ノート:植村隆
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この項目では存命人物を扱っているため、公式方針である存命人物の伝記を厳守する必要があります。訴訟になりそうな記述については、出典が明記されていなかったり、信頼性に乏しい情報源を出典としている場合、直ちに除去しなければなりません。{{要出典}}や{{要検証}}などのタグを貼るなどして記述の出典を求める行為は、このケースにおいては間違った対応です。そのような記述を残したままにしないでください。名誉毀損のおそれのある記述については特にこれが強く当てはまります。 |
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導入部・プロフィール部分の悪質な編集
[編集]現在IP:121.200.129.118(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois) 氏により、「来年度は辞めさせます」という文章が書きこまれています。[1]。存命中の人物に決意表明とも脅迫ともとれる悪質な記述。すでにWikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックに通報済み。--よしのぶ(会話) 2015年12月22日 (火) 07:34 (UTC)
産経新聞のインタビューに関連して
[編集]「植村の反応」の産経新聞のインタビューの箇所につきましてですが、以下の編集をいたしました。
変更前
産経新聞はかつて強制連行と報じており、歴史戦をやるならまず先輩記者とやるべきではないか。韓国では女子挺身隊や挺身隊が慰安婦の意味で用いられた時代が長く存在した[79]。「チョンシンデハルモニ(挺身隊のおばあさん)」について取材し、だまされて戦場に送られた話を書いたものであり、誰にだまされたかは聞いていない。当時は読売新聞も産経新聞も挺身隊の語を使っており、時代状況を踏まえて歴史戦をやって欲しい[80][81]。利害関係者の有利となる記事を書いたつもりはない[81]。金学順に会ったのは、弁護士聞き取りの同席の時だけであり、その証言を記事にしようと思った[82]。意に反して慰安婦にされたということが一貫しており、この証言に記事として存在意義を感じている。吉田証言については1997年に「済州島の人たちからも、氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」とメモ上げをしている。第三者委員会の報告書から植村に対して義母の便宜供与はなく、捏造記者でないことが分かる[83]。朝日新聞の侵略戦争に対する反省そして植民地支配に対する反省と謝罪の気持ちが社の一つのジャーナリズムの柱だったと思う。朝日新聞のおかげで日本が貶められた具体的な証拠があったら教えてほしい[84]。北星学園大学には娘を殺すという脅迫状が来た。植村が捏造記者ということを言うと名誉棄損になる、激しい攻撃が北星学園大学にあり、警備費用が何千万円もかかっているという状況をとめるために訴訟を起した[85][86]。「最初は挺身隊と慰安婦の混用・誤用の問題で、それは当時の彼国における用法と他紙の報道にならったもので、特別に批判に値しないものを、いつの間にか、悪意の捏造の話に変更され、それが攻撃の根拠にされた。しかし、重要な点は、その悪意が何ら実証されていないことである。だから、不法行為である。しかも、その架空の事実を根拠として、当人の就職先や未成年の子供にまで攻撃が向けられた。これは犯罪である。これは、冷戦時代のイデオロギー論争と同質で、相手を敵と認定したら、嘘をついてでも罵倒する手法である」(名誉毀損の裁判の司法記者クラブでの声明の読み上げ)[87]。
変更後
2015年7月30日、植村は産経新聞のインタビューで自身に対する批判に対する反論を行った。アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟の原告団との関わりについては、植村の妻は原告団の幹部である梁順任ではなく、その娘であると述べて関与を否定し、情報源は懇意にしてる高木健一弁護士や韓国挺身隊問題対策協議会の尹貞玉代表から得たと述べている。また、慰安婦と挺身隊を混同したことについては、新聞各社のソウル特派員たちは慰安婦と挺身隊の混同を避けていたが、当時の大勢としては慰安婦と挺身隊は混同されていたとし、自身が特別な意図を持って混同させたわけではないと主張している。「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」の誤報についても、当時は強制連行という言葉が広く流布していたことを強調し 、さらに、自分は「強制」という言葉は使っていないとして、読者が強制連行と誤解することにまで責任を負えないと弁解している。
- 全般的に、どの批判に対する反論であるのか分かりづらい記載でしたので、「…の批判に対して…と反論している」の記載にしております。
- 「歴史戦をやるならまず先輩記者とやるべきではないか…」は、植村の報道に対する批判に対する反論ではなく、産経新聞の「歴史戦」に対する植村による批判になるため、この記事からは外しました。
- 「朝日新聞の侵略戦争に対する反省そして植民地支配に対する反省と謝罪の気持ちが…」も、植村の報道に対する批判に対する反論ではなく、朝日新聞の報道姿勢に対する植村の養護になるため、この記事からは外しました。
- 「北星学園大学には娘を殺すという脅迫状が来た…」は、植村の報道に対する批判に対する反論ではないので、この記述から外しました。
- 「最初は挺身隊と慰安婦の混用・誤用の問題で…」は、産経新聞で行われた反論なのか、名誉毀損の裁判の司法記者クラブでの声明の読み上げなのかが不明なので、記述から外しました。
編集内容の推敲につきましては、Zakincoさんに協力いただきました[2]が、ほかにも編集の必要があるようでしたら、ご指摘ください。--青鬼よし(会話) 2016年8月27日 (土) 17:15 (UTC)
- 《当時は読売新聞も産経新聞も挺身隊の語を使っており、》がどうして《慰安婦と挺身隊を混同したことについては、新聞各社のソウル特派員たちは慰安婦と挺身隊の混同を避けていたが、当時の大勢としては慰安婦と挺身隊は混同されていたとし、自身が特別な意図を持って混同させたわけではないと主張している。》というぼかした表現になってしまうのでしょうか。この点について承服いたしかねます。--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2016年8月27日 (土) 22:38 (UTC)--また、「まあ、当時だから、僕、思い出すと、当時、ほとんど挺身隊という言葉を使った。つまり、その時に、まさか阿比留さんに、二十何年後に攻撃されると思っていないから、普通にその慰安婦の意味で挺身隊という、僕は『チョンシンデハルモニ』とかいう言葉を使っていて、それが普通だったんだ。ソウルの一般記者であろうと、まあ、一般記者は分からないかもなんだけど、韓国語が分かる記者たちは。そういう時代だったんだよね」([3])とも述べられていますが、《新聞各社のソウル特派員たちは慰安婦と挺身隊の混同を避けていたが、》とはどこから出てきた文言なのでしょうか?--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2016年8月27日 (土) 22:53 (UTC)
- そもそもここは植村隆の項です。植村の主張に対して、《産経新聞の「歴史戦」に対する植村による批判になるため》《朝日新聞の報道姿勢に対する植村の擁護になるため》《植村の報道に対する批判に対する反論ではないので》《産経新聞で行われた反論なのか、名誉毀損の裁判の司法記者クラブでの声明の読み上げなのかが不明なので》といった「理由」が、この項目から記述を外す正当な理由になるとも考えられません。--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2016年8月27日 (土) 23:49 (UTC)
- ジャコウネズミさん。該当のセクションは『植村の主張』ではなく『植村の記事に対する植村による反論』です。また、『ぼかした表現』という指摘につきましては、第三者が見た場合の読み易さを念頭に置いております。より読み易い記述がありましたら、ご教示いただければ幸いです。また、「新聞各社のソウル特派員たちは慰安婦と挺身隊の混同を避けていたが」につきましては、「ただね、朝日新聞の中でも波佐場さんのですね、挺身隊と慰安婦…(注:朝日新聞の波佐場清ソウル特派員は平成4年1月16日付朝日新聞朝刊のコラムで、「慰安婦」と「挺身隊」が混同されていると指摘していた)」「例えば毎日新聞の元ソウル支局長の下川正晴さんとかが、一生懸命に挺身隊と慰安婦との混同を間違っていると言おうとしていたと」などを参照しております。--青鬼よし(会話) 2016年8月28日 (日) 22:08 (UTC)
- 青鬼よしさん。ご返答ありがとうございます。
- ジャコウネズミさん。該当のセクションは『植村の主張』ではなく『植村の記事に対する植村による反論』です。また、『ぼかした表現』という指摘につきましては、第三者が見た場合の読み易さを念頭に置いております。より読み易い記述がありましたら、ご教示いただければ幸いです。また、「新聞各社のソウル特派員たちは慰安婦と挺身隊の混同を避けていたが」につきましては、「ただね、朝日新聞の中でも波佐場さんのですね、挺身隊と慰安婦…(注:朝日新聞の波佐場清ソウル特派員は平成4年1月16日付朝日新聞朝刊のコラムで、「慰安婦」と「挺身隊」が混同されていると指摘していた)」「例えば毎日新聞の元ソウル支局長の下川正晴さんとかが、一生懸命に挺身隊と慰安婦との混同を間違っていると言おうとしていたと」などを参照しております。--青鬼よし(会話) 2016年8月28日 (日) 22:08 (UTC)
- そもそもここは植村隆の項です。植村の主張に対して、《産経新聞の「歴史戦」に対する植村による批判になるため》《朝日新聞の報道姿勢に対する植村の擁護になるため》《植村の報道に対する批判に対する反論ではないので》《産経新聞で行われた反論なのか、名誉毀損の裁判の司法記者クラブでの声明の読み上げなのかが不明なので》といった「理由」が、この項目から記述を外す正当な理由になるとも考えられません。--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2016年8月27日 (土) 23:49 (UTC)
- 《該当のセクションは『植村の主張』ではなく『植村の記事に対する植村による反論』です。》について。(当該節に産経インタビューから要約を書き起したのは私ですが、)『植村の記事に対する植村による反論』に留まらない『植村の主張』があり、本項編集者としてそこに問題意識をもっていらっしゃるならば、『植村の記事に対する植村による反論』の範疇を超える記述を除外するより、『植村の主張』を独立した節(または章)として立てるのが解決策としてより賢明だと考えます。植村隆#植村の反応節を見るに、《質問に答えることなく逃げた(週刊文春)》や(英文記事の要約として妥当かは別として)《韓国人の李容洙と合同で行ったロサンゼルスの講演では日本の歴史修正主義者と戦うことを宣言した(Asia-Pacific Journal)》といった記述もあり、節「植村の反応」は、章「問題とされた「従軍慰安婦」記事」の中に押し込むのではなく、独立した章として扱うのが妥当と考えます。その中で、産経インタビューの『植村の主張』について、『植村の記事に対する植村による反論』の範疇を超えるものも含めて記述する、というのは如何でしょうか。
- 《より読み易い記述がありましたら、ご教示いただければ幸いです。》について。青鬼よしさんが《「…の批判に対して…と反論している」の記載》するというスタイルを提示してくださったことについては、私も読解の助けになるものと捉えております。ただし、「(アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟の原告団との関わりについては、)植村の妻は~~」のように括弧で括るなどして、論題の提示と植村の主張とを明確に区分できるようにしたほうがよいと考えます。従前の版の記述(私の要約)が読みづらかったことも手を入れていただいた原因なのでしょうから、私が「教示する」というより、本ノートで智慧を出し合って文章を練りたい考えです。
- 《新聞各社のソウル特派員たちは慰安婦と挺身隊の混同を避けていたが》について。ご返答にある事例が根拠だとするなら、Wikipedia:大言壮語をしないに抵触すると見解します。《(当時から各社ソウル特派員らにより慰安婦と挺身隊の混同を避けるよう指摘があったことについては、)》程度にとどめておくのが賢明と考えます。
- 対案の案文を練ろうとも考えていたところでしたが、章『植村の主張』として書くのか、『植村の記事に対する植村による反論』に留めて書くのかで、大きく変わってくるので、まず、1.を中心にお考えを述べていただければ幸いです。--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2016年8月29日 (月) 09:41 (UTC)
- ジャコウネズミさん。こんにちは。該当箇所につきましては、『植村氏には、どのような批判があり』『植村氏は、どのように反論しているか』という立場で記載をしております。『植村の反論』と『植村の主張』を別のセクションにするという提案には賛成です。読者に誤解を与えないように、簡潔な文章を練りあげていければと思いますので、よろしくお願いします。(まずは取り急ぎの回答にて失礼いたします。)--青鬼よし(会話) 2016年8月31日 (水) 16:08 (UTC)
対案
2015年7月30日、植村は産経新聞のインタビューで自身に対する批判に対する反論を行った[1]。(「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」については、)当時は強制連行という言葉が広く流布していたことを強調し 、さらに、自分は「強制」という言葉は使っていないと述べた[2]。(当時から各社ソウル特派員らにより慰安婦と挺身隊の混同を避けるよう指摘があったことについては、)当時は読売新聞や産経新聞も挺身隊の語を使っており、韓国語が分かる記者たちの間では慰安婦の意味で挺身隊の語を使うことが一般的だったと述べた[3]。(アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟の原告団との関わりについては、)植村の妻は原告団の幹部である梁順任ではなく、その娘であると述べて関与を否定し、情報源は懇意にしてる高木健一弁護士や韓国挺身隊問題対策協議会の尹貞玉代表から得たと述べた[4]。
- メモ読み上げ[5]については、産経インタビューにおける植村の主張を総括する部分として、『主張』章に書くこととしたい。
脚注
- ^ “【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(1)】「阿比留さんだからと逃げることはない」”. 産経ニュース. (2015年8月29日)
- ^ “【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(2)】「『強制連行』僕は使っていない」”. 産経ニュース. (2015年8月30日)
- ^ “【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(3)】「時代状況を分かってほしいんだ、阿比留さん!」”. 産経ニュース. (2015年8月31日)
- ^ “【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(4)】「嫁さんとの結婚前から慰安婦取材していた」”. 産経ニュース. (2015年9月1日)
- ^ “【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(10)止】「『歴史戦』やるなら被害者の証言も聞いてほしい」”. 産経ニュース. (2015年9月7日)
--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2016年9月1日 (木) 06:08 (UTC)
- ジャコウネズミさん。こんばんは。対案につきまして提示をいただきまして感謝します。内容につきましても、批判と回答が対になっており、合意できる内容になります。
- 植村の反論と主張を別の記載にしていただいたことにつきましても、合意できる提案になります。ありがとうございました。--青鬼よし(会話) 2016年9月3日 (土) 17:36 (UTC)
青鬼よし様。Wikipedia:存命人物の伝記において、Wikipedia:検証可能性を満たさない、出典なき記述が除去の対象となるのは当然のことです。さらに出典を示せないならば、Wikipedia:独自研究は載せないに抵触すると捉えられても当然でしょう。出典なく争点を創出するのは厳に慎んでください。これは記述内容に対する論争ではなく、あくまで出典を要求する抗議です。(差分1、差分2)--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2016年9月10日 (土) 17:26 (UTC)
- こんにちは。ジャコウネズミさん。お手数ですが、植村隆の記事の全文を読んでいただければ幸いです。
- まず、投稿記録さんが書かれた反論の部分『(アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟の原告団との関わりについては)』について、反論の対象となる批判について記載がございませんでしたので、(同じく、主文がなかった「挺身隊と女子勤労挺身隊の混合」の記事と併せて)追記をいたしました。
- 出典につきましては【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(4)】や西岡教授らの著書などがございますが、反論に対する主文ということになりますので略させていただきました。青鬼よしは、出典を重視はしておりますが、全ての文章に対して『出典なき記述が除去の対象となるのは当然のことです』という立場ではございません。また、『出典がある記述は、どのようなことでも除去の対象としてはならないのは当然のことです』という立場でもございません。まずは、ご返答まで。--青鬼よし(会話) 2016年9月11日 (日) 03:53 (UTC)
- こんにちは。青鬼よし様。ご提示いただきました《【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(4)】や西岡教授らの著書(ページ数まで)》を出典明記の上記述してください。--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2016年9月11日 (日) 06:59 (UTC)
- こんにちは。出典を記載しなかった理由は、出典を提示しなくても容易に検証ができる内容であることもあります。(たとえば、こちらになります。[4]) 現在、この記事に掲載されている出典には、ページ数まで記載されていないものも少なくありませんが、ジャコウネズミさんは、これらも全て「出典なき記述が除去の対象」として削除されるのでしょうか。--青鬼よし(会話) 2016年9月11日 (日) 12:23 (UTC)
- こんばんは。Wikipedia:存命人物の伝記においては、Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:中立的な観点、Wikipedia:独自研究は載せないをウィキペディア編集者全員が厳守することが求められており、『Wikipedia:存命人物の伝記#出典無き批判は除去』はすべての日本語版ウィキペディア編集者に適用される方針です。Wikipedia:存命人物の伝記において、出典を明示していないネガティヴな記述を除去しないのは不作為かつ怠慢であり、差し戻しても3RRの対象にもなっておりません。公式の方針をお守りください。--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2016年9月11日 (日) 16:14 (UTC)
- ジャコウネズミさん。こんばんは。論点が大きく外れてきているので、以下に軌道修正をさせてください。
- こんばんは。Wikipedia:存命人物の伝記においては、Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:中立的な観点、Wikipedia:独自研究は載せないをウィキペディア編集者全員が厳守することが求められており、『Wikipedia:存命人物の伝記#出典無き批判は除去』はすべての日本語版ウィキペディア編集者に適用される方針です。Wikipedia:存命人物の伝記において、出典を明示していないネガティヴな記述を除去しないのは不作為かつ怠慢であり、差し戻しても3RRの対象にもなっておりません。公式の方針をお守りください。--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2016年9月11日 (日) 16:14 (UTC)
- こんにちは。出典を記載しなかった理由は、出典を提示しなくても容易に検証ができる内容であることもあります。(たとえば、こちらになります。[4]) 現在、この記事に掲載されている出典には、ページ数まで記載されていないものも少なくありませんが、ジャコウネズミさんは、これらも全て「出典なき記述が除去の対象」として削除されるのでしょうか。--青鬼よし(会話) 2016年9月11日 (日) 12:23 (UTC)
- こんにちは。青鬼よし様。ご提示いただきました《【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(4)】や西岡教授らの著書(ページ数まで)》を出典明記の上記述してください。--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2016年9月11日 (日) 06:59 (UTC)
(インデント戻します) ジャコウネズミさんは、2016年9月10日 (土) 16:59 に「植村は産経新聞のインタビューで自身に対する批判に対する反論を行った」として、以下の反論を記述されました。[5]
- (「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」については、)当時は強制連行という言葉が広く流布していたことを強調し 、さらに、自分は「強制」という言葉は使っていないと述べた
- (当時から各社ソウル特派員らにより慰安婦と挺身隊の混同を避けるよう指摘があったことについては、)当時は読売新聞や産経新聞も挺身隊の語を使っており、韓国語が分かる記者たちの間では慰安婦の意味で挺身隊の語を使うことが一般的だったと述べた
- (アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟の原告団との関わりについては、)植村の妻は原告団の幹部である梁順任ではなく、その娘であると述べて関与を否定し、情報源は懇意にしてる高木健一弁護士や韓国挺身隊問題対策協議会の尹貞玉代表から得たと述べた。
青鬼よしは『批判に対する反論を掲載するためには、どのような批判が行われているかを記載する必要がある。』という観点から、『問題が指摘されている箇所』の項目を追加し、「太平洋戦争犠牲者遺族会への便宜供与」の説明を書き起こし、「挺身隊と女子勤労挺身隊の混合」を既存の記述から再編しました。[6]
しかしながら、ジャコウネズミさんは「出典なき記述を編集除去」という理由で、「太平洋戦争犠牲者遺族会への便宜供与」の説明箇所を、要出典という対応でも、ジャコウネズミさんが書き直すという対応でもなく、記載内容そのものを全て削除という対応をされました。
そのため、ジャコウネズミさんの編集方針が『Wikipdeiaは植村の主張と反論のみを掲載し、植村に対する批判の内容は書くべきではない』というものではないかと感じており、確認をさせていただいております。
青鬼よしはジャコウネズミさんの記述を補完するために書いたつもりですが、ジャコウネズミさんの編集方針に反した結果となっているようでしたら、お互いにとって良い編集活動になりませんので、まずは、認識を合わせることから始められればと思います。
つきましては、ジャコウネズミさんが記載された「植村は産経新聞のインタビューで自身に対する批判に対する反論を行った」に対して、どのような批判が行われているかを説明する記述が必要であるか、ないかについて、お考えを聞かせていただきますでしょうか。--青鬼よし(会話) 2016年9月16日 (金) 17:27 (UTC)
- 返信 (青鬼よし様。宛) 出典から明らかに言えることであれば書いて差し支えないし、そうでないなら書くべきでない、それだけです。【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(4)】には、《阿比留「さて、それでですね、関連してまず、これは西岡(力・東京基督教大教授)さんが言っていて、それを否定されているし、朝日の第三者委員会も関係ないとした最初の(平成3年8月11日の)金学順さんの記事を書くにあたって、何らかの関係者からの便宜があったんじゃないかということは否定されました。私も、前後関係からいってそうだろうと思います」》と書かれており、阿比留記者が植村に対して明確な嫌疑をかけているのではないことが読み取れます。「朝日の第三者委員会も関係ない」としている。従って、本件について「論点」として書くべきか否かは青鬼よしさんが出典として用意される《西岡教授らの著書など》から「植村隆に対する本件嫌疑」が如何に明確になっているかに尽きる、と申し上げます。--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2016年9月18日 (日) 03:48 (UTC)
- ジャコウネズミさん。こんにちは。話がかみ合っていないので、もう少しシンプルに書きますね。
- 「『XXX』という記事に『批判ZZZに対する反論』という記載を書いた場合、『批判ZZZ』の記載がなければ、読者は混乱しませんか。」が会話の本論になります。出典に関する話は、その次の段階になります。
- ジャコウネズミさんから『(読者は)混乱しません。だから、批判ZZZの記載は必要ありません。』という回答でしたら、この会話は終了になるかと思いますので、明確な回答をお願います。
- (個人的に『洗練された文章は批判と反論が対であるべき』と感じているため追記をさせていただきましたが、ジャコウネズミさんを不快にさせているようでしたら申し訳ございません。)--青鬼よし(会話) 2016年9月18日 (日) 10:25 (UTC)
- 《「『XXX』という記事に『批判ZZZに対する反論』という記載を書いた場合、『批判ZZZ』の記載がなければ、読者は混乱しませんか。」》へのお答えは《混乱するかもしれないが、優先課題として気にするほどのことではないと思う。》です。次に、『洗練された文章は批判と反論が対であるべき』というお考えにも一理あると思いますが、『あるべき』が先行して出典なしに書いてよいものではなく、出典から確かに言えることだけを書きましょう、ということです。--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2016年9月18日 (日) 11:54 (UTC)
- ジャコウネズミさん。ご回答ありがとうございました。『読者にとって読み易い記事を作る』は編集者によって観点が異なりますので、ジャコウネズミさんの編集方針を尊重したいと思います。最後になりますが、本件は、ジャコウネズミさんが書かれた記載についての論議であり、青鬼よしの記載はジャコウネズミさんの記載を補完するために書かれました。青鬼よしが主体的に書いておきたいと思ったわけではございません。また、繰り返しになりますが、出典の提示は容易ではございましたが、ジャコウネズミさんの対応が、この記載に対してピンポイントで「要出典」ではなく「全文削除」という対応でしたので提示を控えさせてもらいました。青鬼よしについて、色々と誤解されていることがあるかもしれませんが、これ以降は植村隆の記事とは関係ない話になりますので、ご容赦ください。--青鬼よし(会話) 2016年9月19日 (月) 07:18 (UTC)
- 青鬼よし様。話が再度ずれてしまったようなので。私が{{要出典}}タグ貼付でなく、編集除去としたのは、ひとえにWikipedia:存命人物の伝記#出典無き批判は除去に従ったまでのことで、出典つきで記述されることには賛成です。《出典の提示は容易ではございましたが》ということであれば、むしろお書きになってください。
- (補足)私が《優先課題として気にするほどのことではないと思う。》と消極的態度を示したのは、青鬼よし様が「ここは植村の反論を書くところ」といった記事の枠組みを嵌めたために、後に「主張」節を設けて書くこととなった植村の主張が一時編集除去されてしまった経緯があり、「記事の枠組み」については柔軟に捉えていただきたいという思いがあるためです。--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2016年9月20日 (火) 22:30 (UTC)--(追記)--尤も太平洋戦争犠牲者遺族会への便宜供与という論点が、もし西岡力一人に帰着してしまうものであれば、節「西岡力による批判」の中で述べればよいことだと考えます。--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2016年9月21日 (水) 03:19 (UTC)
- 青鬼よし様。話が再度ずれてしまったようなので。私が{{要出典}}タグ貼付でなく、編集除去としたのは、ひとえにWikipedia:存命人物の伝記#出典無き批判は除去に従ったまでのことで、出典つきで記述されることには賛成です。《出典の提示は容易ではございましたが》ということであれば、むしろお書きになってください。
- ジャコウネズミさん。ご回答ありがとうございました。『読者にとって読み易い記事を作る』は編集者によって観点が異なりますので、ジャコウネズミさんの編集方針を尊重したいと思います。最後になりますが、本件は、ジャコウネズミさんが書かれた記載についての論議であり、青鬼よしの記載はジャコウネズミさんの記載を補完するために書かれました。青鬼よしが主体的に書いておきたいと思ったわけではございません。また、繰り返しになりますが、出典の提示は容易ではございましたが、ジャコウネズミさんの対応が、この記載に対してピンポイントで「要出典」ではなく「全文削除」という対応でしたので提示を控えさせてもらいました。青鬼よしについて、色々と誤解されていることがあるかもしれませんが、これ以降は植村隆の記事とは関係ない話になりますので、ご容赦ください。--青鬼よし(会話) 2016年9月19日 (月) 07:18 (UTC)
- 《「『XXX』という記事に『批判ZZZに対する反論』という記載を書いた場合、『批判ZZZ』の記載がなければ、読者は混乱しませんか。」》へのお答えは《混乱するかもしれないが、優先課題として気にするほどのことではないと思う。》です。次に、『洗練された文章は批判と反論が対であるべき』というお考えにも一理あると思いますが、『あるべき』が先行して出典なしに書いてよいものではなく、出典から確かに言えることだけを書きましょう、ということです。--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2016年9月18日 (日) 11:54 (UTC)
ジャコウネズミさん。こんにちは。『植村への批判に対する反論』の文責はジャコウネズミさんであり、反論の前提条件である『植村に対する批判』を記載しないのもジャコウネズミさんの文責となります。青鬼よしの記載は「ジャコウネズミさんが『植村の批判に対する反論』を記載されたのは、前提条件である『植村への批判』を理解した上で書かれている」と忖度して善意で行った補記であり、本来は青鬼よしが記載するものではございません。青鬼よしとしては、自分が書いた文章ではございませんので、該当の箇所にこだわりはございません。そのため、会話は終了で宜しいかと思います。--青鬼よし(会話) 2016年10月1日 (土) 12:12 (UTC)
リンク先をまとめただけ?
[編集]前田淳さんは無期限ブロックされました |
この編集ですが[7]、「リンク先をまとめただけ」と説明がありましたが、こちらの記事に載せるなら出典をきちんとつけてください。名誉棄損云々以前の問題です。--Zakinco(会話) 2018年8月1日 (水) 22:54 (UTC)
- 出展を明記しろと言われるのであればリンク先から代表的なものを拾ってきますが、「そういう流言があった」という記述が誰に対する名誉毀損に該当するんですか?前田淳(会話) 2018年8月2日 (木) 00:49 (UTC)
- とりあえず出展を加えておきました。前田淳(会話) 2018年8月3日 (金) 00:35 (UTC)
- 記述に必要な出典はすべて載せてください。Wikipedia:出典を明記するをお読みください。出典がなければ除去されます。--Zakinco(会話) 2018年8月3日 (金) 09:08 (UTC)
- 載せておきました。ご確認お願いします。前田淳(会話) 2018年8月3日 (金) 10:36 (UTC)
- 記述に必要な出典はすべて載せてください。Wikipedia:出典を明記するをお読みください。出典がなければ除去されます。--Zakinco(会話) 2018年8月3日 (金) 09:08 (UTC)