Wikipedia‐ノート:秀逸な記事の選考/武士団 20080328

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引用の目安について[編集]

とりあえず中国史分野において、そういった引用の目安ということを書いた文章は私は知りません。私が知らないだけである可能性も非常に高いですが。
今、私の手元に『宋代研究文献提要』という本があります。この本は1961年以前の宋代史に関する研究論文の中で重要な部分を引用して紹介する本です。この中には2000字を超える引用がされている部分もあります。もちろんこういう特殊な目的で作られた本ですので目安にはなりませんが、参考までに。
今までに他の論文を読んだ感覚からいけば、武士団の引用は全く問題の無いレベルと思います。
歴史の分野では下手な要約をしてしまうと文章の意味を捻じ曲げてしまう恐れがありますので、どうしても引用文も長くなる傾向があるのではと推測します。他の分野の論文なんて読んだことが無いのですが。らりた 2008年3月31日 (月) 13:14 (UTC)[返信]

私も一応は、東南アジアの政治研究を専攻に大学時代を過ごし、数多くの論文に目を通してきたので、コメントをすると、広く社会科学という分野で検討したとしても、今回は適切な引用であり、それに対応する形で、脚注が付与されているとすると問題はないと思います。また、イスラーム研究では必ず、クルアーンを引用する必要性に迫られるわけですが、日本人がその文章を理解するには当然、日本語訳されたクルアーンが必要なわけで、私の場合は、大抵の場合、井筒俊彦訳を用いますが、アラビア語で説明するよりはと思い、理解の一助として書いています。--Tantal 2008年3月31日 (月) 13:34 (UTC)[返信]

この記事が著作権侵害に当たる可能性はまずないと思います。
「引用する必然性」とは「引用しなければどうにもならない(引用以外の方法がとりようが無い)」ということではなく、「文章において引用することに意味がある」ことを示します。要約で済ませられるならば引用してはならないという意味ではありません。それでは引用はほとんど不可能になってしまいます。また要約であれば著作権侵害にならないというものではありません。
「引用先が「主」、引用部分が「従」の関係にあること」ということは、「一つの引用元からの引用部分に対して引用先が」ということです。節の中における引用部分の総和と地の文章の総和を比べるのは間違いです。つまり「引用部分だけで一つの作品として」価値が出てしまうような引用はしてはいけない。ということです。
研究史をまとめるという目的は「引用する必然性」に合致しますし、「引用部分だけで一つの作品として」価値が出るような引用はなされていません(地の文を除いて引用部分だけにしてしまえば意味不明の文章になってしまいます)。
また著作権とは関係なく、要約で済ませるということに関してですが。上手い要約を作るということは難しいということもあります。執筆者自身が著者の意図を誤読していればもちろんのことですが、正しい理解をしていても、それを正しく誤解の無いように伝えるというのは難しいことであります。単に歴史的事実を記述するならば話は別ですが、学説という微妙な差異を重要視せねばならない場合において「簡潔にして要を得た要約」というのはかなり難易度の高いことであります。らりた 2008年4月4日 (金) 12:15 (UTC)[返信]
すいません、要約欄で敬称が抜けていました。五斗米道さん、大変失礼いたしました。らりた 2008年4月4日 (金) 12:25 (UTC)[返信]
問題があるなら古い版くらいまで遡る必要があります。そこで黒だと引き継いだ版が全て削除対象になってしまいます。安田元久についての500字程度の引用に対し、武士在地領主論についての前後の記述は200字程度です。この古い版と現在の版では引用の長さも変わってきます。ということは、古い版の長い引用は大部分が不要なものが引用されていたということにもなりかねません。研究論文とは性質が違うことも意識しないといけません。その分野での研究用途に引用の慣例があるかもしれないし、著作権が存続していて確認が取れるものについては引用の許可をもらっている可能性もあります。ウィキペディアは研究目的にカウントされるものではないですから、そういった論文の慣例の蜜を吸えるのかどうかといったところを考えないといけません。なので『宋代研究文献提要』という研究目的の本をその背景を示さずにただ提示してしまうのは危ういです。
どんな分野の記事でも上手い概略を作るということは難しいです。だからこそウィキペディアの記事を書くのは難しいのです。しかし便法に逃げていいわけではないです。難易度の高い事ができない人がそこに手を出す必要はないです。歴史分野では逃げてもいいんですか。お気楽な分野でいいですね。--ババロア大福 2008年4月4日 (金) 22:01 (UTC)[返信]


(インデント戻します)水掛け論になりそうな雲行きですね。同じ判断基準を持てるようにするため、正当な引用だという立場の方も著作権侵害であるという立場の方も同じ本を読んでから議論しませんか。私のおすすめは、

 北村行夫/編『Q&A*引用・転載の実務と著作権法』中央経済社(2005年)ISBN 4-502-92680-9

です。「実務」と銘打っているだけあって実に具体的でわかりやすくまとめられています。しかもQ&Aで簡潔に書いてありますから、通勤通学の車中などちょっとした時間を利用して読み進められます。もうひとつこの本の良い所は、著作権がらみの案件を数多く担当している弁護士の共著だという点です。日本の司法界の現時点における最大公約数がまとめられていると考えて差し支えないと思います。--赤い飛行船 2008年4月5日 (土) 05:00 (UTC)[返信]


建設的なご提案だと思います。今発注しました。Ktmchi 2008年4月5日 (土) 10:50 (UTC)[返信]


赤い飛行船さんご推奨の本ではありませんが、著作権法についての本を読んでみました。『著作権法概説 第二版』(田村善之1998年ISBN 4641143137、以下『概説』とする)、『著作権法詳説 全訂新版』(三山裕三2000年ISBN 4810911446、以下『詳説』とする)です。
それを読んだ上でまず私の勘違いがありました。「適正な引用の範囲」についていえば「必要最小限に収めるべき」と考える法律家の方もいるそうなので、この記事が著作権侵害の可能性が無いとは言い切れないということになります。「可能性はまずない」というのは言いすぎでした。失礼しました。
  1. 引用する必然性について
    ([脱ゴーマニズム宣言一審]において)「採録されたカットの中には、原告の主張を文章で書いても読者に意味が伝わるものが含まれていたが、裁判所は『絵自体を批判の対称にする場合はもとより、原告の主張を批評の対象とする場合であっても、批評の対象を正確に示すには、文のみならず絵についても引用の必要がある」と述べて(一審の説示、二審もこれを維持)、32条1項該当性を認めた。」(『概説』P247)
    カットを文章で置き換えることが出来たとしてもカットを引用する必然性が認められた。ということです。要約で置き換えられるからといって引用してはならないということではないということがいえるかと思います。またその要約にしてもですが。
  2. 要約にかんして
    同じことを繰り返しますが、要約であれば著作権侵害にならないというわけではありません。
    「東京地判平成一〇年一〇月三十日(血液型と性格の社会史事件、判時一六七四号一三二頁)は、『他人のその趣旨に忠実に要約して引用することも同項により許容されるべきものと解すべきである』として次の四つの理由から要約引用を認める。」(『詳説』P162)
    とあるように要約という行為は32条1項を基として認められる行為です。当然引用の用件と同じことを満たしていなければならないと考えられます。
  3. 適正な範囲について。
    これははっきりとした基準はないというのが現状のようです。ただ「公正な慣行に合致するものであり」と32条にあることに関して
    「公正な慣行を要求する前段は、パロディのように表現形態が新しいために慣行など存在しようもない創作物に関して絶対的に引用を否定する方向に働きかねない」(『概説』P 241)
    逆に言えば、公正な慣行が存在する業界では公正な慣行に合致するならば問題は無いということです。つまり歴史学界の慣行に従えば、仮にそれがどんなに「お気楽な分野で」あろうとも。
    なおババロア大福氏のこの発言は即刻撤回し、ご自分の手で削除されることを求めます。
  4. 研究論文と百科事典という性質に関して
    そのようなことは関係ありません。『著作権法逐条講義』(加戸守行2000年ISBN 4885260264)にて著作権法の「報道、批評、研究その他の引用の目的上」という文章は単に例示として挙げただけであってそれに限るわけではない。と書いてありました(貸し出し禁止だったので正確な引用が出来ないので、後で補足します)。
以上、問題となるのは分量に関してだけといえると思います。前にも行ったとおり、現状でも何ら問題はないかと思います。が、安全方向に倒すというウィキペディアの方針がありますので、万全には万全を期したほうが良いかもしれません。武士団の執筆者は実質Ktmchiさんだけなので中抜きが可能です。引用部分は削れる部分は削った後に中抜きをすることが一つの手かと思います。らりた 2008年4月5日 (土) 12:46 (UTC)[返信]
二ヶ月もあいてしまいましたが、補足です。「引用の目的と、報道・批評・研究その他、と書いておりますのは、主たる例示でありまして、これだけには限りませんが、他人の著作物を事故の著作物中に持ってくるだけの必然性が認められる創作目的がなければなりません。」(『著作権法逐条講義』、P234-235)。
  • 仕事や学業の都合で即反応できないこともあるでしょう。そのような事情を考慮して1月程度待つつもりでいましたが、反応がありません。対話を拒否したものと思わざるを得ません。

私の推薦した

北村行夫/編『Q&A*引用・転載の実務と著作権法』中央経済社(2005年)ISBN 4-502-92680-9

にしろ、らりたさんがあげられている

田村善之『著作権法概説 第二版』有斐閣(1998年)ISBN 4641143137
三山裕三『著作権法詳説 全訂新版』(2000年) ISBN 4810911446

にしろ、「引用」が合法的に著作物を著作権者に断ることなく利用する方法であるとしています。決して後ろ指をさされるようなものではありません。ただしそれには一定の要件を満たしている必要があります。その要件とは

  1. 引用されるものが既に公表されている著作物でなくてはならない
  2. 引用文が引用者の文と明確に区別される表現がなされていること
  3. 引用者の表現が主であり、引用文はその従属的なものとしてあること

としています。さらに加えるならば出典を明示することが求められます。これらを満たす限り引用元の著作権者に断ることなく使用することを著作権法は認めています。この要件を本件記事に適用してみるに、すべて既に公刊されている書籍から抜いているのですから第1の要件は満たしています。引用文が引用者の文と明確に区別される表現がなされていますから第2の要件も満たしています。出典も明示されていますから、これらには争点はないと言えるでしょう。問題は引用者の表現が主、引用文が従属的な関係にあるか否かにあると思います。これについて北村は、

引用の要件における主従関係を判断するには、目的が何か、利用の仕方は、その目的に合致しているか否か(分量はこの中に入るし、利用箇所の適切さなどが含まれる。)と判断するのであり、これを踏まえて「従たる関係」か否かが判断されるのである。 — 北村行夫他編、『Q&A*引用・転載の実務と著作権法』中央経済社(2005年)180ページ

としています。つまり、引用文の分量などによって一義的に決定されるのでなく、引用者による記述が法が規定する「報道、批評、研究その他の引用の目的」に合致したものであり、それを実現する以上の利用がなされていなければ主従関係を逸脱しているとは言えず、したがって著作権を侵害していることにはならないというのです。この考え方によるならばKtmchiさんの「武士論の遷移」節でしようとしているのは研究史の紹介と論評であり、そういう目的に合致した使い方をしていると思います。したがって著作権を侵害しているとは言えないでしょう。要約して書けばよいとの意見もあるかもしれませんが、要約はかえって著作権を侵害する可能性があります。引用の場合には、一言一句変えずに利用するという慣行がありますから、むしろ引用した方が個々の論者の考えを適切に読者に提供できると言えるでしょう。ただ問題はどこを引用するかです。本当に核心をついている部分を引用しているなら良いのですが、そうでなければ妙ちきりんなことになってしまいます。ですから正しく引用しようとするときちんと資料を読み込んで適切な部分を抽出しなければならず、「教科書からいっぱい引用してきて各引用にちょろちょろっと要約的な補足を書けばそれで記事として問題無いといったことが危惧されます。」といったことにはならないでしょう。懸念されているような「やっつけ仕事」をしたなら正しい引用などできないはずです。

このようにみてくると著作権法に反していることはないと結論して良さそうに思います。1週間待って異論がないようでしたら、かぼさんから提起されている百科事典の記事として引用を多用することの妥当性の検討に移りたいと思います。-- 赤い飛行船 2008年5月17日 (土) 13:34 (UTC)[返信]

Y tambe さんのコメントについて[編集]

Y tambe さん(賛成票有り難う御座いますm(_ _)m )の投票の方でのコメント、「軍/武者/武士/兵(つわもの)」など、類似の概念との相違点などの比較表とのアイディアにつきまして。

実は「武士」論についてはこれより先に、かなり歴史のある「武士」の項目があり、かなりのレベルに達しています。じゃぁ、なんで重複するような「武士団」を書いたんじゃい、とおっしゃられるかもしれませんが、実はこの「お題」は「武士」項目の執筆者のひとりである方から頂いてしまった宿題でして、「既に項目を立ててしまった方が居て、なんとかしたいけど時間がとれないからやってくんない?」ってとこから始まったものです。(そうは言っていないけどきっとそういうことだろうと。笑)

しかし一番難しかった処は本家「武士」の項目に対して分家「武士団」をどう書き分けるかでした。そこでこちらでは、旧学説たる武士開発領主論は限界があるのは明らかながら、でも何で彼らが「開発領主」に拘ったのかということ、武士開発領主論者達は何故「武士」と「武士団」を同一視して語り、一方の高橋氏ら「武士職能論」論者は「武士」とは言っても「武士団」とは言わないのか、ということから『「牧」と「武士」』の関係、『「武士団」の結合度』を中心にまとめてみたものです。 従って「総論=武士項目」「各論=今回の武士団」という関係にあり、お題に頂いた「類似の概念との相違点」を整理するとしたら「総論=武士項目」で行うのが相応しいのではないかと思います。と、なんとか人に押しつけて逃げようという魂胆はミエミエかもしれませんが。実は私の手には負えないというのが本音です。

というのは、私の知る限りで「武士」を学術用語として明確に定義したのは今では旧学説とされる1960年代の安田元久氏達の武士開発領主論で、その対極は武士職能論の髙橋昌明氏です。両方ともその定義を武士論の遷移の中に引用していますが。髙橋昌明氏は「武士は奈良時代の昔からあった」と主張して「武士」と「兵」を時代で区切るのは大間違い「旧学説の悪しき階級闘争史観そのものだ!」と。あっ、これは引用ではなく代弁ですが。

それ以外の方はこれも引用したとおり佐藤進一氏が「武士は武芸をもって支配階級に仕える職能人もしくは職能集団である」と言い切っておられますが、佐藤進一氏は武士論とかその定義とかを正面切って論じてはいません。石井進もこれまた引用のとおり、問題点を整理しながらも「今後の検討にまつ、ということにしたい。」として結論付けてはいません。引用からは省きましたが、実はその後に「じつはよく考えればわからない内容を、すでにわかってしまったかのような顔でくりかえすことではなく、むしろ問題点を洗い出してみることのほうが必要ではないだろうか。」とおっしゃられていて、これにはグウのねも出ません。もう34年も昔の本ですが、この一言は今でも新鮮に聞こえます。

その石井進を是とした上で「それ以上に踏み込まなかったのが問題」とするのが先の髙橋昌明氏と、そしてその高橋氏と学説上は犬猿の仲のように見える下向井龍彦氏で、下向井龍彦氏は一般人の見方と合わせて平将門から武士と言ったっていいじゃないかとおっしゃってます。正確には「将門はまぎれもない武士である」ですが。

「武者」は平安時代後期か末期あたりを中心によく使われ、朝廷警備の武士の詰め所は「武者所」と言われたり、あるいは「都の武者」という言葉がよく出てくるようです。そこから「京武者」という言葉を元木泰雄氏がよく使います。院政期の北面の武士とか、源義家など院政期以前でも京で朝廷に直接仕えたグループで、彼らは朝廷、及び摂関家の爪牙であって、地方の武士に対しては抑圧者であったとします。だから武士階級の代表者(棟梁)ととらえる安田元久氏らの旧学説は間違いと。実は私もそう思っていて、その理由は「相馬御厨」の方に書きました。実は「相馬御厨」や、「大庭御厨」の項目は、そこまで「武士団」に含めると長くなりすぎてしまうので、分家させて項目を起こす、あるいは追記したものです。

「軍」は用語の語源の中でちらっと触れられるだけで、それについて深く言及された方は居ないんじゃないかと思います。

2点目:「日本以外の国における兵団の成立と比較した研究」については、比較的近年の「日本の歴史」全集もので髙橋昌明氏がアジア諸国との比較のようなことを書いているのを見つけたことがありますが、私の関心からは外れるので買いませんでした。

以上、取り急ぎ。でも私は学者でも無いし、仲間と勉強会をやっている訳でもないので、こういう話題で議論出来ることはとても楽しいですね。「ノート」だから本音で書けるし。自分のサイトでは言いたい放題書いていますが、相手が居ないのでね。ということで話題のネタを振って頂いたことについても感謝感謝で御座います。(笑)--Ktmchi 2008年4月1日 (火) 11:05 (UTC)[返信]

らりたさん、かぼさんのコメントに関して[編集]

1点目の「この構成であるとどこまでが「歴史的に確定的な事実」で、どこからが「研究・論争の内容」なのかがいまひとつ解りにくいかと思います。確定した部分と論争のある部分とを明確に分離できるならば」という点について。

う~ん、ちょっと考えてみます。昔から「沢山書いてあるけど文章構成が変」と良く言われるので。ということを踏まえつつ、一応「武士論の遷移」は「おさらい」。「『武士団』の前史」からある程度時代順に構成したつもりではあるのですが。あくまである程度で。

2点目の「研究史をまとめられていますが、その「研究史のまとめ」はどなたかの研究史のまとめにもとづいたものでしょうか」という点について。

私の知る範囲で研究史をまとめたのは「武士論の遷移」に引用した1972年『シンポジウム日本歴史5』での上横手雅敬氏の基調報告というか討論の叩き台として発表された「平安時代の内乱と武士団」、そして1974年の石井進氏日本歴史第12巻 中世武士団』の中の「武士団とは何か」で、「武士団」で引用した直前の部分がそれまでの問題点をまとめたものとして有名だと思います。
後は関幸彦氏の『武士団研究の歩みⅠⅡ』(新人物往来社 1988年)が網羅的ですが、2冊合わせて500ページ近いボリュームで、かなり細かい議論まで載っていました。
で、結局「お前の元ネタは何だ?」と言われると、今回の原稿に直接用いたのは私のサイトでの記事です。ここでも日本中世史関係の方は既にご存じの方が何人かいらっしゃいますが、数年前から自分のサイトの中に「武士の発生と成立」というページ群を作っていて、「武士論の背景」というくくりに竹内理三氏、安田元久氏、坂本賞三氏らを、「武士の成立論」というくくりの中で下向井龍彦氏、川尻秋生氏、髙橋昌明氏、石井進氏、福田豊彦氏らの説と私の理解をまとめていました。それらの中からポイントとなる処を抜き出したのが「武士論の遷移」の章です。

3点目の「ただ月報に関しては・・・、出来れば他の参考文献を挙げられないかなと」という点について。

戸田芳実氏の引用の一部は1974年の小学館「日本の歴史6-摂関時代」にはさんであった「月報6」での対談で「坂本賞三氏の前期王朝国家」というページの最後にもっと長く引用してあります。これはそのページにも書きましたが「要約しようとしてもポイントてんこ盛りで」戸田芳実氏の発想、主張が凝縮していると思います。いや『初期中世社会史の研究』を買ったのは無駄だったとはもうしませんが、それはそれで。
正直に申しますと、Wikipediaでは「引用」を禁じている訳ではないけど、実際に皆さんが書かれた記事はあまり引用を使っていないのは存じております。ただよくある「~という意見もある」と言うくだりには「誰が何処で具体的にどう書いたんだ!」ということが全く解らず、もどかしい思いをよくします。そこで思いっきり逆を試しにやってみたようなこともありますが、Wikipediaの書式だと確かに目立ち過ぎとは自分でも思いますね。
投票ページでかぼさんも「この記事は引用が多すぎる印象を受けます」とコメントを寄せられておられますし、中には本家「武士」の記事の中で例えば「暴力団的なものと見る見方」とあるのに対して「その代表はこのくだりだよ」と引用したような処もあるので増えてしまっているのですが、確かにその話しは本家に任せてしまって、多少は引用を目立たなくすることも考えてみようかなぁと思います。

そうそう、忘れていました。1990年の『争点日本の歴史(全6巻)』という新人物往来社の本があって、その中で関幸彦氏が「国衙軍制と武士の発生はどのように関連するか」という章を書いており、内2ページぐらいで「学説史の回顧」を書いています。

で、結局「お前に引用された学者さん達だけで、戦後の武士論の遷移を語るのが適切なのか、見落としは無いのか」と聞かれると「大丈夫だと思うけどどうですかねぇ」としか言えません。まあそこは本職の学者ではないということでご容赦頂ければと。Ktmchi 2008年4月1日 (火) 13:19 (UTC)[返信]

かぼさんや、らりたさんのアドバイスに従い、「武士論の遷移」の遷移の引用部分を書き直しました。QQ81さんは、履歴を見ると「編集内容の要約」に「内容は読んでいません。まず安心して読める記事にして下さい」と書かれていますが、修正後の常態で一度最後までお読み頂ければ幸いです。多少は安心して読めるようになったのではと思うのですが。Ktmchi 2008年4月2日 (水) 15:36 (UTC)[返信]

QQ81さん、五斗米道さん、ババロア大福さんのコメントに関して[編集]

赤い飛行船さんのご提案から既に1ヶ月が過ぎましたが、その直後のらりたさんが(赤い飛行船さんのご提案以前に調べられていたのでしょう)『著作権法概説 第二版』『著作権法詳説 全訂新版』を用いて論点の整理をされたきり発言が途絶えています。

らりたさんが紹介された『概説』や『詳説』は、法律関係者か、一般企業で言えば法務部門の社員あたりを対象としたものであるに対して、赤い飛行船さんのご提案の本はずっと解りやすく、出版社の普通の編集者向けに書かれたものです。一気に読めば休日1日で読み終わってしまうぐらいのものですが、どちらを読んでもポイントとしては同じことが説明されています。

「著作権侵害の疑い」をおっしゃっているのはQQ81さん、五斗米道さん、ババロア大福さんですが、お読み頂いたのでしょうか。そうであれば「著作権侵害の疑い」とされる理由を、現在提案されている『Q&A*引用・転載の実務と著作権法』(以下『実務』と略)に沿って、もういちどこちらにコメントして頂ければと思います。

選考ページでの4月27日赤い飛行船さんの交通整理の通り、「著作権侵害の疑い」と「秀逸な記事として相応しいか」とは全く別の問題です。「著作権侵害の疑い」とは法律違反ということであってそのまま放置して良い問題とは思えません。尚、かぼさんのコメントは後者に関するご意見であり、当然あってしかるべきご意見だと思います。そちらの話題に移るためにも著作権法違反問題は早く白黒をつけたいと思いますが、如何でしょうか。

先の『実務』に沿った「著作権侵害の疑い」とのコメントが出れば、私も『実務』に沿ってお返事を差し上げますが、まだそれがありませんので、大掴みな整理を先に行っておきたいと思います。

選考ページでのQQ81さんへの3月31日のRESでも書きましたが、「著作権法」の精神は、著作者の財産権の保護と「文化的所産の公正な利用」を両立させることにあります。そしてそれが保護するものの第一は財産権です。単純に言うと「人様の著作物を自分ののもであるかのように利用して利益を得ることは罷り成らぬ」。ということになります。

実はもうひとつありますが、それは今回の場合には該当しないでしょう。何かというと「改変」です。要約なら問題ないのかというと逆に要約の仕方によってはそちらの方が「改変」に引っかかるかもしれません。単純に言うと「俺はそんなこと言ってない、ふざけるな!」てな感じでしょうか。

「引用」は著作権法の認めた合法なものであり「文化的所産の公正な利用」に当たります。より大上段に構えると「言論の自由」を保証するものでもあります。その範囲で著作者の財産権は制限されます。その「引用」と「引用とは言えないもの、転載に当たるもの」とを分つ一番重要なポイントは、どちらが主か、どちらが従か、という問題です。 これは引用する側になんらかの主張、創作性があるのかという問題でもあります。分量の問題などよりその創作性の主従関係が重視されます。(これはらりたさん4月4日の投稿にもありますが)

Y tambeさんが 選考ページの3月31日の投稿で紹介された『理科系の作文技術』(木下是雄著)にある「(i)引用部分が400字以内で、(ii)かつ引用文が全体の2割を超えない、という目安」は法的な要件ではなくて、「それぐらいなら”引用部分が主”と言われることは絶対にあるまい」と言うような話しです。「1/3を越えなければ」という話しも昔ありましたがそれも同じ発想です。

ところで「武士団」は40文字1行とすると1000行以上あると思います。その内、最も長かった私の初版の安田元久氏からの引用ですら14行です(現在は7行ですが)。14行が1000行以上に対して主と言う人が居るのでしょうか。更に、批判の対象を引用することは正当な行為とみなされます。安田元久氏の主張を念入りに紹介したのは、その見解に対して私が反論を加える為であることは、全体を読み通して頂ければお判りになると思います。例えば安田元久氏の「農地の開発領主」に対して「武士団」では「牧」に初期の武士の地盤を置いています。 尚、安田元久氏の主張を否定することは独自見解ではありません。それを否定するのが現在の定説です。「牧」を重視することは定説とまでは言い切れませんが、昭和初期から沢山の先学があります。

ババロア大福 さんは「教科書からいっぱい引用してきて各引用にちょろちょろっと要約的な補足を」書いたのが「武士団」だとまではおっしゃってはいませんが、念の為に申し添えます。ここノートの「らりたさん、かぼさんのコメントに関して」にも書きましたが、「武士論の遷移」の元ネタは私自身のサイトです。この問題は数年前よりライフワークの様になっており、武士の発生と成立の中の「武士論の背景」「武士の成立論」は2005年より書きためていたものです。それを要約しました。

文章のつたなさからそうは読めなかったかもしれませんが、この「武士論の遷移」は「武士団」全体のイントロで、その後の記述の前提となっています。つまり武士論にはまずテーゼとして安田元久先生の「在地領主」論かあり、そのアンチテーゼとして佐藤進一先生の「職能集団」説が、そしてその両者の止揚を志向したものとして石井進先生の引用部分が挙げられます。更に「在地領主」論に対するアンチテーゼの急進派として髙橋昌明氏が現れ、上横手雅敬先生がその両者の止揚を問題提起されます。手前味噌ですが「武士団」はその上横手雅敬先生の「侍と在地領主を区別するのが大切であるとともに、領主と侍の関連づけについても、もう一度考え直してみる必要がある」との問題提起に沿った形でまとめているつもりです。「武士論の遷移」の章は単独で存在している訳ではありません。

以上を踏まえて、「武士団」が著作権法に違反するものかどうかについてコメントを頂ければと思います。--Ktmchi 2008年5月6日 (火) 03:20 (UTC)[返信]

かぼさんのコメントについて[編集]

かぼさんのコメントは「秀逸な記事として相応しいか」という点で書かれていると理解しています。相応しいかどうかについてはこちらは皆さんの評価を受ける側であり、個々の評者のその点での意見に異論を差し挟む立場にはありません。

それはそれとして、以下の点については私自身の考えを表明しておきたいと思います。 「書籍化された百科事典で、ここまで文章を引用しているものを私は見たことがありません」「様々な学者からの引用を中心に据えるということは、一貫した文章を書くことを放棄しているようにさえ見えます。」との2点について。

まず1点目は、私も「書籍化された百科事典」ではあまり無いだろうと思います。「あまり」というのは私自身がそれらをそんなに良くは見ていないからというだけですが。ただ「書籍化された百科事典」でもひとつの項目にそれほど多くの字数(ページ数)を割けないないという条件からの圧縮もあるのではないでしょうか。そしてそれがひとつのスタイルになっていると。

「書籍化された百科事典」だったとしたら、「平安時代」とか「鎌倉時代」なんて項目ならともかく、たかだか「武士団」という項目にこの長さは無いだろうと私も思います。Wikipediaでは印刷物ではないので「長さ」については特に問題にしていないように見えますし、秀逸候補などはみなかなり長いのでこの長さにはなりましたが(これでも相馬御厨大庭御厨のように外に出せるものは出したのですが)。

次ぎに2点目も含めてですが「書籍化された百科事典」は分野毎の監修者・査読者(これも学識経験者)が居ます。そして執筆者から提出された原稿には赤字が入って突き返されたりして品質保証がされます。ところが現在何かを調べようとする人は「書籍化された百科事典」を見るのではなしにインターネットで検索し、ここWikipediaを始め大抵は個人サイトの記事を見て「そうか」なんて思ったりします。ところがインターネット上の記事って玉石混合ですよね。

良い例が「白河法皇」「天下第一武勇の士」でGoogleあたりで検索してみてください。"白河法皇をして「天下第一武勇の士」と賞賛された"というような記事が沢山出てきます。これは大嘘です。学説の違いなどではなくて誰かが間違えたものがコピーされてネット上で広がっただけです(かく言う私自身、騙されたこともあるのですが)。この誤解を少しでも正す為に『源義家』では、藤原宗忠の日記『中右記』承徳2年10月23日条を「義家朝臣は天下第一武勇の士なり。昇殿をゆるさるるに、世人、甘心せざるの気あるか」と、それに続く文も含めて引用しました。どこの馬の骨とも解らない私などが「それはちがう」と言ったって誰も信用しないし、「中右記~条を見よ」と書いたって、わざわざ図書館に行って『大日本古記録 中右記』にあたる人などまず居ないでしょう。Wikipediaも査読者による品質保証などありません。そこが「書籍化された百科事典」とは全く異なるところです。

そうした中で自分で品質保証をするためにより積極的に出典を示す、きちんと引用をするということが私のとっている証明の方法です。諸学説を公平に紹介する、勝手な憶測を書かない、というようなことでは「書籍化された百科事典」の姿勢は模範とすべきだと思いますが、それ以外の点では「書籍化された百科事典」とは条件が全く違うのではないでしょうか。ただしそういう意見はここWikipediaでは極めて少数派な意見だとは思います。2008年5月6日 (火) 03:20 (UTC)に「当然あってしかるべきご意見だと思います」と書いたのはそういう意味からであり、かぼさんのご意見はWikipediaでは多数派だと思います。

次ぎに「また専門家による著書・論文に説明を委ねているということは、初心者にも分かりやすい可読性のある文章づくりの姿勢とも相反するでしょう」というご意見の中の、特に「初心者にも分かりやすい可読性のある文章」という点はちょっと痛いところを、という感じですね。自分の能力を越えるテーマを背伸びして書いていると、特に文章能力が無い私などは陥りがちかと思います。

「日本史を専攻していなくても意味が取れるような記述・構成になっているかについても再度検討してください(たとえば吾妻鏡から引用しても意味が取れる人ばかりとは限りませんし、結局「家礼」の意味が曖昧です)」はこれまた痛いところを突かれました。実はあの条を最近出版された五味文彦先生監修の『現代語訳吾妻鏡』で読んだら、私が思っていた現代語訳とちょっとニュアンスが違うんですよね。まあ引用した範囲の口語訳も、そのあとの「要するに」以下にも影響はないのですが。

この主従関係の2態は非常に重要な問題で省く訳にはいきませんが、説明の仕方は考えなければと思っています。ただし「引用」部分に手を加えると思いもよらぬ反応を受けたりしかねませんので、この選考期間が終わってからにさせてください。もっともアップした以上は私だけの記事ではないので、他の方がもっと上手な説明に直されるかもしれませんが。

尚、「引用」についての私の主張は主張として、25日にアップした『吾妻鏡』ではかぼさんや他の方のご意見も最初から意識して「引用」を和らげて書いてみました。ご興味があれば覗いて頂ければと思います。自分のサイトでは極力引用を行い、きちんと根拠を示すというスタンスをとっていますが。--Ktmchi 2008年5月27日 (火) 12:46 (UTC)[返信]