体、法定された用語でもなければ日本10進分類にもない。更に、鈴之助さんの場合、他の問題が大きい為一旦争点から外した表現に切り替えたということもあります。「注記」問題に比べれば私はそこまで「言葉の定義」は拘ってませんし。
>私は「悪質な業者が存在する」と言っているだけです。
それは「私がソース」で片付かない典型的な記述です。名指しして無くても同じです。私も検証可能なソースがあるなら是非触れておきたい話だとは思ったので、図書館等で新聞DBや社史関係の記事、ウェブサイトに当たり、現状の加筆の情報源としてきましたが、その種のソースはまだ見つける事が出来ていません。大体可能性だけで言えば悪質な発注者や悪質な仲介者だっていますし、貴方の理屈で返すなら「誰が良い業者なのか言ったわけでもない」でしょう。Wikipedia:存命人物の伝記ではないですが、批判的記述は情報源に則り慎重に行われるべきです。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2010年12月2日 (木) 13:47 (UTC)[返信]
追記:自己レスですが分類上の区分はされていたので、上記一部を取り下げします。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2010年12月2日 (木) 14:05 (UTC)[返信]


 岩見さん、あなたは「名指ししなくても」、つまり相手を特定しなくても私の記述が「中傷」だと言っているのですよ。それでいいのですか。あなたは私がだれかを「中傷した」と言っておられるのです。私は「中傷は成り立たないでしょう」と抗議しているのです。はっきり答えてください。私が誰かを「中傷した」のですか、しなかったのですか。--鈴之助 2010年12月2日 (木) 15:13 (UTC)[返信]
名指ししなくても貴方が「悪質な業者」と判断して投稿していることが問題です。また、その会社や業界に対する中傷の可能性も否定は出来ないですよ。それが悪質かどうか、どこで報じられた話か第三者は確認できないからね。発注者が無茶な予算を組んだ可能性だってある。なお、予算オーバーしたが内容には満足と言う実例なら報道事例があります。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2010年12月2日 (木) 22:34 (UTC)[返信]
岩見さん、逃げないでください。私は「名指ししなくても中傷になるのか」と聞いているのです。それに対し、あなたは、「名指ししなくても~が問題だ。また、その会社や業界に対する中傷の可能性も否定できない」と答えています。こういう場合は、「名指ししなくても中傷の可能性は否定できない。なぜなら~」と答えるのが合意形成を求めて行く議論のやり方です。どうも岩見さんは論理的な記述が苦手のようですので、あなたの思考の内容を私が忖度し整理して代弁してみましょう。つまり、


「名指ししなくても中傷の可能性は否定できない。なぜなら鈴之助が紹介しているような事例はまったく存在しないという可能性があるからだ。そういう事例がまったく存在しない場合、まずその業界に属する業者一般への中傷(というか誣告…鈴之助注)になる。また、追加請求をすることの多いある業者がいるとして、その追加請求の多いことをもって鈴之助がその業者を悪質と判断し非難するなら、それは中傷となりうる。なぜなら追加請求は顧客の積極的合意の上に行われている可能性があるのであり、その可能性を無視して論難するのは不当だからだ」


 ざっとこんなことでしょうか。このような論評に対しては、「自分が証人」を禁止され「出典呈示」を絶対条件とされた上では反論することはできません。せめてこの程度には攻めてもらいたいものです。岩見さん。


 そのような、反論できない前提を初めから意識して、本文への「注記」投稿後のこれまでの私の主張は行われているのです。分かりやすく感情レベルでの表現も取り入れた書き方で対応してみますと、


「違うんだよ。その事実が確かにあるんだ。嘘ではないんだ。私が体験し、トラブルの現場もこの目で見ている。発注者は予告されず納得もできない金額を追加請求され、抗議したり、渋ったりしながらも、結局は事後承諾という形で支払わされている。こんなことをこれ以上続けさせたくない。これ以上、そのような祝福されざる形で社史制作が終わることをなくしたい。だから「注記」を書いた。これでいくらかでも被害者が出ることを防げる。逆に黙っていれば被害者は増える。書かねばならない、とシンから思う。しかし残念ながら「ルール」が求める「出典」がない。研究したわけでもないのに「独自研究」と「みなされ」て、「削除の対象」だと脅される。なんだ、Wikipedia ってこんなものなのか。そう思っているときに“Wikipediaは規則主義ではありません”という文言を見つけてむさぼり読んだ。さらに読んでいくと“邪魔ならルールは無視してよい”という<ルール>まであるではないか。そうこなくっちゃ! これについては、なんと、このWikipediaを作ったジミー・ウェールズ自身が<“無視してよい”ルールはもともとからずっとそうなんだ>と言っている! ああこれで救われた、私の投稿は残されて多くの人に読まれ、トラブルの被害に逢う人が減る、と思っていたら、いや、削除だ、お前の解釈は勝手な詭弁だ、屁理屈だ、曲解だ、何といってもダメだ、絶対に不可だ、俺たちの言ってることが正しいのだから従え、「被依頼者におかれましては、今後そのようなことがないようにお願いいたします」、etcの総攻撃だ。私は言い続けるぞ、<それでも地球は回っている>と」
 ということになります。だから、私の主張を否定しようとする人は、IARの精神を踏まえて私と合意を形成するように努めてくださらなければなりません。既成のルールに拠るのでなく、自分が自分の頭で考え創造する言葉によってしかこの議論を進めることができません。まだ私自身が傾聴すべきクリエイティブなコメントを誰からも頂いていないのが残念です。--鈴之助 2010年12月3日 (金) 13:57 (UTC)[返信]

 


 

第三者コメント[編集]

  • コメント 被依頼者の方針・ガイドラインの解釈は不適切です。編集方針では、「中立的な観点、検証可能性、独自研究は載せないの記事における三方針、並びに著作権など、ウィキペディアの基本方針とガイドラインに反しないものであるならば、不完全な記事を投稿することも歓迎されるべきです。」と書かれています(つまり、トータルで方針・ガイドラインに即した編集行動が求められています)。被依頼者の投稿された差分の中には、「検証可能性」「独自研究は載せない」の方針に違反したと考えられる部分の投稿が見られました。それを、Wikipedia:編集方針を曲解して被依頼者ご自身の行動を正当化するということは断固として認められるものではありません。被依頼者がたとえ社史制作のノウハウをお持ちであっても、被依頼者ご自身が「信頼できる情報源」とはならないのです(ご自身で、信頼できる情報源と判断できる書籍など公刊されたものがあれば、そちらを基に記述することは可能でしょう)。今回の被依頼者の行為はWP:悪用に該当すると判断してよいでしょう。被依頼者におかれましては、今後そのようなことがないようにお願いいたします。--かげろん 2010年11月27日 (土) 12:40 (UTC)[返信]



鈴之助です。私に何を教えようとしておられるのですか。また何を指示しようとしておられるのですか。あなたができるのは意見を述べることだけですよ。
 あなたが書かれている程度のことはすでに岩見さんからさんざん聞かされていますし、ガイドラインの大切さも理解しています。しかしそういうことが「どんな場合でも」「絶対」ではないだろうと言っているのです。私の記事がそうであるかないかは別として、ガイドラインを超えることが妥当であるケースも皆無ではない可能性を残しているのが、編集方針の「Wikipediaの行動規範はガイドラインによって創設されるものではない」という言葉だろうということです。ほんのわずかではあっても、その可能性を残すことでWikipediaの無束縛性が担保されるのだとは思いませんか。--鈴之助 2010年12月2日 (木) 00:19 (UTC)[返信]

  • コメント はじめまして、Jkr2255と申します。ウィキペディアのメインページには「基本方針に賛同していただけるなら、誰でも記事を編集したり新しく作成したりできます。」(強調は引用者)と明記してあります。鈴之助さんの発言に出てくる「Wikipediaの無束縛性」ですが、たしかにWikipediaは規則主義でないという点はあります。ただし、それも「方針の字面の解釈に固執するあまり、方針の原理原則を損なうことをしないでください。」という意味合いなので、第三者による検証が不可能なものについては、排除されても文句は言えません。Wikipediaは無法地帯ではありません。一定の精神、そしてそれを文章化したルールのもとに運営されていくものです。
あと、Wikipedia:自分自身の記事をつくらないですが、これは中立的な観点独自研究上の問題が発生するためであり、確かに「いつも以上に注意を払い、あるいはそれを控えなければなりません。」(原文でも強調)と書いてはあります。ただ、岩見浩造さんの、「当事者が編集するなら出て行け」という解釈は強引だと思います。僕も、(もちろん出典に基づいて)自分の研究に関連するところで投稿したことがあります。--Jkr2255(Talk/History) 2010年12月2日 (木) 02:36 (UTC)[返信]
なるほど。しかし、社史製作が関係する事項の編集は問題だと私は思います。また、当該項目(乃至職業)以外のWikipediaについての編集に関しては(ガイドラインを尊重する限り)編集することまでは私は批判していないです。この点も誤解を招かないよう一応述べておきます。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2010年12月2日 (木) 13:47 (UTC)[返信]


 

 鈴之助です。Jkr2255さんコメントありがとうございます。やっと常識のある論評に出会えて正直ホッとしています。あなたのおっしゃっていることについてすべて共感しますし、コメント自体に反論する気持ちもありません。

 ただ、あなたのおっしゃっていることが、必要なすべてではないだろうと思うのです。Wikipediaは規則主義でないの「方針の字面の解釈に固執するあまり、方針の 原理原則を損なうことをしないでください。」のあとには、「規則主義でない」ことの別の「意味合い」が書かれています。また、草案ではありますがIAR(すべてのルールを無視しなさい)という“ルール”につながるリンクもあります。そこにはWikipedia創設者ジミー・ウェールズの“IAR is policy,always has been.”の言葉も紹介されています。あなたのおっしゃる「方針の字面への固執は方針の原理原則を損なうから」という理由だけで「規則主義ではない」とされているのではないことが読み取れます。Wikipediaは規則主義でないの全体を読むと、「百科事典としての利益の追求」のためには、互いに矛盾する方法も適用していく必要があることが分かります。私の主張が「屁理屈」「詭弁」と切り捨てられてきた主因は、こうした矛盾の必要性が理解されなかったためと考えられます。--鈴之助 2010年12月2日 (木) 14:42 (UTC)[返信]

コメント 一般的には、WP:IARの考え方で既存の方針・ガイドラインを乗り越えていい場合というのは存在するでしょう。しかし、WP:IARを今回の事案に持ち出してくることはやめておくべきでしょう。あなたが言わんとしていることは、WP:IARを根拠としてWP:VWP:ORを意図的に無視しようとしていることと同義に思えますが、違うのでしょうか。それと、私はあなたに「忠告の旨の意見」を述べたわけですが、あのような返事ですか……。ここからは余談になりますが、私も一介の教材分野の編集者です。私も経験に基づいて書けることもあるでしょう。ですが、信頼できる情報源がない限り、編集することは自重しています(誤字・脱字の校正は別ですよ)。信頼できる情報源(自身および経験のことではない)がなければ、Wikipediaにおいては単なる「独自研究」に過ぎませんから。それと、「当事者は出てくるな」という意見が過剰反応・不適であることは同意します。--かげろん 2010年12月3日 (金) 01:38 (UTC)[返信]
他の方の議論も拝見させていただきました。ここで依頼者である私の意見を修正したいと思います。1番目に、単純な誤字・脱字の訂正なら「言語」と言う抽象的な概念の世界の話であり、誰もが参加可能と言う余地があることは認めます。
 何ということを言われるのですか。「言語」は抽象概念でも「誤字:脱字」は具体的な言葉のことですよ。それも言われるなら「誤字脱字の訂正は内容に関係ない訂正だから」でしょう。あなたの書いた『奢侈の研究』を『社史の研究』と誰かが直しても、文章を直したことにならないからで、「抽象的な概念の世界の話」だからではありません。項目が「抽象的な概念の世界の話」でもWikipediaはいくらでも記述に検証可能性を求めているではないですか。--鈴之助 2010年12月3日 (金) 15:31 (UTC)[返信]
2番目に、当事者がその行為(つまり社史出版の過程)に関する記述の意味内容に手を加えるのは反対という点は堅持します。これは、【注記】のようなもののことですね。
 「当事者」をちゃんと定義せずにそんなことは言えません。私は議論の前提を明らかにするために私を「フリーの校正者」すなわちいわゆる「業者」でないただの人でどんな出版物をも対象とする職業人としているのですが。--鈴之助 2010年12月3日 (金) 15:31 (UTC)[返信]
3番目に、言葉の定義について、「出典Aを認めず出典Bを採用する」という立場に立たれるならこれも反対です。これは一般的な辞書と出版文化社の用語解説のようなもので、説明が分かれた場合を想定した議論のことですが、両論併記程度は認められるべきです。
 質の良しあしを吟味せずどんどん出典として採用してよいというならWikipediaの質はどんどん落ちていきます。「「小史」は「略史」と違って特定の人物や出来事についての歴史だ」などというような業者の変な説明の採用はとても吟味された出典採用とは考えられません。出典主義のガイドラインの悪用には当たらないのですか。またあなたは盛んにこの部分で業者の実名(出版文化社)を挙げますが、変なページを何度も衆目にさらされるのは同社にとって不利益のはずです。いずれ「小史」は「短い歴史記述」などと訂正されるでしょうが、もとはこんな変なことを書いていたという事実がWikipediaにどんどん残ってしまいます。きっと迷惑ですよ。--鈴之助 2010年12月3日 (金) 15:31 (UTC)[返信]
なお、今日図書館で社史研究家である村橋氏の『社史の研究』を読み直しました。1章の冒頭で社史の定義について過去の文献から数例紹介しており、狭義の事例と広義の事例がありました。狭義のものは鈴之助氏の主張と重なり、広義のものは組合史の例示は無いものの、外部の人間が経営陣の了解を得ず記述したものまで包含しているので、ある意味私が新聞での紹介記事などを根拠にしていた説明より広い概念です。なお、広義の定義例として挙がっていたのは『会社史総合目録』であり、この本は社史の少ない明治時代の文献では現代で言う会社要覧やパンフレットまで社史扱いしている本です。鈴之助さんがどういうお考えかは今一分からないですが、私は言葉の定義の問題と誤字の問題は別と考えますので、念のため記述した次第です。検証性明瞭化のため『奢侈の研究』での紹介が有用ならば、私はそれを情報源とすることに異論はありません。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2010年12月3日 (金) 13:06 (UTC)[返信]
 何としてでも組合史を社史の仲間に入れたいのですね。もちろん企業内組合の組合史はその企業の歴史を書いたものとも言えますよ。ですがあなたが固執された「社史」ではありません。上の方で「社史は会社の主観で書かれる会社の歴史」と言っておいて下の方で「組合史も社史だ」というのでは、どちらかが間違いとしなければならないでしょう。まあ、以前組合史の説明の中に使っておられた「社史」という言葉を今はなぜか取り下げておられますから、あなたの記述の有害度が少し是正されていることは確かです。--鈴之助 2010年12月3日 (金) 15:31 (UTC)[返信]

えーとさ、IPが本体の議論には口出ししないけどさ、被依頼者。他人のコメントを勝手に自発言で分断すんな。時系列が追えないどころか、誰の発言かもわからなくなるだろ。反論するならするで、スタイルぐらい守ったらどうだ。どこまで自分ルールだよ。--125.2.37.198 2010年12月3日 (金) 16:04 (UTC)[返信]

 あなたのご指導は尊重します。しかしそのような「タメグチ」での投稿はお控えください。批判するならするで、エチケットぐらい守ったらどうですか。--鈴之助 2010年12月4日 (土) 03:58 (UTC)[返信]


125.2.37.198さんへ。いや、私としてはとりあえずこのまま残しておきます。また、ログインユーザーではなくてもガイドライン、記法等の事情が分かっている方が参加して頂けるのならば有益な議論にも繋がると私は思います。次に、後でこの項目を読まれる方へ。上記の私の投稿は当初この版の最下部の状態であったところ、鈴之助さんが間に回答を挟みこんで分断しました。鈴之助さんにはそろそろ他の投稿者の書き方を見て学んで欲しいです。で、次は鈴之助さんですが、
>「当事者」をちゃんと定義せずにそんなことは言えません。
鈴之助さんは何を言ってるのですか?上記は一般論の形式で書いてますが、今回のケースで言えば社史製作に関わった体験から警鐘として投稿している貴方は当事者に包含されるに決まってるでしょう。
>どちらかが間違いとしなければならないでしょう。
鈴之助さんはWikipediaというものが理解できているのですか?「楽しく編集」という題目を持ち出した後にこんなことを主張しても説得力は無いです。ノートの頃にも真実性の件で触れましたが、Wikipediaは唯一の説明しか認めないサイトでもないんですよ。特に規格や法定用語ではない言葉はね。
>変なページを何度も衆目にさらされるのは同社にとって不利益のはずです。
それは貴方の想像に過ぎません。鈴之助さんも同社への姿勢については正直、酷いものだと思います。
また、一つ疑問に思ったのでお聞きします。鈴之助さんは今後出典の明記を尊重し、過去の御自分の書き込みを補強する為の情報源を探してくるつもりはあるのでしょうか?現状辞書位しか持ってきておらず、より重大な【注記】の部分は何も提示していないですよね。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2010年12月3日 (金) 18:06 (UTC)[返信]
 もちろん自分の体験だけでなく、「出典」を探してくるつもりはありますし、探しています。表現面で百科事典的に修整したい部分はありますが、それは本質的なことではなく、このように続いている議論の対象でもありますので、無用な追加議論を発生させないため、あえて原形に手を加えておりません。繰り返しますが、「出典」を探してくるつもりはありますし、探しています。
 岩見さんのご質問にお答えしましたので、岩見さんも私の質問に答えてください。
>同社への姿勢については正直、酷いものだと思います。
 とのことですが、同社とは「出版文化社」のことなのでしょうが、この会社に対して私が「正直、酷い」姿勢を示している部分とはどこですか。私は【注記】も含めて記述の公正を期しており、業者名など固有名詞は自分から挙げたことはありませんので、そのように言われるのは心外です。
 この論評への参考のために、岩見さんのリンクに従って同社のサイトを確認しておりましたら、妙なことに気付きました。同社サイトには「業界社史の研究」と題するシリーズページがあり、「1 建設業界編」「2 金属製品製造業・機械器具製造業編」「3 電気機械器具製造業編」「4 食品製造業編」「5 労働組合編」「6 化学業界編」「7 家電業界編」「8 食品業界編」のラインアップとなっています。項目名を一見するだけでも分かる通り、「5 労働組合編」はシリーズに入れるには不適当なのですが、岩見さんがこれまで、私にとっては不思議なまでに、「労働組合史」を「社史」の仲間に入れようと努力してきておられることはこれと何か関連があるのですか。同社サイトのこのような不備を不備と知りつつ正当化することに岩見さんが努めておられるとすれば問題です。「用語解説」のページ同様、こちらも議論の余地なく不備なので、それを見た今では私は同社サイトに信頼をおけません。このように岩見さんが出典としてリンクすることで出版文化社のボロがどんどん出てきてしまうのですが、実名を挙げることで同社が被るこのようなマイナスの影響は考えなくよいのですか。--鈴之助 2010年12月4日 (土) 03:58 (UTC)[返信]
>探しています。
この点については了解しました。しかし、その他はいつまでも「納得」しない方ですね。社名をぼかせと言ってみたり、ぼかしたら明示しないことを難詰したり。あと、主たる問題は【注記】のような独自研究なのだからいちいち辞書などを持ち出して言葉尻でつっかかるのはやめて貰えますか?話題逸らしにしか見えないんですけど。
>これと何か関連があるのですか。
ノートの議論時から述べているようにその会社の見方ではこうなっているってだけの話。また、その会社が業者の一つであり、ゴシップ紙の版元などとも違うことは自明。編集者個人がどう思うかは関係がない。Wikipedia:信頼できる情報源を参考に形式的に処理してるだけだから。『会社史総合目録』定義ならチラシに書いてある沿革やジャーナリストのノンフィクションまで社史に包含されることは先述したとおりです。こういう感覚が身につかないんだったら編集には向いてないと思いますね。
>同社サイトに信頼をおけません。
それも貴方が勝手に思ってるだけ(編集者個人の意見)ですよね。自分の体験は載せるべき、自分の罵倒を掲載してから「楽しい編集を心かけろ」とお説教、それでいて両論併記は認めない、悪いけどそういう風にしか見えないんですわ。他の方がどうお考えになるかは別ですが。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2010年12月5日 (日) 03:53 (UTC)[返信]



>社名をぼかせと言ってみたり
いつそんなこと言いました? 何でも勝手な印象で語る人ですね。
>ぼかしたら明示しないことを難詰したり
いつあなたを難詰しました? いつでも普通の質問しかしていませんよ。普通の質問が、おびえているから「難詰」に思えるのでしょう。被害妄想ですね。論理を尽くして議論して合意を形成していくだけの思考力に自信がなければ、無理に発言されなくてもいいですよ。
>いちいち辞書などを持ち出して
辞書程度のこともあなたがご存じないようだから、やむなく辞書を出しただけですよ。
>こういう感覚が身につかないんだったら編集には向いてないと思いますね。
その程度の感覚が最善だと思っているようでは、編集者としてはまだまだですね。Wikipedia創設者ジミー・ウェールズの“IAR is policy,always has been.”の言葉の重要さなど理解できないでしょう。
>自分の罵倒を掲載して
何が罵倒なのですか。「悪質な業者が存在する」との記述を「罵倒」と受け取るとは、あなたがその悪質な業者なのですか。--鈴之助 2010年12月7日 (火) 17:00 (UTC)[返信]
>ぼかしたら明示しないことを難詰したり
ああ、それはこれ。
>またあなたは~いずれ「小史」は「短い歴史記述」などと訂正されるでしょうが
>とのことですが、同社とは「出版文化社」のことなのでしょう~とはどこですか。
↑2つのレスが同じ人間の発する言葉とは思えないね。出典の明記の問題があるから同社の解釈が消えることなんざ無いと思いますがね。
>普通の質問が、おびえているから「難詰」に思えるのでしょう。
妄想。
>その程度の感覚が最善だと思っているようでは、編集者としてはまだまだですね。
そういう事はあなた自身が行った独自研究を削除し、実際に出典の一つも持ってきてから言って欲しいですね。
>普通の質問が、おびえているから「難詰」に思えるのでしょう。被害妄想ですね。
妄想。
>あなたがその悪質な業者なのですか。
妄想。
>何が罵倒なのですか。「悪質な業者が存在する」との記述
根拠も示せず「悪質な業者が存在する」と書くのはその業界に対する罵倒以外の何者でもない。また、常識として要求仕様に対して見積が過少なら業者が追加予算の要求に至るのは当然(50人月無いと作れない内容なのに20人月分の人件費しか計上しない、みたいな。貴方が【注記】で書いてる一回こっきりの付き合いってのは発注側も同じ。おまけに表に出にくいBtoBだ。独自研究可なら何とでも言えるな)。独自研究に加えて中立的観点も犯してるのが現在の状態。前にも書いたが、社史製作支援の雑誌記事にそれに近い話なら出ているのでね。
あと、貴方が組合に固執していた件だが、『会社史総合目録』定義を持ち出せば第三者のノンフィクションやパンフまで社史扱いに出来るので、それらの書物の記述について一考に値することはお伝えしておきます。
>タメグチはダメですよ。私のレスをもらえませんよ。
このやりとりを見て思ったんで一つ聞きたいが、何様のつもりですか?岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2010年12月8日 (水) 12:27 (UTC)[返信]



>要求仕様に対して見積が過少なら業者が追加予算の要求に至るのは当然
 もう、何言ってるんですか。頭に血が上っているのかもしれませんが論理が破綻してますよ。見積を出すのは業者ですよ。過小な見積で契約しておいて過小だったからと追加予算の要求に至るのが当然と言うのですか。「アッ、しまった」と思われたでしょうから一回待ってあげます。訂正していいですよ(ヒント:少し直せば少しは意味の通る文章になります)。どうぞ。--鈴之助 2010年12月8日 (水) 13:51 (UTC)[返信]


>雑誌記事にそれに近い話なら出ている
 おおっと、これは大変重要なコメントを見過ごしていました。私の【注記】に近いトラブルの話が雑誌に出ているというのですね。私が懸命に探している「出典」を、岩見さん、あなたは知っているのですね。だったら教えてください。私の投稿に「出典」となり得るものがあるのを知りながら、「出典を示せ、示せないなら削除だ」と言うことはできないはずです。しかし、喜ぶのは早いかな、よく読むと、岩見さんは「悪質な発注者」の話が出ていると言っているようですね。「悪質な発注者」はもちろん咎められるべきですよ。「悪質な受注者」と同様に。ところで、私は「悪質な受注者」の話をしているのにどうして「それは発注者が悪質なのかもしれない」という話に展開するのですか。あるいは「表に出にくいBtoBだ。独自研究可なら何とでも言える」という話に展開するのですか。私がA+Bという前提条件を置いたうえで「A+B=Cだ」と言っているのに「A+D≠Cだぞ」と言っているようなものです。それでは「A+B=C」の否定にはなり得ないのです。--鈴之助 2010年12月8日 (水) 15:01 (UTC)[返信]


>何様のつもりですか?
 岩見さん、ここは合意を形成するために粛々と議論する場です。酔っ払ってからむような不毛な質問(質問と呼ぶべきものでもない)はお互い控えましょう。--鈴之助 2010年12月8日 (水) 17:29 (UTC)[返信]


被依頼者は人の事を云々して、自分はwikipediaのルールを理解する努力をしているのかと。自分の体験のみを根拠にした記述は不可と言うのは根本的な方針で、個人的に疑問に思ったからってスルーしていいものじゃなし、そげな編集は消されても文句は言えない。たとえネッシーを捕まえたんでもね。--124.26.242.113 2010年12月5日 (日) 13:22 (UTC)[返信]

 タメグチはダメですよ。私のレスをもらえませんよ。Wikipedia創設者ジミー・ウェールズの“IAR is policy,always has been.”のあなたなりの解釈でも述べればレスされることもあり得ますが。--鈴之助 2010年12月7日 (火) 17:00 (UTC)[返信]

>私が懸命に探している「出典」を、岩見さん、あなたは知っているのですね。
当初予算をオーバーした、という点だけ似てるという話。てか2回も言ってることだがその話は発注者も受注者も満足しているので大した問題は書かれていないんだが?
>「悪質な発注者」はもちろん咎められるべきですよ。
ほお。それを知ってて一方の咎だけ書きこんで載せろ載せろと騒いだのですか。やっぱり中立的観点も理解していないのですね。ま、どちらにせよ無根拠の「悪質な○○がいる。」論はここでは止めて欲しいんだが。
>酔っ払ってからむような不毛な質問(質問と呼ぶべきものでもない)はお互い控えましょう。
ああ、「私のレスをもらえませんよ。」「「アッ、しまった」と思われたでしょうから一回待ってあげます。」とかのことですか。って言葉がどう使われているかは御存知ですか?
>私がA+Bという前提条件を置いたうえで「A+B=Cだ」と言っている
ガガガガーの木からやり直してください。それ典型的な「発表済み情報の合成」。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2010年12月8日 (水) 22:46 (UTC)[返信]



>>「悪質な発注者」はもちろん咎められるべきですよ。
>ほお。それを知ってて一方の咎だけ書きこんで載せろ載せろと騒いだのですか。やっぱり中立的観点も理解していないのですね。


「悪質な業者がいる」と言うときに「悪質な客もいる」と言わなければ中立的な記述ではないというのですか。まさに珍論ですね。


>ガガガガーの木からやり直してください。
「ガガガガーの木」とは何ですか。あなたはまじめに議論しているのですか。--鈴之助 2010年12月9日 (木) 17:38 (UTC)[返信]
ガガガガーはバンドで木はゴンリの木だったのをミスりました。まぁいずれにせよWikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成をよく読んでください。というか、独自研究は載せないは何度も紹介されている筈ですが。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2010年12月10日 (金) 13:24 (UTC)[返信]



>独自研究は載せないは何度も紹介されている筈ですが。
何度も紹介されていますし、何度も見ました。ルールは守るべきことも解っています。しかしそれでもなお、私の投稿は削除されるべきでないと思ったから、IARを示して削除を防ぎ、出典を探しているのですよ。だから今、IARおよびWikipedia創設者ジミー・ウェールズの“IAR is policy,always has been.”をどう思うかと聞いているのではありませんか。そこに触れずに「独自研究は載せない」を繰り返すのは議論者として怠慢ではありませんか。--鈴之助 2010年12月10日 (金) 19:04 (UTC)[返信]
>何度も紹介されていますし、何度も見ました。
じゃあ「ガガガガー」「発表済み情報の合成」と書かれた時点であの話か位思うもんじゃないですかね?「何ですか。あなたはまじめに議論しているのですか」はないでしょう。本当に読んでるのかな。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2010年12月11日 (土) 02:25 (UTC)[返信]


>じゃあ「ガガガガー」「発表済み情報の合成」と書かれた時点であの話か位思うもんじゃないですかね
その部分は読んでいないのですから「あの話か」と思いようがありません。言うまでもなく私はWikipediaについての記述をすべてを読んだわけではないので読んだ部分と読んでいない部分とがあり、「発表済み情報の合成」は読んでいない部分に入ります。なぜ読んでいないかというと、「発表済み情報の合成」というタイトル自体私の投稿とは無縁のものだからです。なぜ私の「A+Bという前提条件を置いたうえで「A+B=Cだ」と言っているのに「A+D≠Cだぞ」と言っているようなものです」というコメントを「発表済み情報の合成」とされるのかいまだにわかりません。今読んでみますと「発表済み情報の合成」では「A+B=C」の文字式での説明がありますが、私の出した文字式「A+B=C」とは意味内容がまったく異なるものです。私の表現に「A+B=C」があり、「発表済み情報の合成」の説明に「A+B=C」があるから、同じものだと思って「典型的な発表済み情報の合成だ」と喜ぶのは、無邪気というか何というか……これ以上言うと侮蔑表現ととられてしまいそうだから言いません。もはや褒めてあげたい心境です。「岩見くん、よく同じものを見つけられましたね、えらいえらい」--鈴之助 2010年12月11日 (土) 06:58 (UTC)[返信]
>その部分は読んでいないのですから「あの話か」と思いようがありません。
私は↓のように書きました。
>まぁいずれにせよWikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成をよく読んでください。
この節を読んでないと言うことですか。いいですか?そういうのは「何度も見ました。」とは言わないんですがね。曲解だけならまだしもこの場で堂々と嘘をついてはばからない斬新な感覚には脱帽です。
>私の表現に「A+B=C」があり、「発表済み情報の合成」の説明に「A+B=C」があるから、同じものだと思って
これはこれは説明不足で申し訳ございません。貴方の場合はAやBにあたる部分も独自研究でしたね。
>侮蔑表現ととられてしまいそうだから言いません。
いやそれ充分に言ってますから。海老蔵灰皿テキーラレベルの挑発行為。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2010年12月11日 (土) 08:20 (UTC)[返信]



>この節を読んでないと言うことですか。いいですか?そういうのは「何度も見ました。」とは言わないんですがね。曲解だけならまだしもこの場で堂々と嘘をついてはばからない斬新な感覚には脱帽です。
 その節を読んでいない理由は先に述べたとおりです。「何度も見ました」とは矛盾しません。まして「何度も見ました」を「嘘」として取り扱おうとするあなたのやり方は卑劣です。--鈴之助 2010年12月11日 (土) 09:29 (UTC)[返信]


>これはこれは説明不足で申し訳ございません。貴方の場合はAやBにあたる部分も独自研究でしたね。
 というか、あなたが私の投稿を「体験に基づいた独自研究」だとしたのです。そのご本人が今度は「発表済み情報の合成」だと言いだしたから変だなと思ってとりあえず無視したまでのことです。そうしたらそこを読んでいないのでは「何度も見た」ことにならないから私は「嘘をついてはばからない」やつだとされたのです。まあ無茶苦茶な言いがかりです。--鈴之助 2010年12月11日 (土) 09:29 (UTC)[返信]


>海老蔵灰皿テキーラレベルの挑発行為
 あなたの言葉づかいはどんどん堕ちて行っていますね。このようなコメント依頼のページをわざわざ立ち上げた責任者として恥ずかしくないですか。--鈴之助 2010年12月11日 (土) 09:29 (UTC)[返信]
それはただの例えに過ぎない。「私のレスをもらえませんよ」「岩見くん、よく同じものを見つけられましたね、えらいえらい」等、正直貴方の挑発的な言動は酷いものです。もう一度聞くが何様のつもりですか?こういうご自身を棚に上げてまた言葉遣いの問題に逸らすのですか?貴方は毎度そればかりですね。
>なぜ読んでいないかというと、「発表済み情報の合成」というタイトル自体私の投稿とは無縁のものだからです。
そもそもAやBって悪質な業者がどうのこうのって注記の話ですよね。ご自身の体験を記述されるだけではなく、その中で情報の合成に相当する行為もやっているのですから無関係とはいえないです。いずれにせよ、最初の時点でリンク内の#の先も明示していたのだから、それに対して「何度も見ました」というのは大言壮語だと思いますね。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2010年12月11日 (土) 13:32 (UTC)[返信]

鈴之助より

 ここで、コメントを下さる皆様に申し上げます。私は「個人の体験は載せない」という基本方針を知らないまま【注記】を投稿したのでしたが、その基本方針を知らされて後も、この投稿は削除されるよりされないほうがいいという強い信念のもとに、求められる「出典」を探しています。これが気軽な思いつき程度のものでしたら、「そういうルールなら従おう」と引っ込め、出典探しすらしなかったでしょう。私は基本的に「ルールは守ろう」「郷に入っては郷に従おう」と思う人間ですから。しかしこの投稿はそのような気軽なものでなく、非常に真剣な動機で出したものでしたので、出典探しと同時に、私の立場を支える規定がWikipediaにないかということにも関心を抱き、そうした記述を探しました。そして到達したのが、


1.手続き上の瑕疵をもって削除してはならない。

2.投稿者が探している出典が出てくるかもしれないものは削除してはならない

3.Wikipedia創設者ジミー・ウェールズの“IAR is policy,always has been.”という言葉


 でした。

 結局のところ、1.と2.は3.によって保護されているわけなので、3.の「Wikipedia創設者ジミー・ウェールズの、

  “IAR is policy,always has been.”という言葉

 を念頭に置いた議論が進まなければ「合意形成」は望めないわけです。しかしながら残念にも、岩見さんはじめコメント投稿者の皆さんは、この“IAR is policy,always has been.”について触れようともしません。そうした態度に非常に疑問を抱きます。わずかに「かげろん」さんの2回目のコメントだけがIARに言及してくださっており、「WP:IARを根拠としてWP:VWP:ORを意図的に無視しようとしていることと同義に思えますが、違うのでしょうか。」と「印象」レベルではあっても、ご自分の言葉でクリエイティブに語ってくださっています。もちろん私はこれにも反論しますが、これでこそ「合意形成」を求めての真摯な議論ができるとありがたく感じます。またJkr2255さんのコメントも、後につながるまじめなご意見であり、感謝しております。

 信念をもって書いたことを、どういう動機なのか「ルール」を振りかざして抑え込もうとする岩見さんに反発し、かなり無理押しの議論もしましたが、議論の本質から遠ざかっていくばかりなので、これからは、Wikipedia創設者ジミー・ウェールズの、

  “IAR is policy,always has been.”

 という言葉と絡めてのご批判をいただきたく切望します。ルールを引っ張ってくるのでなく、何でもよいので自分で一から考えた自分の言葉で独自の考えをまとめ、「この言葉を自分はこう思う。だから鈴之助の言っていることはやはり間違いだ」と、このジミー・ウェールズの言葉に即してのご批判を下さい。よろしくお願いします。もちろん「鈴之助の主張を是認する」も同様に歓迎します。ではよろしく。--鈴之助 2010年12月8日 (水) 18:48 (UTC)[返信]

ルールを引っ張ってくるのでなく、何でもよいので自分で一から考えた自分の言葉で独自の考えをまとめ、「この言葉を>自分はこう思う。だから鈴之助の言っていることはやはり間違いだ」と、このジミー・ウェールズの言葉に即してのご批判>を下さい。よろしくお願いします。もちろん「鈴之助の主張を是認する」も同様に歓迎します。ではよろしく。

えっとぉ、ここコメント依頼ですよね?なぜ被依頼者がコメントの内容を指定しているのですか?その非常識な振る舞いが問題になっていることに、そろそろ気づいてください。みんなが「自分で一から考えた自分の言葉で独自の考え」で集まっていたら、共同作業などできるはずがありません。--Xx kyousuke xx 2010年12月10日 (金) 12:38 (UTC)[返信]


>なぜ被依頼者がコメントの内容を指定しているのですか
「ジミー・ウェールズの言葉に即してのご批判を下さい。よろしくお願いします」と言ったら「指定」したことになるのですか。「下さい」「お願いします」は単なるお願いではないですか。「指定」したとは、私を無法者として印象づけようとするレッテル貼りと思います。


>その非常識な振る舞いが問題になっている
「非常識」ではありません。極めて常識的な話の流れです。「問題」にもなっていません。「問題だ」とする人がいるだけのことです。レッテル貼りで自由な言論を封じることはできません。


>みんなが「自分で一から考えた自分の言葉で独自の考え」で集まっていたら、共同作業などできるはずがありません
みんなが「自分で一から考えた自分の言葉で独自の考え」で集まってこそ、共同作業ができるのです。そうでない共同作業があるのですか。私の考え方が「常識的」だと思うのですが。--鈴之助 2010年12月10日 (金) 19:04 (UTC)[返信]
つくづく気の毒なお方ですね。ここはコメント依頼です。被依頼者の演説を聞く場所ではありません。そういう態度はブロックの対象になる場合もあることをお含みおきください。--Xx kyousuke xx 2010年12月11日 (土) 01:06 (UTC)[返信]


 だったらしっかりコメントしたらどうですか。ここはコメント依頼ですよ。コメントしない人に出てきてもらっては困ります。そういう書き込みは「合意形成」の妨害行為とみなされる場合もあることをお含みおきください。--鈴之助 2010年12月11日 (土) 06:58 (UTC)[返信]
  • コメント 出典を求める理由として、何かしらの基準を読者は得たいわけです。鈴之助氏の『「当事者」の私が編集した』では、あなた、もしくはあなたの会社、その付き合い範囲での基準を知るのみで、WP:Vを元とする情報を得る事に繋がりません。三本の柱としてWP:VWP:NOPWP:NPOVがあり、NPOVからは鈴之助氏のおっしゃる考えも出ています。しかし、敵のために書く事も忘れないで欲しいのです。WP:IARノートを見れば、鈴之助氏の言う理念を踏まえた上で議論が行われていますが、未だ公式な方針として含まれておりません。悪用される危険があるからです。「共同作業」を円滑にすすめるため、多くのウィキペディアンが従う柱を軽視する事は、良いことではありません。最後に、「当事者は出てくるな」という発言はダメですね。--えふぽ 2010年12月16日 (木) 07:34 (UTC)[返信]

コメント依頼を閉じます[編集]

コメントをいただいた皆様、ありがとうございます。

  • 複数の方から御指摘があったとおり、当事者は誤字訂正にも関与するべきではないというのは、本件については失当であったかもしれません。したがってこの件については上記のように取り下げます
  • 一方で、独自研究、検証可能性に関するスタンスですが、鈴之助さんとその他の方との溝は大きく、自分の体験を出典無しに書くべきではないという私の主張に近いように見受けられます。というか、実際には個人的見解を書き連ねてブロックに至った例も数多あり、本事例もそれらと同様のケースと思われます。ちょっとしたガイドライン解釈の差異程度で済むレベルではないでしょう。
  • また、鈴之助さんは議論の際は非常にレスポンスが早い反面、一旦投稿が低調になると書き込みをおやめになっておられます。12月上旬からカウントしても既に1ヶ月経過していますが、自身で仰られていたソース探しもその結果がさっぱり見えません。
  • 更に、独自研究追記の自由を主張されておりながら「小史」の定義において持論に固執し脚注を削除したり、自らに対する言葉遣いに執心される反面安易に悪質業者などの単語を使う等、目に余る行為ではないかと考えます。

当方としては文献収集により本記事についてストックしているネタ(日本と世界の社史編纂の歴史)もあり、そちらの追記を実施したい反面、現状鈴之助さんが加筆された事項については問題であるため削除というスタンスは変わっておりません。鈴之助さん以外から当該項目削除について同意は得られたものと考えますが如何でしょうか?猶予期間として後1週間程度、日本時間で1月28日一杯まで待ちますが、それで悪質業者関係についての出典が無い場合には削除処理および呼称区分の記述の復帰(辞書的定義との併記化)をさせていただきたいと思います。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年1月19日 (水) 15:14 (UTC)[返信]

追記:27日になって当該の記述に出典が与えられました。例の牧歌舎ですが(この会社記事立項されてますね)、出典であることには違いありません。当面はこの出典の範囲内且つ同社の記載の丸写しとならない形で鈴之助さんの投稿した文章を改変して残したいと思います。宣伝に使われるのも何なので「業者の中には同業他社の一部に悪徳業者が居る旨を主張する場合がある。(以下具体的記述)」といった感じを考えています。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年1月28日 (金) 14:27 (UTC)[返信]

鈴之助です。岩見さん、お久しぶりです。相変らず仕切っておられますね。いくら削除されても「出典」を必ずや見つけて再投稿するつもりでしたから、あなたの「仕切り」はほとんど無意味でしたが、幸いにしてあなたが勝手に設定した期限内に問題は解決しました。出典を示せ示せと言っておいて、出典が出てきたら今度は私の文章を改変するというのですか。これは私の投稿ですから、私にノートで相談してからやってほしいものです。たしか、そのようなマナーがどこかのガイドラインに示されていたはずです。「業者の中には同業他社の一部に悪徳業者が居る旨を主張する場合がある」というような文法もなってないような変な文章で「改変」されては困ります。再投稿の場合に百科事典的な表現に書き直そうと思っていた文章に私自身で「改変」しました。私に相談なく触らないように。--鈴之助 2011年1月28日 (金) 20:06 (UTC)[返信]

>私に相談なく触らないように。

独自研究を正当化していたご自身の立場を相変わらず全く理解していないようで呆れてしまいますね。あれは出典ではありますが、業者による業者の叩き合いでしかない。独自研究文に触るななどと貴方が決める権利はどこにも無いですな。Wikipediaでの記事の編集方法も十分理解しようとしない(章節の区切りにはイコールを使うといったような基本的なタグの使用等)貴方からの「文法がおかしいから云々」の茶々入れも話題逸らしで見苦しいことこの上ないです。

>「出典」を必ずや見つけて再投稿するつもりでした

口先だけではなく今後は御自分で出典を探すよう努力してください。出せなければ消すだけですし、出てくれば載せるだけです。貴方の「やるやる詐欺」はもう読み飽きました。トラブルに関しての事例は見つけ出せませんでしたが、記事全般の記述の出典探しについて、私は相応の結果は出してますので。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年1月29日 (土) 01:34 (UTC)[返信]

鈴之助です。岩見さん、あなたは私に相談なく私の書き込みを全面的に改変しましたね。あなたがこのページの冒頭に私が違反しているとして示した、Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性などのページの冒頭に「大きな変更を加える場合は、先にノートで提案してください」というメッセージが出ているのを知らないのですか。まずそれをお尋ねします。--鈴之助 2011年1月29日 (土) 03:55 (UTC)[返信]

貴方がWikipediaに投稿した時点で貴方の著作権は失われています。当該箇所の大幅な変更についてはまず最初に貴方が自ら実施しており、人のことを言えたことではないでしょう。冒頭と対策の追記以外は単なる体裁の整形に過ぎませんし、私は以前から独自研究なら消す旨散々議論しており、実質的にそれが提案に当たるとも言えますな。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年1月29日 (土) 04:07 (UTC)[返信]

あと、注記だの警鐘の意味だのと書いてきた割に、鈴之助さんはせっかく牧歌舎が紹介してくれた対策について一言も言及しなかったですな。リンク先を確認しないで編集したのか個人感情からそこまで思いが至らなかったのか知りませんが。貴方が去年の秋の段階で初心者「だった」のは理解しますが、ここまで毎回毎回手取り足取り教えなきゃいけないとなるとこっちも面倒なんで今後は気をつけてください。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年1月29日 (土) 04:17 (UTC)[返信]

  • コメント あの程度の変更は「大きな変更」に該当するものではありません。大幅な記述除去とか全面改稿などの場合が「大きな変更」といえるものですから、今回の岩見浩造さんの編集は問題のあるものではないと考えます。「私に相談なく触らないように。」とか鈴之助さん、あなた何様のつもりですか。このようなことを言っていたら他の方から、社史の記事を私物化しようとしてるのではないかと思われますよ。--かげろん 2011年1月29日 (土) 04:26 (UTC)[返信]


鈴之助です。岩見さん、あなたのマナー違反は明白です。当然の対応として、元に戻しておきました。これからはマナーを守ってください。--鈴之助 2011年1月29日 (土) 04:33 (UTC)[返信]


鈴之助です。岩見さん、また直されたのですね。編集合戦にしたくないので私は今回は触りませんが、内容証明郵便がどうとかまで書く必要があるのでしょうか。私は自分の当初の投稿が具体的すぎて百科事典にそぐわないと思うようになったので、他のページの類似の記述などを参考にして簡潔な記述に変えたのです。内容証明郵便云々まで書くのはバランス的に変だと思いますが、まあ、出典に出ていることだから除去までは求めません。また、出典について、「自社の信頼性を誇示するため」の記述だという文言を追加されていますが、それはあなたの憶測でしかありません。出典は何が書かれているかが問題であって、書いた意図にまで憶測で言及するのは慎むべきでしょう。そのような中立性を欠いた文言を書き加えられたことで私の元の記述は価値を低下させられています。マナーに基づき、この追加文言をご自分で除去されるよう提案します。いかがですか。--鈴之助 2011年1月29日 (土) 05:43 (UTC)[返信]

>内容証明郵便がどうとかまで書く必要があるのでしょうか。

独自研究を加筆して散々その記述の保持に固執し、ろくすっぽ編集スタイルの勉強もしない貴方がマナー?正気ですか?当該のウェブサイトには製作過程の問題の他、処方箋も明記してあるから追記したのです。貴方が因縁をつけて差し戻していた記述は問題点の指摘に止まっており、記述としての広がりには欠けています。元々あなた自身が「警鐘を鳴らす」などと言っていたのに非常に不可解ですね。貴方が作成した一方的な罵倒でしかない元の記述よりはマシでしょう。

>「自社の信頼性を誇示するため」の記述だという文言を追加されています

「誇示するため」という表現は最初から使っていません。メモ帳でドラフトを書いていた際にそういう表現を回避するため工夫したのでこの点は断言できます。他人に文法の問題を指摘する割に正しく読み取れないのですか?何故載せたかと言えば、出典元のページは「悪徳業者が居る」「わが社はそんなことはしない」と明言したものであり、前者だけトリミングして出典に使う方が余程問題だからです。

例え話としてかつて比較広告の代表例だったコーラに置き換えてみましょうか。仮にコカコーラ社なりペプシコーラ社が「不味いコーラを売っているメーカーがある。しかしわが社のコーラはそんなことは無い」とウェブサイトで説明したとして、Wikipediaで「不味いコーラもある」の出典としてのみ使用したら、却って問題だと思いますが。

牧歌舎サイトの記述については価値も、参考サイトとしての有意性も大いに認めますが、書いているのが業界団体(あるのか知りませんが)ですらない一同業者であることは考慮して編集するべきでしょう。マスコミの報道や大学教授のコメントとは性格が少し異なります。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年1月29日 (土) 09:52 (UTC)[返信]

追記>近年、社史の執筆・編集・印刷・製本を請け負う業者が輩出し、これを利用して自社の社史を制作する企業が増えている

この書き出しに固執されていますが、業者の存在は今に始まったことではないですよ。細かいことだが「近年」というのは曖昧ですし、近年輩出した訳でもないですよね。更に、「増えている」の根拠は何ですか?『社史の研究』を見ても分かるが、毎年の発行数も一方的な右肩上がりでもないし社会情勢による増減は普通にあるんですけど。産業としても見なせる(そういう文献がある)以上、定量的なデータの提示なしにこの表現にするのはやめて貰えませんかね。また、他の全ての業界と同じく、社史出版産業について言及した文献はほぼ全て日本に限定したものです。あの段落の冒頭に「日本の」と断りを入れたのはそれが理由です。どうして外したのですか?岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年1月29日 (土) 10:21 (UTC)[返信]

鈴之助です。「この問題を取り上げ、同業他社の一部に悪徳業者が居る旨を明記し、自社の信用の高さを誇示する業者も登場している」というのがあなたの追加した文言です。「「誇示するため」という表現は最初から使っていません」と言っても、使ったのと同じことではないですか。だいたい、「自社の信用の高さを誇示する」という言葉自体が憶測に基づくものです。「誇示」というのは他者の心事を忖度・憶測した主観的な表現で、客観的であるべき百科事典の本文記述用には不適当な用語です。業者のサイトだから割り引いて考えろということのようですが、そのこと自体が本来無用な個人的見解です。出典評価は行わないのがwikipediaでの了解事項だとあなた自身がずっと以前に言っているではありませんか(私は、内容に客観的で具体的、即自的な問題があるときは必要だと思いますが)。また、「近年」だとか「増えている」だとか「日本の」だとか細かいことを変えたいようですが、一々挙げませんがここ10年ばかりで業者が増えているのはWebサイトを見ても明らかですし、業者が増えているから「業者を利用して社史を制作する企業が増えている」と私は書いたのであって、単に「社史を制作する企業が増えている」と書いたわけではありません。業界状況が昔はどうで今はどうでという説明はできますが、そんな時間はないのでお好きなようにしてください。また、あなたのコカコーラとペプシコーラの話は論理上今回のテーマと呼応しない的外れの比喩であることは、説明しなくても解る人には解るし、解らない人にはいくら言っても解らないでしょう。私も老人で残された持ち時間が少なく、主な関心事に集中したいので、あまり脇道に誘わないようにしてください。あなたが一所懸命調べて書きたいことがあるなら、細かいことは今後は見逃します(というか相手をする時間がありません)。但しあまり愚劣なことを書かれればいつでも本気で襲いかかりますので(とりあえず、労働組合史は社史でないことをやる予定)、しっかり心の準備をして編集するようにしてください。あなたは「文献収集により本記事についてストックしているネタ(日本と世界の社史編纂の歴史)」を披露されるとのことですから、それが出てくるのも手ぐすね引いて待っています。--鈴之助 2011年1月29日 (土) 11:40 (UTC)[返信]

>「「誇示するため」という表現は最初から使っていません」と言っても、使ったのと同じことではないですか。

「誇示のため」と連接させた文章ではありません。貴方の仰る文法とはそのような因縁のことなのですか?

>ちなみに、弊社はご契約時に取り決めた金額に対し、途中での内容変更を相互に確認する文書がない限り、完成納品後に一円も追加料金をいただくことはありません。まっとうな職人として当然のことです。

これが当該業者のウェブサイトに書かれた原文であり、信用の高さに自分から言及しており、私の記述は問題のないものと考えますが。

>出典評価は行わないのがwikipediaでの了解事項だとあなた自身がずっと以前に言っているではありませんか

誰が述べているかを書くのは単なる事実の提示に過ぎず評価ではありません。私は記事本文に「有意義」だの「取るに足らない内容」だのと言ったことを書いたわけではありません。また、業者が他の業者を叩くこと自体は自由ですが、その内容だけをさも第3者が言ってるかのようにトリミングすることはWP:NOTADVOCATEに抵触しますよ(尤も、貴方の場合これまでしてきたことの殆ど全てがこれに抵触してますがね。)

>また、あなたのコカコーラとペプシコーラの話は論理上今回のテーマと呼応しない的外れの比喩である

中身のない反論ですね。出版業者にとっては出版物が商品に当たるから、全く的外れではありませんよ。書いた側がどれほど義憤にかられてようが同業者自身が自社の姿勢と比較すればある種の自己宣伝になりうる。「まっとうな職人」と主張しているのは紛れもない事実ですな。

>あなたが一所懸命調べて書きたいことがあるなら~それが出てくるのも手ぐすね引いて待っています。

貴方のやっていることって、ウィキペディアでやらなきゃいけないことじゃないよね?世の中に言いたい事があるなら御自分の日記帳にでも書いていてくださいな。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年1月29日 (土) 12:24 (UTC)[返信]

追記>一々挙げませんがここ10年ばかりで業者が増えているのはWebサイトを見ても明らかですし、

論外です。そもそも10年前のインターネット普及状況、コンテンツの蓄積量と現在とは比較にならないからです。また、ウェブサイトの数を数えて増えている証拠になるとか冗談もほどほどにしてください(「サイトが増えているので業者も増えている」と書かれた文献でもあれば別ですが)。思い出すのも面倒なのでいちいち挙げませんが、他の記事のノートでその種の主張がなされた際には、独自研究の範疇に入ると反論されるのが定番だったかと。

>業者が増えているから「業者を利用して社史を制作する企業が増えている」と私は書いたのであって

だからそれも貴方の個人的な体験談でしょう。個人的な体験が業界全体の傾向と一致しないこともありますし、新聞記者の所見だとか何らかの出典が必要になることでしょう。それが。

>業界状況が昔はどうで今はどうでという説明はできますが、そんな時間はないのでお好きなようにしてください。

そうですか。社史と言う歴史の一分野を扱う当事者の発言とは思えないぞんざいなものですね。実にがっかりします。社史(および業界)の歴史も第3者からは興味をもたれている分野であり、村橋氏にせよ経団連にせよ言及してきているという事実も挙げられますが。

>手ぐすね引いて待っています。

今気づいたのですが、出されたものにケチつける以外の能が無いのですか。実際の出版物で体験談を語る人でも改めて調べ物をする方は結構居るものですが、貴方の一連の発言からは、そういう誠実さはあるように見えませんねぇ。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年1月29日 (土) 14:47 (UTC)[返信]

鈴之助です。岩見さん、今見ますと、あなたの編集の後に、妙な文が追加されていますよ。「近年の出版・印刷不況のあおりを受けて、新規参入してくる業者が増えているが、 経営不振を隠して社史制作を請け負い、対応できずに倒産するケースが報告されている」のだそうです。なるほどと思って出典表示されたサイトを見ますと、この文のようなことは何一つ書かれていません。「経営不振を隠して社史制作を請け負い、対応できずに倒産するケースが報告されている」というのに、出典(帝国データバンクと自費出版会社のサイトの中のページです)ではそういうことは報告されていないのです。一応出版不況にはふれていて、自費出版(社史も自費出版の本の部類に入ることは分かります)にもふれているからこれでも出典としてOKなのですか。どうも釈然としないのですが。WIKIPEDIAでは大先輩の岩見さんにご教示いただければ幸いです。--鈴之助 2011年2月2日 (水) 17:33 (UTC)[返信]

既に利用者‐会話:218.229.222.38で聞いてます。少なくとも1~2週間は待ちますが彼が連絡を取らないようであればあの出典は適当な項目で再利用しようと思ってます。あと、貴方とは散々やりあいましたが「大先輩の岩見さん」だけは恥ずかしいのでやめてください。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年2月3日 (木) 13:55 (UTC)[返信]