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Wikipedia:コメント依頼/まさふゆ

利用者:まさふゆ会話 / 投稿記録 / 記録のこれまでの行為について、コメントを依頼します。--まさふゆ 2012年2月8日 (水) 10:47 (UTC)[返信]

これまでの経緯[編集]

私はアカウントユーザとして3年半ほど活動しており、当初は日本史関係の記事を投稿していました。その後、神道関係の記事を投稿するようにもなり、最近は政治関係記事を編集しています。

記事を新規に作成する際には、文献の表現を引き写さないよう注意してきたのですが、投稿する際に参考文献として一部の文献を明記しなかったことがありました。自分の言葉でまとめており、著作権侵害にならないような書き方をしているだから、参考文献の全てを書かなくても良いという認識だったのですが、Wikipedia:井戸端/subj/嘘の出典提示の是非と悪質性の議論を見て問題のある行為であると気付かされました。

例をあげると坊門家は執筆する際に参考文献として明記してある国史大辞典を使用したことは確かですが、大部分の記述は国史大辞典に記載がありません。坊門家の場合、記載がない部分は他の文献を参照したという訳ではなく、確かこちらのサイト[1]と、ウィキペディアの他の記事を参考にしています(履歴継承が問題になるような記載はしていないはず)。

このまま自分から申し出なければ、ずっとバレないかもしれない。でもそれは保身でしかなく、出典表記が適正でないことで他の利用者や閲覧者が迷惑することになる。自分が苦しい立場に追い込まれようとも申し出なければならないと思いました。Wikipedia:井戸端/subj/嘘の出典提示の是非と悪質性を受けて、Wikipedia:井戸端/subj/出典を提示できない場合の質問をしましたが、すぐにこの問題を申し出られなかった自分の弱さを恥ずかしく思います。

私の参加姿勢や今後の対応についてコメントを依頼します。

最後になりますが私の問題行動で多くの方々に多大なご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。誠に申し訳ございませんでした。--まさふゆ 2012年2月8日 (水) 10:47 (UTC)[返信]

(追記)申し訳ありません。「記載がない部分は他の文献を参照したという訳ではなく」は正確ではありませんでした。「当時、忠信は権大納言の地位にあり、討幕計画に関与した公家の中では最も官位が高かった。」の部分は、この記事の執筆以前に読んだ美川圭氏の『院政 もうひとつの天皇制』(中公新書、2006年)の223ページにある「乱で処刑された貴族をみると、権大納言坊門忠信がもっとも高官であり、大臣以上で謀議に加わった者はいない。」との記述が根拠だったように思います。
あと、これも問題になるかもしれませんが、自治体の首長の記事を作成した際に下野新聞のサイトではリンク切れになっている記事を出典にしたことがあります。私は栃木県在住で下野新聞の政治関係の記事については日頃から目を通しており、リンク切れになっている記事も過去には読んでいるのですが、新聞を保存している訳ではありません(最近の政治記事の中には保存してあるものもあります)。例えば、現在の足利市長の大豆生田実氏の記事では「渡辺氏、離党3カ月 自民温知会と広がる距離感」は下野新聞の記事が掲載される47NEWS[2](うまく表示されない場合は[3])、「自民温知会を解消 足利市長選めぐり決断」は47NEWS[4](うまく表示されない場合は[5])で確認が可能です。出典の内容は確認しており、でっち上げている訳ではないものの、誤解される可能性はあったと思います。これらの出典については後日、下野新聞の縮刷版(現在はDVD-ROM化されている)で置き換えたいと思います。--まさふゆ 2012年2月9日 (木) 11:14 (UTC)[返信]

コメント[編集]

執筆環境は年々整備されており、今はどうかと思うことでも当時では問題では無かったということは数多くありますし、編集者の技量も上達していきます。単純な事実関係につきましては元より気に病まれる必要はありませんが、履歴継承について問題となるような使用法をなされていないのであれば、Wikipedia的な部分での問題は無いはずです(全く記事中に現れないのであれば、関連項目としての記載は必要でしょうが)。申し出られた外部サイトと初版を比較しましたが、断絶については単純な事実ですし、一人一人についての記載を使用したとしても解釈の入る部分では無く丸写しでも無い事実関係をご自分で再構成されており、参考文献に準じて外部リンクとして紹介しなかったこと以上の問題は見受けられないと思います(もうリンク済みですけど)。その程度のことは容易に補える物ですし。逆に過去を取り返すわけにはいきませんから、繰り返さなければ良いのです(私はうっかりさんだから繰り返すけどね……)。真摯に考えられるまさふゆさんには、今後も従来と同様の執筆活動を期待します。--open-box 2012年2月8日 (水) 12:57 (UTC)[返信]

  • コメント 外部の文献などへの著作権侵害や履歴継承について問題となるような使用法をなされていないのであれば、私があなたに望むこと4つです。1.抜け落ちているものがそれ以外にあるのであれば、関連項目や出典を付けること。2.同じ過ちを繰り返さないで、どんどん記事を書くこと。そして、3.気にやまないこと。4.管理者へ立候補すること。(4については是非ご検討を。)--Vigorous actionTalk/History2012年2月8日 (水) 14:51 (UTC)[返信]
  • コメントんーと、検証可能性ほか情報源を挙げることの必要性は、時間をかけて徐々に認識されるようになってきたのですし、過去の編集については、それを明らかにしたところで「自分が苦しい立場に追い込ま」れることはない、というか、それは、誰でも編集できる、発展途上のプロジェクトであるウィキペディアでは、あってはならないことだと思うのですね。なので、思い出せるならそれを、どうしてもなんとかしたいなら資料を探して、修正していくのが好ましいですけれど、気に病むものではないでしょう。

井戸端や方針のノートでは、どうすればいいか、どうするのが望ましいか、という話になりがちです。実際に調べて書いている人でなければ、きちんと対応する資料を探すこと、信頼できる資料を選び出すことの難しさはわからなかったりします。先行研究が整理されている分野で書いている人だと、余計自分ができているから、というふうな感覚を持ったりもするでしょう。

とはいえ、これは大変だから情報源無くてもいいよね?と問われても、無くてもいいよという結論にはなりようがない。その記事についての知識を持っている人の間では、適切な情報源を出すのが難しいけど、常識的に正しいと考えられるということはあって、そのように執筆され、記事が発展していけばそれでいいというものもある。あるんだけど、それも出典なしでいい、ってことじゃなくて、どのような情報源を、どう示すのが最善かというのを、考えていくのが好ましいけど、後回しにしている、というような状態と捉えるのがよいと思う。

あと、井戸端でのやりとりからは、自分が見た情報源では、出典として示すべきではないのかもしれない、というような気持ちがあったのかもしれないと感じました。書くなら、見たものを示す。示せないような情報源が根拠なら、書かない。縮刷版なら、示して書くべきこと。ただし、そこでの記述から、飛躍した内容に書き換えない。といったところでしょうか。--Ks aka 98 2012年2月8日 (水) 17:07 (UTC)[返信]

  • コメント 正直申し上げますと、私も参加初期の頃は全く同様のことをしておりました。自分の投稿部分で出典の明確でない箇所については、少しずつ追記しているところですが(ここ参照)、まだ抜け落ちているものが多く残っています。上で皆さんがおっしゃっているように、過去の「後回し」に出典を付けていくことと今後は出典を付けるよう心がけることが大事なのだと思います。--ろう(Law soma) D C 2012年2月8日 (水) 23:56 (UTC)[返信]

依頼提出者です。みなさまコメントありがとうございます。とりあえず大橋訥庵の項目にて脚注でページ数を明記しました[6]。この記事については文献の説明から飛躍した内容は少なかったです(根拠が不明あるいは曖昧な部分は除去しました)。また、先日の依頼文で勘違いしていた部分を補足し、言及していなかった新聞記事の利用法について追記しました。--まさふゆ 2012年2月9日 (木) 11:14 (UTC)[返信]

まとめ[編集]

open-boxさん、Vigorous actionさん、Ks aka 98さん、Law somaさん、コメントありがとうございます。

依頼提出から7か月が経ち、その間に出典を付ける作業もかなり進めることができました。これは常識だから出典を付けなくても大丈夫だろうと考えて出典なしで書いた記述でも、実際に情報源にあたってみると完全な間違いではないが少しづつ違うということがあり、検証可能性に対する考えの甘さを痛感しました。後回しでいいやと考えていた側面は否定できないです。

この7か月間で過去の執筆記事に一通り出典を付けることができましたが、まだ出典の明記が十分でないものも残っています。それらについても出典を見つけることができ次第修正していきたいと思います。--まさふゆ会話2012年9月14日 (金) 11:29 (UTC)[返信]