Wikipedia‐ノート:コメント依頼/Naitou1980

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  • コメントの補足
「コモンセンス」と方針関連文書
例えばWikipedia:削除依頼/Sexy 松で被依頼者さんは「実質、Sexy Zoneの中での少人数の活動でしかない。」と述べています。この発言はウィキペディアの定義する『特筆性』と世間一般で言う「特筆に値しないよ」を混同していることが端的に顕れています。
『週刊プレイボーイ』は、まあ確かに同誌がウォール・ストリート・ジャーナルや学術論文のような信頼性を世間から受けているとは言いません。世間一般的にはいかがわしいエロ雑誌と切り捨てることは可能で、国会で「週刊プレイボーイにこう書いてあるけどどういうことだ」みたいにぶちあげた議員がいたら、その議員が恥をかくようなレベルかもしれません。しかしWP:RSはもうちょっと厳密に定められています。要するにノルウェーの地質についての出典としてプレイボーイを持ってきたら笑われるかもしれませんが、グラビアアイドルの出典としてはたぶん権威のある主流の出典ということになるのではないでしょうか。出典の扱いは個別的に判断するべきで、たとえば「ココイチでバイトしていた」ことへの出典としては問題ない(それが記述に値するかは別問題)が、「世界史上最高の美女です」と書いてあったらそのまま使うのはどうかなというふうに。まあざっくりというとこの件では被依頼者さんは「削除ありき」で粗雑な発言をしてしまったなというところでしょう。
私も数々の方針文書を読み、ノートで質問をし、ようやく最近ちょっと理解できてきたかなと思っていますが、ウィキペディアで言うところの「単独記事に値するか=『特筆性』」と、世間一般の「百科事典の載せるようなことじゃない=こんなのは特筆に値しないよ」感は全く別のものでした。どんなクソみたいなことでも、第三者言及によって『特筆性』は出現する。その一方で、特筆性があっても、記事内容が乏しければ統合やリダイレクト化は行いうる。「単独記事の根拠となる「特筆性」があるない/記事のなかでわざわざ言及に値するしない」「内容が乏しい/多い」「特筆性がある/ない」「出典が明記されている/いない」「出典がある/ない」は本来それぞれ別個の問題として検討が求められているのに、なんとなーく一緒くたに扱われてしまっている。
方針文書の不備
もう一つ、よくよく言われてみるとなるほどなと思うのですが、「統合やリダイレクト化」と「記事の削除」は、見かけの結果が似ているようで実は全然ちがう。Wizardryでいうと灰とLOSTの差。「統合やリダイレクト」は、今は灰にしておいて、いつかレベルがあがったらカドルトできる。「ひょっとしたらいつか『特筆性=第三者言及』が発見されるかも」という可能性を残している。(「統合」にも、単純にコピペ移動するだけ、と考えている利用者が少なくない印象があります。コピペ移動した後にマージした結果、表面的には記述がなくなる、という「統合」もある。)
削除はLOST。「天地神明に誓って、未来永劫この主題に関する第三者言及は100%絶対に出現しないし、過去においてもこの世界線での現象世界には実在したことはないことが確認できたことを私が保証します」というレベル。(たいていはそんな保証できないので、簡易的な判断基準(例/Wikipedia:特筆性 (音楽))で判定される。)
だから削除というのは、よっぽど自信がないと提案できない(=そのジャンルの専門家でないと判断できない)はずなんです。ところが「出典がない記述を除去する」のは割とイージー(イージーなのは除去しても過去版には情報が残るから=LOSTしないからだとも考えられる)なので、それと同じ感覚で「記事を削除する」を行おうとしてしまっている。実は全然ハードルの高さが違う(念入りな検証が求められる・・・ちょっとググった程度ではダメ)のに、似たような感覚で判断を下してしまっている。「記事の削除」と「統合」についての説明不足があるように思います。
ケースEのうち中核的な「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない」はWP:Nを参照するよう指示しているものの、WP:Nはいまだに議論が定まらずガイドライン化もされていません。Wikipedia:方針とガイドライン#位置づけは、「編集者はガイドラインに従うように推奨されますが、それについては常識に基づいて判断し、個別の事情に応じて例外を適用してもかまいません。」としており、ガイドラインにさえなっていないWP:Nを基に被依頼者を強く批難することには躊躇があります。(仮に「出典がない記事」を片端から削除依頼に出しているというレベルならさすがにどうかと思いますが、最初に述べたように、被依頼者の削除意見は「世間一般の常識」とは乖離しておらず、まさに「常識に基づいて判断し」ているとも解釈できます(Wikipedia:善意にとる)。
一方、方針文書であるWP:BURDENは「定評のある情報源がない場合、その話題に関する記事はウィキペディアで立てるべきではありません。」とあり、これを逆解釈すると(逆解釈することが本当はマズイのでしょう)、出典がないから削除だよ、と言えてしまいます。この点で「特筆性が明記されていなくてもすぐには削除できないよ」とするWP:FAILNは、この問題の中核なんでしょうけども、WP:BURDENと矛盾しているようにも見えます。片方が方針文書で、もう片方がガイドラインにもなっていないとなると、前者(厳密にはその逆解釈)を優先したんだと主張できるようにも思えます。(WP:RULESは、各方針文書に「相互に矛盾しない」ことを求めており、そこらへんもWP:Nが定まらない一因になっているようです。)公式な方針リストには削除の方針は載っていてもWikipedia:ページの分割と統合は載っていないし、Wikipedia:削除の方針も一番下までいかないとWikipedia:統合提案への誘導がなく、ここからさらにWikipedia:ページの分割と統合へ移動する必要がある。ケースEの場合にはWikipedia:削除の方針を上から見ていってケースEのところで知りたい手続きがわかってしまうので、よほど注意深くないと、そこから下の方までわざわざ読まず、「存続」と「削除」以外の選択肢があると知らないままいってしまう。削除依頼の場では「存続して統合」という主張は一発では行えず、段階を踏まなければいけない。
まあ、これらはそもそも論です。表で書いたように、こういう一連の遠因がある、と私は思いますけども、被依頼者さんほどガッツリ削除依頼に関与するのであれば、上述のような方針文書の難点を乗り越えて、ちゃんと理解してね、というのはそのとおりだと思います。--柒月例祭会話2014年8月30日 (土) 19:24 (UTC)[返信]
  • コメント これまで削除票を入れまくってきた者です。どこか井戸端で話すべき気もしますが、よい機会なので。自分で作る時は厳しい基準で(WP:BURDEN)、他人が作ったものは寛大に(WP:FAILN)というところでしょうか。企業や存命人物などは関係者による宣伝としか思えないものが毎日のように作成されます。削除依頼を出す人、当票する人は必要なのですが、依頼対象者に限らず、削除依頼に関して(私も含めて)色々指摘される利用者は多いように思えます。以前削除依頼でよく見かけた人で、最近見かけなくなった人は結構います。これは指摘による活動停止あるいはブロック依頼によるものです。記事を書かないで削除依頼だけっていうのは別に目的外利用者とは思いませんが、そういう人に限って不適切な行為が多く、目的外利用者だと言われても否定できないものがあります。削除依頼に出入りすれば、削除されない記事を書けるようになると思いますが、記事を書く事によって、削除依頼で適切な投票ができるのかもしれません。また、こういう問題もありました。SDを貼った方は会話ページで改善を約束されましたが、SDを貼らんでも良いような記事に、SDを貼る人は少なくありません。また、削除依頼の場で、結構ひどい事を言う人もいます。私も削除対象が創作物やネットユーザー(中の人ではなく、あくまで電脳世界の住人に対して)には結構ひどい事を言いますが(Wikipedia:削除依頼/Seiya8172)、その私から見てなお、というのが多々あります。「特筆性なし」の一言で切り捨てるとか(「特筆性が提示されていません」ならまだしも)、「単なる一般人」とか、「~に過ぎない」とか、私の会社や私の記事を誰かが作成して同じ事を言われたら、落胆します(削除依頼JapaneseAであれば、その限りではありませんが)。人間や企業には必ずそこにしかない特筆性(一般的な意味で)があり、ただそれが第3者の目に留まらないので、Wikipedia的な意味での特筆性が提示されていないだけです。国会で寝ているような国会議員や、マネーゲームの会社の記事が存続できて、一生懸命努力している地方議員や町工場の記事が存続できないのは、単にWikipediaが独断で線引きしているだけです(Wikipedia:なぜウィキペディアは素晴らしくないのかに載せたい)。なお、WEBビジネスの会社やyoutuberのようにWEBで第3出典が見つかるべきものは、ググって見つからなければ削除で良いと思います。一方、老舗とか歴史上の人物などにはそれは該当できません。「信頼できる情報源」ですが、仰るように、どのような記述をするかによって出典の使い方が異なってくるでしょう。今回のケースでは「プレイボーイ」は出典として適切です。--JapaneseA会話2014年8月30日 (土) 22:27 (UTC)[返信]

削除依頼のみは目的利用者か?[編集]

  • コメント 百科事典を「作る」とは広義には、削除依頼も含めた全ての活動が入っていると私は判断しています。
これまで同様の利用者を何名か見てきましたが、なぜか削除依頼参加率と不適切な行為の回数が比例関係にあるようです。このせいで「削除依頼がメイン、即目的外利用者」という判断がされるのかもしれません。
加筆専門、不適切な部分を除去専門、誤字修正専門、出典付ける専門、どれも目的に合致した利用者だと思います。これが不適切な加筆のみする人、有益な記述のみを除去する人、あべこべに誤字に修正する人、誤った出典だけをつける人、繰り返せばブロック対象になるのは言うまでもないでしょう。削除依頼もそれと同じじゃないかなと思います。
誰も削除をしなければ、いつの日かWikipediaの記事の半分以上は、私物(国語2のJapaneseAが書いた文学作品の記事)やネットユーザー(記事JapaneseA)とかの「どう足掻いても特筆性の無いもの」で埋まってしまうでしょう。それを防ぐ人は有益です。しかし、隠れた名作のような記事を、安易に削除しようとする利用者は「辻斬りのように、とにかく削除したいからWikipediaに参加している目的外利用者」となるのだと思います。
とは申せ、記事作成・大幅加筆を至高と判断する方は少なからず居ないと困るので、「記事を書かないヤツは目的外利用者だ」という意見を全面的に否定する気もありませんし、「記事を作ってこそウィキペディアン」ってのは共感できる考えです。
被依頼者氏が削除依頼に参加(不適切ではない投票)→誰かがブロック依頼を出す→私が反対票を入れる→削除依頼で不適切行為→やっぱり私が賛成票に変える。というどこかであったようなパターンにならない事を願います。
--JapaneseA会話2014年9月2日 (火) 16:34 (UTC)[返信]
  • コメント 私は「削除依頼専門=目的外利用=ブロック相当」と一般化できるとは考えていません。(この点ではJapaneaseAさんと同じだと思います)
本件固有のことでいうと、仮にこのまま悪い方向に進んだ場合には、方針無理解、対話拒否、消耗させる、でブロックという筋立てと思います。「目的外利用」ではない。
被依頼者を本格的に弁護しようという気はないですが、被依頼者なりに「よい百科事典(と被依頼者が考えるもの)」(≠方針)を目指しているという行為ではあるように思います。たとえば明らかに立派な記事を無差別に削除依頼を出す(荒らし)とか、意図的に偏向した投票行動を行う(例えばライバル会社の商品ばかり削除して、自社の商品を間接的に宣伝する目的=目的外利用)とか、そういう感じではない。
被依頼者の行動に問題があると考える点では、結局一緒のようにみえますけども、「削除依頼特化=目的外」が問題であるとするならば、問題を解決するには「削除依頼以外の編集を行う」になります。私の考えかたでは、「方針を正しく理解したうえでなら、今後も削除専門でも構わない」となります。
ただ、いちおう私は自分が記事を書く編集者のほうに分類できるつもりではいるので言いますが、よい削除者になるにはよい執筆・加筆者にならなければならない、というようなところはあると思います。上手に言えないですが、バッターをいっぱい経験しないといいピッチャーになれない(何をしたらバッターとしてイヤか自分の経験で理解する)、とか、前衛をやればスナイパーの立ち回りがわかるとか、なんかそんな感じで。「この俺様をもってしてもこれはちょっと加筆する方策が思い浮かばない」と豪語できるぐらいになると、削除依頼の場でもいい判断ができるのではないかと思います。
なので、「削除専門=目的外利用と一般化するのは反対!」みたいなことは一応言いますけども、それは極端に酷い少数のために極端な規則ができて多数が迷惑する、みたいなのが嫌なだけであって、被依頼者に肩入れして反論しようという意図ではありません。--柒月例祭会話2014年9月3日 (水) 12:04 (UTC)[返信]
  • コメント 本節のテーマにつき、表で私のコメントに関しても柒月例祭さんが言及されていますので、横からですが失礼します。
私としても「(実質)削除依頼のみ活動の利用者」≠「目的外利用者」と考えております。両者を直接結びつけることには飛躍があると考えます。それゆえ、表での議論の推移に危ういものを感じあのようなコメントをした次第です。
とはいえ、現状両者の間には到底無視することの出来ない強い正の相関関係が見受けられることも事実です。また、本依頼の被依頼者氏が行動を改善することなく同様の行動を継続したとしたならば、投稿ブロック依頼に繋がりかねないとも思います。そしてその場合、被依頼者に対し必要以上の弁護をしようとも考えていません。
いずれにせよそのあたりの判断は、被依頼者氏の今後の行動を見極めてからでよいと考えています。仮に同様の行為が再発したようであったならば、本コメント依頼へのリンクをつけて投稿ブロック依頼を出しても特に問題視されないでしょう。逆にその辺りが定かでない現時点でブロックを前提とした合意形成まで図るということは、悪しき前例となりかねない(本依頼の内容が他の事案において行き過ぎて援用される)危惧があります。被依頼者氏がこれまで何度もコメント依頼等を提出されているのであればともかく、今回が初回なわけですから。
以上、失礼しました。--WDS487会話2014年9月3日 (水) 14:25 (UTC)[返信]
  • コメント あのー・・・基本的には個別案件でなく、もっと広く議論を募るべきところじゃないかと。方針やガイドラインのノートとかで。一応そういう着地点と言いますか、今後の展開と言いますか、それを持って置いた方が、議論は有意義となります。その展開であればここでのお話も先行議論として有用となります。とにかく、ここでただちに結論を出す問題なのではないでしょう。えー・・・通常、ある利用者が「削除専門」だからとて(ブロック依頼専門でもコメント依頼専門でもなんでもよし)、それのみを理由に即座にコメント依頼・ブロック依頼には行かないことは明らかです。ただまあ、古くからの運用ではいわゆるところの「低質な管理行為の継続」が故の「コミュニティの疲弊」に該当するかどうかが問題となりまして。能力の是非です。品質の是非です。誠実な調査の有無です。これを理由にしたものはこれまでも多くありましたので、低質であり継続と認められればこれまでの対処が踏襲されるのが自然でしょう。--Hman会話2014年9月3日 (水) 16:02 (UTC)[返信]
ノートページと本文、Bellcricket氏が指摘する問題点を一通り見ましたが、Naitou1980さんは、「削除依頼にばかり入り浸っている」だけを問題視されているわけではないと思います。活動の多くを占める、管理活動のを問題視されている(「Naitou1980さんにはその理解の度合いについて疑わしい点が見受けられますし、あるいは方針、ガイドラインに依らない個人的な感情で判断されているのでは、とさえ思えてなりません。」、「ウィキペディアの方針に理解を示されない方が議論に加わることで、その合意形成自体に疑義が生じかねません。」)ように私は依頼文から読み取りました。
質の悪い編集(著作権侵害、独自研究、飛躍論理、出典合成、悪文)などは、しばしば批判・非難の対象となります。管理行為でも、それは変わらない、という、単純な話だと思います。
例えばWikipedia:削除依頼/寺田安裕香の一件について。Naitou1980さんは提示された出典は信頼できる情報源とは言えないとシンプルに断じていますが、Wikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源の利用や、一次資料、二次資料、三次資料の分類など、その情報源が信頼できるかどうかについては入念に吟味を要することが書かれています。信頼できる情報源とは言えないと断じるのは自由ですが、信頼できない情報源だというならWikipedia:信頼できる情報源のどの条項に違反しているのか、根拠を提示するべきです。
Wikipedia:削除依頼/寺田安裕香については、加筆者の方からWikipedia:独立記事作成の目安#一般的な目安Wikipedia:特筆性 (人物)#基本的な基準を満たしているという指摘があります。これをNaitou1980さんは削除票に付随して否定する見解を出しています。しかし、ただガイドラインを満たしていないから、提示された情報源も出典として不適切というだけで、それについてBellcricket氏から質問を受けた際にもWikipedia:説明責任を満たしたとは言えない返答を行っています。そういう、全体的な行動について、質が悪く、質問されても当を得ない返答をする、という、活動姿勢が問題視されているのではないでしょうか。--ShellSquid/履歴 2014年9月3日 (水) 18:19 (UTC)[返信]