Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい/過去ログ3

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公式化について[編集]

このノートの議論が滞っているようですので、意見を述べさせていただきます。
★この草案は五本の柱に含まれる。
★議論から、多くの人(かどうかは正確には不明です)が表題を「ルールにこだわらない」に変更することに賛成している。
と、いうことを踏まえ、私は早急に表題を「ルールにこだわらない」に変更し、内容の改訂も行い、正式なガイドラインとするべきだと思います。--やまだくん 2008年9月3日 (水) 13:23 (UTC)

「五つの柱」のリンク先の内「ウィキペディアには確固としたルールはありません」のリンク先のWikipedia:ルールすべてを無視しなさいだけが「Wikipedia:基本方針とガイドライン」になっていません。「現在、内容に関してノートページで議論を行なっています。」とあるのですが、ここの履歴を見ると2008年9月3日 (水) 13:23 (UTC)の利用者:やまだくんさんの「改名+公式化」の上記提案以降、4ヶ月以上書き込みがなく、「やまだくん」さんの提案に対して特に異議もないようです。誰も作業しないようなので、「やまだくん」さんの提案の通りにしたいと思いますがどうですか。(同じ趣旨の書き込みをWikipedia‐ノート:五本の柱にもしています)Suzukitaro 2009年1月18日 (日) 11:29 (UTC)
  • (反対) この「Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」はそのタイトルからして誤解や悪用を招く問題があり、その中身の文章も「ルールは破られるためにある」という節名や中身にも問題があると思います。そのような問題点を解決し、ガイドラインとしての目的が明確になるまで、安易にガイドライン化すべきではないと思います。--モトカル(会話) 2009年1月21日 (水) 07:14 (UTC)
    • (コメント)(かなり,繰り返しになりますが)他の「公式方針とガイドライン」とは重みの違う「基本原則」である「五本の柱」の1つである「ウィキペディアには確固としたルールはありません」のリンク先が「草案」でしかないのはみっともない状態だと思います。特に,「やまだくん」さんの提案にこだわるわけではありません。注目度の低い方針であるために長期にわたって草案のまま放置されているのであり,そのままガイドライン化してもさして問題は起きないと思いますが,それでは支障があるとおもわれるなら,「反対」するだけでなく何かの打開策を提案いただければと思います。「解説」の「このルールの英語版での歴史」にあるように「一文だけの状態」にするのも一法かと思います。少なくとも基本原則のリンク先が草案であるよりはましかと。Suzukitaro 2009年1月28日 (水) 13:59 (UTC)
    • (コメント補足)英語版では本体のen:Wikipedia:Ignore all rulesは解釈なしで「Wikipedia:Policies and guidelines」(公式方針とガイドライン),解釈はen:Wikipedia:What "Ignore all rules" meansとしてen:Category:Wikipedia supplemental essays(Category:Wikipedia essaysCategory:ウィキペディアの私論のサブカテゴリ)になっています。Suzukitaro 2009年1月28日 (水) 21:22 (UTC)
  • (コメント)まず、Wikipedia‐ノート:五本の柱#五番目の柱の題名がおかしいの議論で、5番目の原則名「ウィキペディアには確固としたルールはありません」はある時期の誤訳であり、正しくは「ウィキペディアには、この5つの原則の他には確固としたルールはありません。」とすべきことが判明しました。
さて、1番目から4番目までの柱はすべて公式方針にリンクしています。Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいは現時点で草案であり、ガイドラインになる可能性はあっても、英語版でも「好き勝手しても、だれからもとがめられない」と誤解されて問題になり[1]、現在ではたった1文になってしまったようないわくつきの文書ですから公式方針になる可能性は小さいように思います。英語版にしても、たった1文しか内容のない文書が「Category:Wikipedia official policy」(公式方針)、「Category:Wikipedia global policy」(全世界的方針)に分類されているのもよく考えればおかしな話だと思います。5本の柱の一つだけがガイドラインにリンクするのもバランス的にどうかと思いますし、「この五本の柱だけが変更できないルールです。」という原則名と以下の説明で趣旨は伝わると思うので、あえて無理にリンクを張る必要はないと思います。--モトカル(会話) 2009年1月30日 (金) 16:31 (UTC)

構成の変更について[編集]

上の提案について、対案を出しました。Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい/簡潔案 まで。--Su-no-G 2010年3月31日 (水) 14:43 (UTC)

突然(?)「ルールすべてを無視しなさい」が上書きされましたが、どういう経緯でそうなったのかがわかりません。この文書は今のところウィキペディア内において拘束力は高くないので、内容変更は後々差し戻せば問題ないのですが。おそらく別箇所での議論の反映(?)なのでしょうが、変更を行われたSu-no-Gさんにはこのノートでの経緯の説明を求めます。他の箇所での議論の反映ならば、議論の要約を示していただいて、改めてこちらで議論していただきたいです。以前も簡潔案に唐突に差し替えられた際にちょっとした「すったもんだ」があり、この方針文書の扱いはそれなりに慎重になったほうがいい気がします。参考:こちらおよびこちら。もちろん説明を強要するわけではありません。ただ方針文書のノートの本体はこちらなので、ここで議論していない内容の反映はやはり差し戻すのが適当と考えますから、しばらく返事がない場合、私が差し戻します。--Kanbun 2010年4月18日 (日) 04:50 (UTC)

経緯については、上にあるとおり Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい/簡潔案 をご覧ください。Wikipedia:お知らせ などはご覧いただいているでしょうか? --Su-no-G 2010年4月18日 (日) 05:02 (UTC)
お返事ありがとうございます。さて、上の議論は参照しましたが、その内容をこちらの方針文書に反映するに当たっては、こちらの方針文書のノートでちゃんと合意を取るべきと思います。サブページはウォッチリストにひっかかりにくいものですから、議論はしっかりこちらのノートでやるべきでしょう。潜在的なウィキペディアンの参加可能性から考えてもそのほうが適当と考えます。草案とはいえ、この方針文書はいろいろと議論があるところですから、もっとオープンな形でしっかり議論すべきでしょう。したがって、私は別ノートでの経緯はどうあれ、このノートでの議論の経緯の説明とやり直しを求めます。それがこの方針文書の精神にも叶っていると思いますし。私自身は以上の要望が容れられない場合は、内容を差し戻した上で、このページの保護依頼とコメント依頼を出し、とりあえず広く意見を募る形での再議論をするために動くつもりですが、どうですか?--Kanbun 2010年4月18日 (日) 05:15 (UTC)
経緯は Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい/簡潔案 にある通りです。ご希望でしたら本ページにテンプレート展開していただいてもかまいません。私も賛成をいただいた上で動いているものですから、私だけの意向で「内容を差し戻した上で、~」をどうぞ、というわけにも参りません。差し戻すことの合意をつくるか、再議論から始めてください。差し戻すことの是非については私は中立といたしますので。--Su-no-G 2010年4月18日 (日) 05:55 (UTC)

とりあえず差し戻しをおこない、本件についてはコメント依頼をおこなうこととします。本件についてはこのノートにて合意が必要と私は考えるからです。理由は3点。

  1. サブページへの十分な議論誘導がおこなわれたとは言えない。あるいは改変までの期間が短すぎる。
  2. サブページのノートはサブページの内容についての議論であるべき。
  3. この方針文書は半ば死文化しているとはいえ、5本の柱にあげられている重要文書であり、当該ノートでの十分な説明もなされずに改変がされること、およびそれを適当とする考え方はこの方針文書の精神にそもそも反する。「ルールをすべてを無視しなさい」はよりよい対処のためにルールを無視することを述べているもので、より悪い対処をするためにルールを無視することを述べているのではない。

なお、もし簡潔案へのリバートが強行される場合は、無用な編集合戦の回避という意味で、本方針文書の保護依頼を出すことにします。私は別に手続き的に間違っているかどうかを言っているのではなく、あくまでウィキペディアンの常識として、議論をより広く透明な形でおこなうのが適切であると述べているのです。この方針文書の議論には前史があります。無用の混乱を避けるためにも、改変には慎重を期すべきです。以前の意見投票では簡潔にすべきでないという意見が多数であり、方針と解説を分離すべきという意見もメジャーとは言い切れないものでした。今回は前回に比べて十分な議論喚起をおこなっているとは言えず、このままこの方針を改変することには非常な不安を感じます。私は別に簡潔案に反対しているのではありません。今回の改変が少し性急すぎると言っているのです。--Kanbun 2010年4月18日 (日) 07:38 (UTC)

まず、サブページへは十分な議論誘導がおこなわれており、改変までの期間が短すぎるとは言えません。
サブページのノートではサブページの内容について「この文書を置き換えるか」議論をしていました。告知及び誘導はきちんと行われており、
この方針文書の精神にそもそも反するというのがよくわかりませんが、対処の手続き自体は悪いものではないと考えます。内容が適切でなかったかどうかは、別の問題であり少なくとも一度合意されています。
リバートを強行しているのはご自身であると、わたしは思います。--春日椿 2010年4月18日 (日) 12:13 (UTC)

これだけの混乱を起こしたということはすなわち実質的には荒らし行為ですので、荒らし行為への対応として自己の編集を差し戻しました。皆様にはお詫び申し上げます。--Su-no-G 2010年4月18日 (日) 15:21 (UTC)

私自身はスのGさんの編集行為に全く問題はないと思います。ウィキブレイクされるとのこと、非常に残念です。私自身は常日頃からスのGさんの熱心な活動を尊敬しておりました。どうかご翻意いただけないでしょうか。とにかく私自身今回の件について自身の行動に問題がなかったと考えているわけではありません。むしろ強行しているのは私の側だというのは明白なのですが、この方針文書の影響力を考えると、ここはあえてルールを無視しても慎重を期すべきと私は思っていますし、その意味で自分の行動には信念があります。したがって後悔するわけにはいきません。私の今回の強行については私自身事後にちゃんとコメント依頼を出し、しかるべき批判はしっかりと受け、そこではスのGさんの名誉を私自身が守ることを約束します。スのGさんが荒らしだというようなことは絶対にありません。またここでの議論については私自身がしっかり引き継ぐことをお約束いたします。事が終わってから、改めて私自身謝罪と混乱を起こしたお詫びはさせていただくつもりです。皆様、どうかよろしくお願いします。--Kanbun 2010年4月18日 (日) 15:39 (UTC)

簡潔案の適用について(本方針に解説をつけるかどうか)[編集]

Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい/簡潔案にて、本方針文書についてのガイドライン化が提案され、私自身はどこでかわからないのですが、合意が形成された(?)ということで、編集がおこなわれました。このことについて、私はそもそも本方針文書の大幅な改変については本ノートページで議論をし、合意を取るべきと考えましたが、上記編集の実行者であるSu-no-Gさんはサブページでの議論をふまえて、改変は合意を取れていると考えられておられるようです。私は改めて簡潔案にするか現状の解説付きの状態のままにするかはここで議論すべきと思い、節を立てました。簡潔案を適用すべきか、現状の解説付きを採用すべきかについて意見を募集します。--Kanbun 2010年4月18日 (日) 07:57 (UTC) なお、以前の議論については以下を参考にして下さい。

参考[編集]

  1. #議論に関係するページ
  2. #参考資料
  3. /ログ200611171120
  4. /意見投票20061209
  5. /簡潔案

--Kanbun 2010年4月18日 (日) 07:57 (UTC)

私自身は参考にあげた意見投票を考えると、現状での簡潔案の適用には反対です。もう一度意見投票を広くおこない、それをふまえた上で合意が得られるなら、簡潔案に変更するのは問題ないと思います。自分で言っても妙な言い分ですが、このページをそれなりに頻繁に見ている私ですら、Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい/簡潔案での議論には気づかなかったので、おそらく多くのウィキペディアンはこの方針が簡潔案に突然差し替えられたことを知らなかったはずです。この文書は草案とはいえウィキペディアの重要な基本文書ですから、告知は念入りにおこない、改変にも数度の投票を経るなど慎重な対処が必要と私は思います。もちろん簡潔案に替えてしまって良いという意見がこの場で圧倒的なようなら、すぐに変えてしまうことは問題ないと思いますが、皆様いかがでしょう?意見を求めます。--Kanbun 2010年4月18日 (日) 08:32 (UTC)

コメント[編集]

  • コメント改定を、今はじめて知りました。結論から言うと、今回の改訂は「グハッ」です(漏電中:ダメージを著しく受けたという意味)。まあ、個人的には改定前の同ガイドラインを引用したこともあったのですが、まさかここまでザックリやられるとは。所謂独自研究を載せない出典を明記するを短絡的かつ表層的に解した上で拙速な編集に走る利用者には、その態度自体が「コミュニティに疲弊を与える利用者」だとも思っていたりして、小生としては出典明記が無くても分別ある大人には検証可能性が存在する記述は大目にみたり、あるいはサブカルチャー関連記事において「たぶんファン視点で異様な熱心さで作品を精査すると妥当性が保たれている中立的な記述」なんかは放っておく傾向があり、その観点でいえば従来文章はその考え方を組む上で非常に示唆に富んだ(ぬる過ぎ・やり過ぎないための安全装置を含む)内容だと思っていました。しかし現行の簡潔案版では、もうお脳の容量1KBなお子様が拙い行為を自己正当化するために振り回す棒切れになること予測に難くなく、無用な混乱の元になることを危惧します。前文であればお脳の容量1KBなKIDSはオーバーフローを起こして「果たしてこのガイドライン(草案)を論拠に相手に食って掛かるべきかどうか」を躊躇する効果が期待できたのですが、現状では「もしも、(僕が)ウィキペディアの改善や維持を(自分好みに)しようとするときに、いまあるルールが邪魔になるのなら、(有無も言わさず)そのルールを無視してください。」と脳内変換しそうで嫌げです…--夜飛/ 2010年4月18日 (日) 09:53 (UTC)
  • コメント私も初めて知りましたが・・・・・ちょっと待って下さい、「もしも、ウィキペディアの改善や維持をしようとするときに、いまあるルールが邪魔になるのなら、(ケースバイケースで)そのルールを無視してください。」これだけですか?これでは、「ルールを全て無視しなさい」を熟読してください、いやいや、そこからリンクされておりますなにがしを熟読してください、いやいやいや、あなたこそ以下略、という、不毛なループが今まで以上に頻発することは目に見えていると思うのですが。「ルールを無視してください」は、将来のWPの記事充実のために、現段階では必ずしも適切でない記事を一時的に許容しましょう、もしくは議論においてやむを得ず雪玉条項的に・・・と言うのが本来の意味であると思うのですが。ちょっと軽すぎませんか、この簡潔案では。それでなくともJAWPはサブカルに偏りすぎであると言われておりますのに。以前の(簡潔でない)案の方が、遙かに適当であると思うのですが。--Hman 2010年4月18日 (日) 11:24 (UTC)
  • コメント Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい/簡潔案を拝見しましたが、どこにどのような合意があるのかわかりませんでした。もしかすると、Kanbunさんや私には見えないが、他の方には見える「合意」があるかもしれないので、どの部分がそうであるのか教えていただければ幸いです。このページは「5本の柱」のひとつとも位置付けられているものであり、ことの重要性や影響力を考えれば、いくら慎重になってもよいものだと思います。この点、すでにKanbunさんの差し戻しを再び差し戻したIPの方もあり、編集合戦も辞さないという執着心はうかがえるものの、むしろ「合意」を遠ざける行為だと感じます。
さて、「簡潔案」には以前も疑問を呈したことがあるのですが、この機会にあらためて反対を表明します。理由は2点あります。Su-no-Gさんがリンク追加されたWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんを見ると、かえってこの簡潔案なるものの存在意義がわからなくなること、もう1点は、解説ページを別にして議論場所を分散することの弊害が、今回の件で明らかになったと考えるからです。--みっち 2010年4月18日 (日) 11:56 (UTC)
  • コメントまた、手続き原理主義ですか? 議論なり合意なりの結果がウィキペディアの目標と合致するか否かを評価すべきです。つまり「ルールすべてを無視しなさい」とは結果の善し悪しが全てであり、手続き原理主義を揶揄するものです。つまりここでの議論自体が手続き原理主義であり、しかし参加者が揶揄されているという自覚がないまま議論を進めている点が、大問題だと考えます。(確信犯なのかもしれませんが…)--あら金 2010年4月18日 (日) 17:29 (UTC)
コメントありがとうござます。「つまりここでの議論自体が手続き原理主義であり、しかし参加者が揶揄されているという自覚がないまま議論を進めている点が、大問題だと考えます。」というのは、どういうことでしょう?意味が判然としないので、具体的に説明していただけると助かります。あら金さんのいう「手続き原理主義」の意味を説明していただけると、問題点が明確になると思います。あと、ここではルールすべてを無視しなさいのスタイルについてコメントを求めているのですが、簡潔案を支持されているのですか?--Kanbun 2010年4月18日 (日) 21:51 (UTC)
手続き原理主義の揶揄という目的は記事が存在するということで成立し、例示が詳しいとか簡素であるとかとは別と考えています。言い換えると、記事の有効性は簡素化案と現状とで評価した場合善し悪しという点では違いがないです(だって例示をサブページにアーカイブ化しているだけですから)。つまるところ、記事DHMOが、長くなったり短くなったりするのと違いはないです。「例示がくどくなれば短くする、そのうちだんだんと例示がくどくなる」というのは繰り返されると考えますし、揶揄するという方針から逸脱がない限りは編集行為自体を問題視する必要はないと考えますし、放置しておけばいい問題です。長かろうと、短かろうとWP:悪用は可能ですし、この前の様に合意手続きがおかしいから、ほぼ方針文書の執行を停止して見直そうなどということが起こります。簡素化案に何かが足らないというのであれば、具体的に追加を提案すれば良いのでは? スタイルは問題点ではなく、簡素化案の内容の不足はどうかという問題だと考えます。(それは簡素化案のノートで議論する話だと存じますし、案をリリースしたから過不足の議論をしてはならないということでも無いと存じます)--あら金 2010年4月18日 (日) 23:47 (UTC)
コメントありがとうございます。もしあら金さんがいうようにこの方針文書が「揶揄」するものであるならば、私はこの方針文書は要らないと思います。以前もキリカさんがあら金さんと同じような解釈を示されましたが、私自身はその解釈はありえないとこの文書の歴史的経緯から考えています。--Kanbun 2010年4月19日 (月) 11:52 (UTC)
Kanbun氏の思想心情など内心の自由に関することがらと、Wikipediaでとった行動が、有効であったかあるいは妥当であったかは、評価の主体がこととなります。つまり内心の正義と行動の義務・責任は別物です。行動の動機ではなく、行動した事実が適切か、有効かどうかについての議論です。記事が揶揄か高尚かは問題ではないです。そして内容については特別扱いする必然はありません。つまり文章の主旨の改変は無く、例示のアーカイブ化は記事の論旨としての改変はありません。しかし「私はこの方針文書は要らない」は思想心情など内心の自由に関することがらなので、それを(過去、あるいはこれからの)行動の妥当性に関連づけされても困ります。「それ(観点)はそれ、これ(行為)はこれ」であり、別物を持ち出されても困ります。--あら金 2010年4月20日 (火) 13:10 (UTC)
続きは私の会話ページでしましょう。内容が本旨と関係なくなってきました。一応お返事しますと、本文書の内容には「参加者を揶揄」するという観点は見いだしづらいということ、行動の妥当性を問われるべきと言うのはおっしゃるとおりですが、本方針文書を「揶揄」の内容であると決めつけ、参加者全員が本方針に「揶揄」されているという表現はいささか不適と思います。僭越ながら指摘させていただきました。ともかく本筋から外れる内容は私の会話ページにて。--Kanbun 2010年4月20日 (火) 14:31 (UTC)
本筋についての私の主張は「文章の主旨の改変は無く、例示のアーカイブ化はあったとしても記事の論旨としての改変はありませんてした。したがって差し戻しという行為に有効性は認められません。また行為の妥当性については井戸端の私の発言やこのページの発言と同様に簡素化案の告知に瑕疵が無い以上、差し戻しには妥当性がないと判断します。」ということです。それ以外の「告知に「塔屋塔を立てるべきだ」」とか「揶揄は不要だ」とかは信念や正義感に関する観点であり、そんなものは議論の対象ではありません。「そうなの、私は違う」で終わりです。--あら金 2010年4月20日 (火) 14:49 (UTC)
率直なコメントありがとうございます。本方針が揶揄だというのはどうでしょうか?改めて本方針の内容について議論する必要があるかもしれません(以前一応そういう解釈ではなく、どちらかといえば編集は大胆にの精神に近いという解釈が伝統的であったという経緯の確認がされています。本方針の表面も参照されたし)。本方針の内容については以前話し合われた議論を参照していただけると助かります。--Kanbun 2010年4月20日 (火) 14:55 (UTC)
「揶揄」は私の心象であり内心の自由は保障されそれを提示することは保障されているはず(私は揶揄に同意しろとは言ってませんよね)。で、「議論の結果」でもって私の内心の自由を変えろというのはいかがなものかな。そういう行動は「原理主義」と言いうのが私の認識であり、手続き論と合成されているから「手続き原理主義」という心象です。心象については議論する必要はないと存じます。問題は行為がどうかであって動機がどうかではないからです。--あら金 2010年4月20日 (火) 15:27 (UTC)
コメントありがとうございます。おそらくその議論は本方針の内容に深く関わります。本方針はメタルールではないことは確かなのですが、しかし果たして動機を廃して行動のみを問題にせよと言っているかというと、全くその逆の構造を持っているように思います。「ルールは破られるためにある」節を参照されたし。ところで、気になっていたのですが、私はあら金さんの内心の自由を変えろとは一言も申していません。私はただ、もしあら金さんのような解釈が現状の文書に認められているのであれば、やはりただ簡潔案にするか解説付きにするかを問題にするのではなく、内容についても今一度検討し直す必要がある、ということを述べているのみです。つまり簡潔案の出てきた経緯やこれまでの議論が十分踏まえられていない気がしますから、もしかするとこの3年あまりの間にこのルールの解釈が新しいものになりつつあるかもしれない。そうであるならば、そもそも現状で簡潔案か解説付きがよいかというのをただ決めてしまう前に、内容面での再議論が必要と思う次第です。--Kanbun 2010年4月20日 (火) 15:36 (UTC)
  • コメント 以前より「ルールを全て無視しなさい」の悪用は気になっていました。これを援用できるケースというのはかなり高度な判断が必要なんで、わかりにくくていいんじゃないかとも思ってました。うーん、「ルールを全て無視しなさい」の改訂について手続き論が主張されるのってブラックユーモアにもならんような気がします。この異議申し立ては、日本語版Wikipediaが陥っている隘路を象徴するもののようにも見えます。ためいき、出ちゃうなあ。--Nekosuki600 2010年4月18日 (日) 17:53 (UTC)
コメントありがとうございます。それでNekosuki600さんは簡潔案を支持しているのですか?私の異議申し立て自体が問題だというなら、別して私自身に対してコメント依頼を立てるなり節を作って議論なりしていただければと。ここでは簡潔案がよいか解説付きがよいかというコメントに集中していただきたく思います。--Kanbun 2010年4月18日 (日) 21:51 (UTC)
争点は2つあるようですので、ひとつづつ。
旧案と簡潔案のどちらが望ましいかですが、簡潔案の方が望ましいと考えます。理由は前述の通りで、これはけっこう悪用の危険がある文書であり、ある程度わかりにくくても良いと考えるためです。更に別立てであるとはいえ解説ページも用意されるのであり、全く問題はないでしょう。
もう一点の手続き問題ですが、今回はきっちり手続きは踏まれており、瑕疵はないものと思います。そこに「おれは知らなかった=告知が甘い」という抗議がなされるのは、これも前述の通りですが、ブラックユーモアにもならないと感じております。--Nekosuki600 2010年4月19日 (月) 10:01 (UTC)
コメントありがとうございます。「おれは知らなかった=告知が甘い」という抗議うんぬんについては、私はまったくブラックユーモアでやっているのではなくて、大真面目にやっています。私自身は手続きがしっかり踏まれているかどうかではなくて、重要な方針文書を改変する際に今回のようなやり方でよいのかということ自体を問題にしているつもりです。そういう意味でルールすべてを無視しなさいを実践させていただいたわけです。--Kanbun 2010年4月19日 (月) 11:52 (UTC)
一応補足説明をしておきますと、手続き的に問題ない行為でも、事後的に危険性を感じれば、その理由を示してその行為に異議申し立てをできるというのが、この方針文書の重要な解釈の帰結と私は考えています。したがって、今回の件は手続き的には標準的に問題ないとしても、それ以上の配慮が必要だと感じたので、標準的な手続きでは配慮が足りないだろうと思って、あえて異議を申し立て、ルールすべてを無視してやり直しを提案したのです。もちろん私自身は事が終わってから、今回の行動が本当に適切であったかどうかについてはコメント依頼を立てさせていただき、皆様の批判を仰ぎますが、今は差し戻し自体はウィキペディアにとって善であると考えています。--Kanbun 2010年4月19日 (月) 12:05 (UTC)
大真面目なら、なお悪い。Wikipedia:お知らせ(井戸端告知)という、弩級に目立つ場所でで告知されていましたから、私は4月の頭からこの議論が起きていたことは知っていましたよ(興味が無かったので目は通しませんでしたが)。知る努力もしなかったくせに、いざ事が起きたら文句だけは言って差し戻し。最悪です。
最悪ですが、kanbun氏は責任をもってこの議論のホストを最後まで務めきってください。あと、「私自身に関して何か意見があれば別節かコメント依頼で」というのであれば、今すぐご自身で別節を作るかコメント依頼を立てられた方が良い。それもホストの責任です。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2010年4月19日 (月) 21:02 (UTC)
私へのコメントのようなので、一応返事(-ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQさんには私の行為についてコメントされるのでしたら、私の会話ページなど別して下さるようお願いします。)しますが、私はラッキー・スター・キッドさんとは全く反対の考えです。また今は以前より私の行動は適切であったと考えています。コミュニティに注意喚起ができ、私が行動する前より多くの人がコメントを寄せて下さり、より多くのコミュニティの意見が集まっています。もちろんこの議論のホストは責任を持って務めますし、その後一連の経緯と私の所存を示してコメント依頼をいたします。ただ議論途中で節を立てたり、コメント依頼する必要は私自身はさしあたって無用の混乱であると思うので、ラッキー・スター・キッドさんが立てたいのであれば、どうぞ。お互いボランティア精神で行きましょう。--Kanbun 2010年4月19日 (月) 22:07 (UTC)
◆ラッキースター・キッドさんどうも。同様一通。
いやあ・・・「ブラックユーモアにもならない」という表現を額面どおり受け取られてしまうというのは、ちょっちおれ的には想定外だったもので、どうしたもんだか頭を抱えていました。落しどころがみつかんないす。--Nekosuki600 2010年4月20日 (火) 12:45 (UTC)
Nekosukiさんへ。私は頭が固いので、諧謔や皮肉は通じませんから、わかりやすい表現をお願いします。まじめな議論にわかりにくい冗談は抜きで。ウィキペディアの参加者は多いので、WP:GAKIでもわかる表現をお願いします。そうでないと、ずっと頭を抱えてもらうことになると思います。--Kanbun 2010年4月20日 (火) 13:10 (UTC)
ん。ご心配いただくには及びませんよ。--Nekosuki600 2010年4月20日 (火) 13:16 (UTC)
それはどうも。お互いボランティアと大人の良識を持っていきましょう。揶揄と受け取れるような表現は議論を混乱させるだけと思います。--Kanbun 2010年4月20日 (火) 13:17 (UTC)
全然別方面からのクレームだが。
ヴォランティアってのは「金もらってるわけじゃないんでクォリティをうんぬんすんなよ」という言い訳に使える概念ではありません。品質が低い言動・行動を、ヴォランティアという言葉を持って正当化できると思っているように思われるKanbunさんの行動には、強い違和感があることを表明しておきます。--Nekosuki600 2010年4月20日 (火) 13:20 (UTC)
さて?ご自身が品質が高いというようにおっしゃってるようにしか聞こえませんが。挑発ならご遠慮願います。--Kanbun 2010年4月20日 (火) 13:21 (UTC)
相対的には、遥かに(苦笑)。--Nekosuki600 2010年4月20日 (火) 13:24 (UTC)
なるほど。それで得心が。そういうところがあなたの信用できないところなのでしょう。そういう言葉をさらっとはける未熟さは眩しいものですね。ともかくこれ以上何か言いたいのなら、私の会話ページに移ってもらえませんでしょうか?あなたは本筋と関係ないことを言い過ぎです。--Kanbun 2010年4月20日 (火) 13:27 (UTC)
い・や・だ。
まぶしい未熟さを自らが持っていると評価されるのは、うれしいことです。それはそれで置いといてだ。
自らにとって不都合な評価を他エリアに移動させることによってこの議論に関する自分のゴリ押しへの批判を他の参加者の目に触れないところに持っていこうというような方法論には違和感を抱きます。っていうか、じゃあ自分がレスしなきゃいいだけなんじゃねえの?(=^_^;=)--Nekosuki600 2010年4月20日 (火) 13:34 (UTC)
私は議論のホストなので、つけられたコメントに返答すべきと判断すれば、しますし、本筋と関係ない喧嘩の元になるようなコメントについてはその旨をしっかり伝える必要があります。つまるところ、Nekosukiさんはただ私に文句を言いたいだけのようですから、そういうことは私の会話ページでして下さいと言っているのです。紳士的で冷静な対応をお願いします。--Kanbun 2010年4月20日 (火) 13:36 (UTC)

インデント戻します。わかっていらっしゃるとは思いますが、ここでは簡潔案がよいか解説付きがよいかについてコメントを求めている場です。私の行動について何か言いたいのなら、別の場所でやっていただきたく候。--Kanbun 2010年4月20日 (火) 13:38 (UTC)

  • コメント 私は、簡素化案で良いと思っています。また手続き的にもコミュニティーポータルに表示されるWikipedia:ウィキプロジェクト プロジェクト関連文書/リストにて告知された後十分な時間をかけて審議してあり意見の集まりが悪いとはいえ、特段問題はないと感じています。なんだか、既知夢のようです。--Vigorous action (会話/履歴) 2010年4月19日 (月) 06:07 (UTC)
  • 簡潔案は、「このルールを悪用してはいけない」という注意が目立って好ましいと考えています。改定手続きに瑕疵があるとのご指摘は得心できず、もし旧案に復すご提案をなさるにせよ、簡潔案を表示させて議論を行うべきと考えます。簡潔案採用により目立った弊害が生ずるかは、試行により確認しても構わないのではないでしょうか。--Kurihaya 2010年4月20日 (火) 12:10 (UTC)
  • コメント 内容面に関しては、「このルールを悪用してはいけない」と踏み込んだ点で簡素化案の方が現状の文面より優れています。大幅に削られてしまった点に関しては、解説を充実させればよいだけと思います(サブページを展開する方法使えば解決できる?)。次に手続き面についてコメントすると、手続き面(特に告知関係)に問題はないと考えるのが妥当でしょう。「お知らせ」「コミュニティポータル」に告知されてた以上、最低限の告知はなされたものと考えるのが筋でしょう。なお、最低限の告知があったにもかかわらず、気付かなかったというのは、自己責任の問題になってくると思うのは違うのでしょうか? 最後に、Kanbunさんの今回の行動に関してですが、ご本人はいたって大真面目かつ意図的に「ルールすべてを無視しなさい」に則った行動だったとお考えのようですが、私には全くもってそう思えません。むしろ、腕ずくで解決しようとするナンセンスな行動だと判断します。本来は簡素化案での合意を尊重して無理に差し戻しをせず、再度差し戻す提案をするなど誠実な方法を取ることがウィキペディアンとして本来求められる行動のはずですが。--かげろん 2010年4月20日 (火) 14:18 (UTC)
  • コメント いまさら書き込むのは遅いかな?私は簡素化案に賛成。内容も賛成だが、むしろ問題のない手続きで改訂されたから、という理由による。問題のない手続きというのは上でもKanbun氏自身が書いているから異論はないだろうと思う。それなのに「俺は聞いていない」みたいなことで、いちいちつるし上げて、ここからたたき出すような行為は許されるべきではない。そんなことを許したら、ここはバトルロイヤルの場になってしまう。そういうことに「ルールすべてを無視しなさい」を利用するべきでもない。全部上で皆さんが書いていることの繰り返しだけどさ。私もそう思う、ってことで。ここて簡素化案の内容に対するコメントだけを募っているのは承知しているが、後から正当性で糊塗しようとしても無理じゃん?--Bo-ci-an 2010年4月21日 (水) 07:45 (UTC)
  • コメント従来の記述、簡潔案の間では簡潔案を支持します。草案の書き換えについては、本方針文書の内容や歴史的経緯から、手続き上の瑕疵はなく、既に合意が得られていると認識していたものの追認として、意見を表明します。簡略案に書き直すということで終了という、下のほうでのNekosuki600さんの提案に賛成します。議論に気付かなかったために、その変更に不満であるならば、改めてここで議論をすることは可能ですし、圧倒的に簡潔案に対して否定的な意見が集まったのならば、従来の記述に戻すことは問題ないと思います。--Ks aka 98 2010年4月23日 (金) 14:14 (UTC)

そろそろ終わりにしてはどうだろう[編集]

いまさら「簡略案を採用」としても覆水盆に返らずなんだけどね(ためいき)。

簡略案の採用を支持する声の方が多いとおれは理解しましたし、手続きも正しく行われたという意見の方が圧倒的に多いと思われます。そろそろこの話は終わりにして、簡略案に書き直すということで終了にしてはどうでしょうか。--Nekosuki600 2010年4月22日 (木) 19:02 (UTC)

いえ、それは早いと思います。一ヶ月はみて十分意見を吸収し、そのうえで改めて内容については議論すべきでしょう。--Kanbun 2010年4月22日 (木) 23:48 (UTC)
そもそも以前の議論がこの方針文書を改変する議論としては十分な期間行われていなかったと私は考えていますし、一週間もしないで議論を締めたがるとはNekosukiさんが何を急いていらっしゃるのか解せません。--Kanbun 2010年4月22日 (木) 23:54 (UTC)
Kanbunさんがどう心象をもっているかが合意の条件ではなく、コミュニティがどういう見解を表明したが合意の条件です。つまり、Kanbunさんが予定している意見を待つというのはかげろん氏のいう腕づくの解決に他なりません。--あら金 2010年4月23日 (金) 00:15 (UTC)
私がそう考える経緯を説明しますと、この方針文書の内容については3年半ほど前に約1ヶ月かけて歴史的経緯を含めた議論をおこない、そこでだいたい現在の表の文面でよいという合意を議論参加者同士で取ってから、それについて1週間(拘束力のない)意見投票(→/意見投票20061209)をし、内容についてはそれでよいという意見が多数であるのを確認してからあくまで暫定的なものとして維持されてきたものです。その意見投票では「簡潔案のみ」や「簡潔案+解説」を支持するかも問いましたが、「簡潔案のみ」は支持されませんでした。意見投票の過程で明らかになったのは、3年前のコミュニティにこの方針文書についての一致した見解はないということ、現状の状態が比較的良く支持されていたということです。翻って、今回の件ですが、まず3年半が経過したとはいえ、いきなり「簡潔案」の意見が圧倒的になるとは考えられないので、今回の簡潔案への差し替えははっきり言ってしまうとタイミングの問題になってしまっていたと私は考えています。私はしたがって、少なくとも前回の議論実績を踏まえ、念入りにコミュニティに意見を諮るべきと思いますし、この方針文書の内容を2週間かそこらでサブページで議論して合意ができたと言ってしまうのはどうかと思います。そもそもサブノートのどこで合意がされているのかわかりません。合意とはこの内容でよいか示し、それについてしっかりと了承を取ることと私は思います。スのGさんの具体的な作業の提案も4/10になされて17日に唐突に作業終了とサブノートに報告されていますが、こちらのノートに作業の報告もなく、事後確認もなく、簡潔案への変更は手続き的には問題ないにせよ、コミュニティの意見を十分吸収しているかと言えば、やや慎重さを欠くと思われるのです。現状での議論終了は結局同様の繰り返しになりますから、私は議論ホストとしても明確に反対します。議論は尽くされておりません。--Kanbun 2010年4月23日 (金) 00:35 (UTC)
◆さらに単純な話ですが、ウィキペディアンのうち3人で合意を取るより10人で合意を取った方が断然良いに決まっています。同様に、1週間で合意を取るより1ヶ月で合意を取った方がはるかにコミュニティの広い意見が反映される可能性が高い。急を要する案件ならともかく、本方針文書は手続きなどを規定したものではありませんから、急いで議論する必要はありません。--Kanbun 2010年4月23日 (金) 00:50 (UTC)
あと、この議論の目的は「簡素化案」への移動が合意に基づくものかどうかということであったと存じます。であれば、この議論の結論となる合意事項は移動するかしないかです。したがって、「改めて内容については議論すべきでしょう」というのは、結論とは無関係な意見であると存じます。、「改めて内容については議論すべきでしょう」は簡素化案に移動した後に、具体的に何が問題かをKanbunさんが建議するはなしであって、コミュニティがKanbunさんと同じ立場に立たないことを議論が無かったとするものではないと存じます。--あら金 2010年4月23日 (金) 00:45 (UTC)
>この議論の目的は「簡素化案」への移動が合意に基づくものかどうかということであったと存じます。
違います。冒頭の私のコメントを読んで下さい。特に太字の部分を。--Kanbun 2010年4月23日 (金) 00:50 (UTC)
気づいたのですが、Nekosukiさんやあら金さんがやたら本筋と関係ない、合意だどうだということにこだわってらっしゃったのは、そもそも本議論目的を誤解されていたせいなのでしょうか?あくまで簡潔案がよいか解説付きがよいか検討して下さいとコメントを求めているのに、聞かれてもいない手続き面でのことにやたらと固執されていて、議論の筋を乱し、嫌がらせなのかと思っていたのですが、なるほど、あら金さんの発言で得心がいきました。私も誤解を招くような表現を使ってしまったのでしょうが、改めて確認しておきますと、ここでは本方針文書の内容や歴史的経緯から、簡潔案がよいか現状がよいかをコメントしていただく場です。そして、できるだけ広くコミュニティの意見を問いたいので、1ヶ月ほどは様子を見ることを考えています。--Kanbun 2010年4月23日 (金) 01:10 (UTC)
困った方だ・・・・・--Bo-ci-an 2010年4月23日 (金) 06:23 (UTC)
◆であれば、これまで議論を読みながら全く発言してこなかった立場から明確にコメントしますが簡潔案がよいと思います。手続き上の瑕疵もなく周知期間も問題ないので。--ろう(Law soma) D C 2010年4月23日 (金) 12:43 (UTC)
コメントありがとうございます。できればわかりやすくするために、コメント節に書いていただけると助かります。どうぞよろしくお願いいたします。--Kanbun 2010年4月23日 (金) 13:11 (UTC)
もう過ぎてしまった話ですが、Kanbunさんは「合意が~」という前に合意形成を確認しておくべきだったと思います。書き換え提案については1週間待って反対がなかったわけですから、書き換えについてはガイドラインに則れば、合意が成立したとみなすことができますね。それを「合意が形成されていない」というのは、単なる強弁に思えるのですが……。--かげろん 2010年4月23日 (金) 13:34 (UTC)
いえ、それをいうと合意のレベルという問題が出てくるのではないでしょうか?少なくとも現状の文案を採用した3年半前の合意のほうが、サブページで行われた合意形成より長い期間と多くの参加者によって行われています。--Kanbun 2010年4月23日 (金) 13:38 (UTC)
◆また合意形成は通常の合意形成期間の目安を示していますが、重要な案件についてはそれ以上の期間が必要なことは明白だと思うのですが。(「基本方針とガイドラインに関する場合、他のページ以上に関与と合意に高い基準が期待されます。」という文言をご覧下さい。)--Kanbun 2010年4月23日 (金) 13:40 (UTC)
◆少なくとも前回の合意は1ヶ月以上にわたる話し合いによって形成され、事後に1週間の意見投票によって、より広いコミュニティの支持を確認しています。つまり厳密に合意形成のルールに従うならば、むしろ今回の改変は明白に合意のレベルにおいて手続き上問題があります。--Kanbun 2010年4月23日 (金) 13:51 (UTC)
方針文書をよく読んでいない人が多いので、もう一度正確に今回の合意の問題点を指摘します。今回の合意は標準的な手続き上は問題ありません。しかし、合意形成のルールを厳密に照らし合わせれば、「合意のレベル」において明らかに要件を満たしていません。まず議論された場所が本ノートページではなく、サブページのノートであること。告知された場所も前回の合意形成の時より少なく、期間も短い。議論に参加した人も少なく、明らかにこの改変は勇み足です。私がここで最低限1ヶ月以上議論を尽くさなければいけないと言っているのも、以上を読めば十分おわかりになるはずと思いますが。いい加減、方針文書をしっかり読んで対応していただきたく思います。手続き上うんぬんとおっしゃってる方は揃いも揃って問題の本質がわかってらっしゃらない。私は簡潔案に反対してるわけではないのです。合意のレベルが全く満たされていないのですよ。--Kanbun 2010年4月23日 (金) 14:04 (UTC)
おそらくkanbunさんの提案されているのが「簡潔案がよいか解説付きがよいか検討する」ことではなく「簡素化案への移動が合意に基づくものかどうか」と誤解されている原因は、その移動を差し戻し(編集合戦を予告し保護依頼をちらつかせ)たうえで、簡素化案への移動の合意が不十分と再三言っておられるからではないかと思います。
厳密に合意形成のルールに従うならば、今回の改変は明白に合意のレベルにおいて手続き上問題がありません。人数については確かに少ないです。期間については3年半前の合意が、約1ヶ月議論し1週間の調査投票を経ているということですね。#構成の変更についてのSuzukitaroさんのはじめのコメントは 2010年2月21日 (日)です。議論先のページへの誘導の仕方に不足はあり、その後実際にSu-no-Gさんのコメントがついたのは3月30日ではありますが、議論の開始はこの日で長さは前回を越えているとみなすことも可能であると思います。より広いコミュニティの支持というのが人数ではなく質を指すならば、少なくともこの告知を見ることができた人からは、消極的に合意されたと言えなくもないでしょう。また、合意のレベルの重要度には、意見の相違があり、私の見解を言えばたとえ五本の柱にリンクされている文章であっても、草案である以上井戸端に書かれたような超重要案件という表現に同意はできそうにありません。--春日椿 2010年4月23日 (金) 14:07 (UTC)
まず前回の合意は合意内容を明確に告知した上で、意見投票を行って確認を取っています。これはこの方針文書の性質を考えれば当然の配慮と思い、やったものです。ところが今回はそもそもどういう合意がなされたのかもこのノートで述べられていません。また、それについて私がどういう合意がなされたのか教えて欲しいと求めても、スのGさんはサブノートを読めの一点張りでした。私が今回の合意形成が明らかに前回より閉鎖的であると考える原因はそういった点にあります。またスのGさんによる最終案の提案は4/10、作業されたのが4/17。ちなみに修正案への明確な賛同意見は一つ。明らかに合意のレベルは低いと思われるのですが。--Kanbun 2010年4月23日 (金) 14:13 (UTC)
議論された場所がサブページのノートであることは問題ではないと思います。こちらに告知も後半はされています。告知された場所が少ないとのことですが、前回は他にどこでされたのでしょう。
また、簡潔案の適用には反対とこの節のはじめに書かれ、2010年4月23日 (金) 01:10 (UTC)では「本筋と関係ない、本議論目的はあくまで簡潔案がよいか解説付きがよいか」としながら、「私は簡潔案に反対してるわけではないのです。合意のレベルが全く満たされていないのです」といわれても全く説得力がありません。
またSu-no-Gさんによる最終案の提案は4/10ではありませんけど。この日の氏のコメントで行われたのは最終確認です。「どういう合意がなされたのかについて、サブノートを読めの一点張り」については、どこも難しくなくあそこに書かれたコメントの全てが合意に至る道だからです。今回の合意形成が明らかに前回より閉鎖的というのは何と比較されてのことかわかりませんが、私はこのページとお知らせの告知を見てあちらの議論に参加しましたよ。--春日椿 2010年4月23日 (金) 14:31 (UTC)
スのGさん自身は「本来 Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい に出すべきところですが、対案ということで直下につけます。」と述べています。一般的にサブページでの議論はサブページの内容のもので、今回の告知もサブページの内容についてであると解釈できます。合意形成の観点から見ると、だいぶ問題があります。サブノートの内容が「どこも難しくなくあそこに書かれたコメントの全てが合意に至る道だから」とおっしゃいますが、私にはどこで合意形成がされたのかいまだにわかりません。そもそも議論をしていた人がどういう合意になったか説明できないというのはおかしい。合意を形成した人には当然説明責任があります。その最低限の義務も果たせない合意って尊重する価値あるんですか?--Kanbun 2010年4月23日 (金) 14:46 (UTC)
◆項目の議論について、ノートのサブページで行なうことは、普通にあるんじゃないかと思うんですが。おれなんかある程度以上の量になりそうだと思ったら最初からサブページを作ってそっちで問題提起したりするし。ていうか、そもそもサブページってそんなふうに使うものではないんでしょうか。--Nekosuki600 2010年4月23日 (金) 14:54 (UTC)
ノートのサブページではなくて、サブページのノートですよ?普通そんなことしますか?--Kanbun 2010年4月23日 (金) 14:57 (UTC)
つまりノートのサブページなら記事がないのでノートの議論の延長だってわかりますよね?でもサブページの記事がくっついているノートは、そのサブページについて議論するのが普通ですよね?--Kanbun 2010年4月23日 (金) 15:06 (UTC)
◆普通にあり得る選択肢だし、リンクしとけば済む話だし。そんな形式的な理由で「普通」と「普通じゃない」を識別できるわけがないです。--Nekosuki600 2010年4月23日 (金) 15:08 (UTC)
私にはそうは思えませんが。どちらにせよ、ウォッチリストで拾いづらくなることと議論が拡散するという面でやはり問題がないわけではないと思います。普通かどうかは別にしても。だから本体ノートで再度確認を取るというのは自然なことと私は思っていました。まあ、どうも私のほうが普通じゃないらしいですね。--Kanbun 2010年4月23日 (金) 15:22 (UTC)
うん、合意成立。じゃあ、取り下げて下さい。--Nekosuki600 2010年4月23日 (金) 15:29 (UTC)
私はSu-no-Gさん本人ではないので、推測と他の方針などを理由にしかできませんが。まず、「本来 Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい に出すべきところですが、対案ということで直下につけます。」という断りを入れ、その提案に誘導するためにこちらのページに再度コメントし、お知らせなどにも告知をしました。一般的ということは、例外はありますし、会話ページでのやり取りを合意と言われたならまだしもという感じです。サブページのノートもノートのサブページも同じです。
>私にはどこで合意形成がされたのかいまだにわかりません。そもそも議論をしていた人がどういう合意になったか説明できないというのはおかしい。合意を形成した人には当然説明責任があります。
このページを見る限り、あなたはどこで合意がされているのかと聞かれていますから、サブページのノートを示したわけです。利用者‐会話:Su-no-Gでのやり取りもみますと、「対案」の節に最終的な合意があることはあなたにも周知のことのようで、これで何故どこで合意がされたかわからないといわれるのかが、私にはわかりません。それとも議論の要約を示し、合意した人の具体名を示すべきだ、ということでしょうか。もしそうならSu-no-Gさんとのやりとりでは、全くわかりません。--春日椿 2010年4月23日 (金) 15:14 (UTC)
合意がどこかしらであるのかがわかるが、その合意内容が不明なのでこのノートで説明して欲しいと述べたのです。どういう内容の変更をおこなうのか、期間はいつからいつまで議論したとか普通に記しませんか?私はこのノートで以前の合意内容を聞かれた時も、経緯を普通に説明しましたよ。どういう議論があって、どういう結論になったのか。相手への最低限の配慮と思っていましたし、当然の説明義務と思っていましたが、そうではないのですね。なんていうか、親切心ってないんですかね?--Kanbun 2010年4月23日 (金) 15:22 (UTC)
Su-no-Gさんとのやり取りで書かれていたのですか。申し訳ありません、ここで告知の不徹底による議論の不備を指摘しやり直しが必要と宣言されるまでの間には、そういった内容に関するやりとりがあったことが確認できませんでしたので前のコメントとなりました。--春日椿 2010年4月23日 (金) 15:40 (UTC)

議論終了とKanbunの謝罪、および今後の作業予定について[編集]

さて、今までの皆さんのご意見を拝見し、私自身心から真摯に受け止めた結果、議論は終結させ、簡潔案へ変更することがコミュニティの支配的な意見であるということを認めるのが正当であると思います。私自身は手続き上の問題を認め、異議を差し挟み、混乱を招いたこと、関係された皆様に深く謝するところであります。申し訳ございませんでした。私自身意見を十二分に披瀝し、また皆様におかれましては拙い私のわがままに時間を割いて対応して下さったこと、感謝こそすれ恨みは少しもありません。私のこのたびの行動については私自身コメント依頼を出し、経緯を説明し、十分に説明責任を果たして皆様の批判もすべて受けるつもりでおります。とりあえず夜も遅いので、明日私自身方針の文書を簡潔案に戻し、その後コメント依頼を出し、制裁が必要という結論であれば、もちろん喜んで従います。皆様には多大なご迷惑をおかけしましたこと、ただただ深くお詫び申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。--Kanbun 2010年4月23日 (金) 15:38 (UTC)

取り下げに基づき、Su-no-Gさんの版への差し戻しをいたしました。--Nekosuki600 2010年4月23日 (金) 16:14 (UTC)
差し戻し作業感謝します。--Kanbun 2010年4月24日 (土) 13:53 (UTC)

ガイドライン化を提案します[編集]

Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい2010年4月23日 (金) 16:12 の版(最終編集Nekosuki600さん)をベースとするガイドライン化を提案します。Suzukitaro 2010年6月13日 (日) 00:11 (UTC)

(補足説明)Wikipedia - ノート:ルールすべてを無視しなさい/簡潔案の2010年3月31日 (水) 14:42(UTC)のSuNoGさんの提案について,私はガイドライン化を目指した提案であると受け取っていました。しかし,現状を見ると,文章の変更(だけ)の提案と受け取られた方が多いようで,それ以降の過程(ガイドライン化へ向けての議論)は進行していません。また,議論の場をこちらへ移したほうがよいと考えて,改めて提案をしました。Suzukitaro 2010年6月13日 (日) 00:11 (UTC)

反対 内容がどのようにでも解釈できるうちはガイドライン化は反対します。『提案は前例を無視して大胆に、しかし実行は合意に基づき慎重に』というのが私はミニマムな要件だと考えます。簡略案は悪用封じのために実施例を削除しただけでルールという言葉が曖昧でいくらでも恣意的に解釈でき、さらに最低限の要件を含みません。なので反対です。--あら金 2010年6月13日 (日) 01:27 (UTC)

提案者です。あら金さんの意見を読んでのコメントです。あら金さんは「解釈の幅は狭いほうがよい」とお考えなのだと思います。法律についてはそうあるべきだと思います。しかし,このプロジェクトの元である「五本の柱」の5番目の「この5つの原則の他には、ウィキペディアには、確固としたルールはありません」は「Wikipediaのルールをあまり厳密に考えるべきでない」ということを主張しています。私も利用させていただいたことがあるのですが,Wikipedia:屋外美術を被写体とする写真の利用方針の「試験段階に入った草案」としての運用はWikipediaのルールが厳密なものでないことの一例だと思います。Suzukitaro 2010年6月18日 (金) 11:11 (UTC)

「却下」を提案します[編集]

1年以上、bot以外の実質的な編集もノートでの議論もなく、忘れられた草案になっています。以前の提案と逆の提案になりますが、整理のため「却下」({{proposed}}を{{rejected}}へ変更)することを提案します。Suzukitaro会話2012年5月27日 (日) 00:34 (UTC)

  • (反対)複数のページに同様のことを大量に行われてますが、いい加減にしてください。--Vigorous actionTalk/History2012年5月27日 (日) 00:38 (UTC)
  • 反対 提案者が「アレ」かどうかは別にしても、本ガイドラインは主要5柱のひとつで、一年やそこら動きが無かったとしても軽々しく却下できるものではありません。本ガイドラインを却下するのは、ウィキペディア日本語版がウィキペディアの理念に準じることを止めること以外ありえない行為だと認識します。--夜飛/ 2012年5月27日 (日) 01:14 (UTC)
  • 反対 日本語版で独自に設けられたものならばともかく、これは移入されたものですし、5本の柱のひとつです。「動向がないから」という理由で却下するのはあまりに乱暴です。--アルトクール(/) 2012年5月27日 (日) 06:28 (UTC)
  • コメント
    本稿を要約すると「ルールの奴隷になってはいけない。だから理念を達成するためにはルールを無視する場面というのは存在するものだ。たとえどんなルールであってもだ。」という点に尽きると考える。
    したがって、この却下提案自体は将に「ルールを無視すること」に他ならないし、それに対して「前例がない」とか「ルールに反する」という理由を挙げること自体は「ルールの奴隷になっている」ということである。
    いいかえれば、「ルールを遵守することは正しいが、必ずしも正義ではない」ということです。ウィキペディアにおいて何が正義かといえば、「ジミー・ウェールズの理念を達成する」ことが正義です。
    で、あるならば方針を却下提案をすることも、それに対して頭ごなしにルールで反対することも、ウィキペディアの正義ではないということであり、汎ルール原理主義を戒めた本稿においてそれが再現されるとは、悲劇を通り越してすでに喜劇というべきでしょう。
    ととのつまりはこの問題の原因は「意図が伝達されない翻訳は、文法どおりであっても誤訳である」という点につきます。
    本文については十分に意図が伝達れていると考えます。しかしタイトルについては意図が伝達されない以上は誤訳と考えます。--あら金会話2012年5月28日 (月) 03:00 (UTC)
  • 反対 提案者は過去にも上の#公式化について#構成の変更について#ガイドライン化を提案しますの節で提案しておられますが、それぞれ「五本の柱のひとつが草案でしかないのはみっともない」、「長期にわたって休眠状態」、「文章の変更だけではない」(各要旨)というだけで、肝心の内容の検討や意見の具体的な調整など合意を図る努力はなにもなく、実質放置です。そして今回は「1年以上議論がないから却下」だと。率直にいわせてもらって、お話になりません。最初からなにもされなかった方がよほどよかったと思います。ほかのページでも同様の提案をしておられるようですが、今後もこうした無責任な行為を繰り返すおつもりでしょうか。--みっち会話2012年5月28日 (月) 10:29 (UTC)
  • コメントIwai.masaharuさんからこの提案についてのご意見差分を頂戴したので,お返事を書きます。Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいについてはこのような「長い間放置されている草案」へのリンクをWikipedia:五本の柱に残しているのが間違いで,現在(2012年5月30日 (水) 16:53 (UTC))リンク元になっている「ウィキペディアには、確固としたルールはありません」という文言だけで十分その内容は説明されており、あえて「(注記:日本語版ではリンク先のルールは草案段階です)」という注記まで加えて残しておかなければならないほどのリンクとは思えません。英語版では「Ignore all rules」というインパクトのある言葉を生かしたくて「Five pillars」から「Ignore all rules」へのリンクが貼られているのでしょうが,日本語版では「ルールすべてを無視しなさい」と言う言葉にインパクトがありすぎるためにいつまでも草案のままで先に進まない状態が続いています。そのあたりの違いを考えると、英語版と同じ構成にする必要はないと思います。Suzukitaro会話2012年5月30日 (水) 16:53 (UTC)
    • コメント別に英語版に追従して同じ構成にすべきとは考えていません。《英語版では「Ignore all rules」というインパクトのある言葉を生かしたくて「Five pillars」から「Ignore all rules」へのリンクが貼られているのでしょうが》という考えがおかしいでしょう。インパクト云々ではなくて、「その詳細を示した文書」が必要なだけと考える方が合理的です。で、「Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」を廃案にするということは「Wikipedia:五本の柱」自体の改定になります。だからそもそもここだけで議論することが間違いです。もっと考えて提案してください。--iwaim会話2012年5月31日 (木) 03:11 (UTC)
  • 反対 「Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」を廃案にするということは「Wikipedia:五本の柱」自体の改定になります。だからそもそもここだけで議論することが間違いです。もっと考えて提案してください。--iwaim会話2012年5月31日 (木) 03:11 (UTC)
  • 反対 Suzukitaroさんのこれまでの履歴を拝見しますと、どうも白黒はっきりさせないと気が済まないご性分のように見受けられます。しかし、このルール草案は、本来方針にすることが望まれるルールです。誤解を招く可能性が高いため、日本語版ではずっと草案のままでしたが、それでも草案だからよいのです。廃案にしてしまっては、基本理念の一部を放棄することになってしまいます。--ろう(Law soma) D C 2012年5月31日 (木) 05:34 (UTC)
    • コメント2012年5月31日 (木) 03:11 (UTC)の書き込みでIwai.masaharuさんは『「Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」を廃案にするということは「Wikipedia:五本の柱」自体の改定になります。』と書いておられます。夜飛さん・アルトクールさんも同様に考えておられるようですが,それは違います。「草案」と「廃案」のいずれであるにしても,「方針」や「ガイドライン」ではない以上効力のないものであり,「Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」を「Wikipedia:五本の柱」の一部と考えると,現状のように「Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」が「草案」であると言う状態は,「Wikipedia:五本の柱」の一部が欠けていることになってしまいます。また,『「その詳細を示した文書」が必要である』とのご意見に関しては,「Wikipedia:五本の柱」からリンクしている5つの文書のうち「Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」を除く4つの文書は確かに「その詳細を示した文書」と言えるでしょうが,「Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」よりも「Wikipedia:五本の柱」中の「この5つの原則の他には、ウィキペディアには、確固としたルールはありません。」以下の文章自体に書かれている説明のほうが詳しいぐらいで,「その詳細を示した文書」になっていません。「Wikipedia:五本の柱」だけで詳細が十分説明されており,だからこそ「Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」がいつまでも草案なのであり,廃案としてもなんら問題はないと考えます。Suzukitaro会話2012年6月2日 (土) 17:36 (UTC)
      • コメント小生の意見がどうも意図したところとは違う意味で受け取られているようなのでコメント。まあ、本ガイドラインが草案扱いのまま主要5柱に組み込まれている…というのは、その通りなのですが、上でアルトクールさんがおっしゃられているように、ウィキペディア英語版が発足して以降に比較的初期の段階で形成され、日本語版がそれを移入継承したのではありますが、これはウィキペディア全体がそういう理念(主要5柱)に則って活動している以上は、それを「一年以上(云々)」などという軽々しい理由如きで否定するのはウィキペディア日本語版がウィキペディアであることを否定するようなものなので反対だと申し上げているのです。小生は幾つかの日本語版ガイドライン形成段階で意見を入れながらその成長を見る機会があった一方で、そのガイドライン運用でトラブルを起こした利用者のケースも見てきたのですが、実際問題としてWP:悪用に見るように「ガイドラインを法律か戒律のように考え(馬鹿馬鹿しい)騒動に発展させる」利用者もしばしばいる訳で、その「(ガイドラインを法律か戒律と勘違いしてるため)馬鹿馬鹿しい騒動を起こす利用者」が出たとしても、それ以外の健康的なバランス感覚を持った多くの利用者が事態を正常化してきました。新規の利用者が主要5柱をその総体として見渡し健康的なバランス感覚で「ウィキペディアが百科辞典であること」に沿おうとする上では、個別の文章として(解説付きで)示されていたほうがいいと考えています。
        まあ草案のままだというのは、破れ屋の侘び寂びじゃあありませんが、逆に主要5柱の一個が草案のままであるというこの状況こそが本ガイドライン(単純に捉えるなら自己否定している)の性質にとって「備考に足るが妄信するに能わない」という「程よい宙ぶらりん感」を醸しており、そういう曖昧さを許容する余裕のある(ある意味では分別のある)態度・考え方が「(自分に都合のいい解釈が可能な)ガイドラインだけを法律か戒律のように妄信ないし強弁の材料として馬鹿馬鹿しい騒動を起こす利用者」への対応する側に、更にはすべてのウィキペディアンに必要だと思いますがね。--夜飛/ 2012年6月2日 (土) 23:57 (UTC)
      • コメント 「この方針の解説はWikipedia:ルールすべてを無視しなさい/解説にあります」とあるのを無視して「詳細がない」などと主張するのはいかがなものか。いかに誤解なく、悪用を防ぎながら方針の精神を理解できる文書を作るかという工夫の歴史を見ず、文書の参照・利用状況を見ず、いたずらに他者に労力を払わせる行為は、「コミュニティを疲弊させる利用者」のものであると私は考えます。また複数の利用者が意見を述べているにもかかわらず、反論できると思しき部分にのみ反論するのは議論のための議論であって、建設的なものではないと考えます。--Calvero会話2012年6月3日 (日) 11:03 (UTC)

もう、「Wikipedia:雪玉条項」の精神に則って、議論はやめた方がよさそうには思います。このままスルーでいいんじゃないでしょうか。(もちろんこの提案に「賛成」とかも要らない)--iwaim会話2012年6月3日 (日) 11:38 (UTC)

間が開いていますが、「ガイドライン化」と「却下」の両提案についてのコメント量の差がこの草案に対する評価の現われなのだろうと思います。「程よい宙ぶらりん感」というのは面白い表現ですね。ということで、今回の提案についてはおしまいとします。Suzukitaro会話2012年6月3日 (日) 19:57 (UTC)