ノート:大般若波羅蜜多経
見出し語、大般若波羅蜜多経が正しいため、新項目をつくり全文移動しました。
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どの記事から移動したのでしょうか?一旦、この記事を削除した上で、改めてログインした後に可能となる「このページを移動」の機能で移動してください。ログイン名を持たないならば私がやりますが。らりた 2004年8月20日 (金) 16:17 (UTC)- こちらが移動元でしたね。失礼。らりた 2004年8月20日 (金) 16:23 (UTC)
五時八教の教相判釈をたてた天台智顗は西暦597年に没していますが、大般若波羅蜜多経の訳者玄奘は602年生まれなので、「五時八経における大般若波羅蜜多経」の記述は明らかに誤謬です。先に書いてあったからといって削除されないということは保障されません。故にここに全文移します。 天台説を記載するなら、誤りを正してから戻してください。それと、この記事をどうしても記載するなら、教判は五時八教だけでないので、他宗派のものもすべて記載するのが公正だと思います。
五時八経における大般若波羅蜜多経
[編集]天台宗教学においては、現存する教典を総て釈迦が説いたものとして時系列・種別的に整理し、これを五時八経と呼ぶ。この考え方においては、大般若波羅蜜多経は前506年頃から前488年頃(一説には前406年頃から前388年頃。年齢的には釈迦が55歳から78歳ころまでの間と言われる)にかけて、20数年の歳月を掛けて説いた空 (仏教)の行を集大成した教典であると伝承されている。なお考古学の面からは釈迦の直接教義は阿含経等の初期教典に一部が残るのみで、残る大多数の教典は弟子や継承者による釈迦の教説の研究発展の結果、後世に出現した教典であると解釈されており、釈迦の直説による五時八経の解釈はあり得ないものという判断がなされている。
こうしてみたらどうですか?
五時八経においても般若時に般若教典が説かれているものの、これは玄奘訳のものではなく、それ以前407~410年ころに鳩摩羅什によって発表された摩訶般若波羅蜜経である。この教説によると般若波羅蜜多経は前506年頃から前488年頃(一説には前406年頃から前388年頃。年齢的には釈迦が55歳から78歳ころまでの間と言われる)にかけて、20数年の歳月を掛けて説いた空 (仏教)の行を集大成した教典であると伝承されている。なお考古学の面からは釈迦の直接教義は阿含経等の初期教典に一部が残るのみで、残る大多数の教典は弟子や継承者による釈迦の教説の研究発展の結果、後世に出現した教典であると解釈されており、釈迦の直説による五時八経の解釈はあり得ないものという判断がなされている。
それに何が何でも「いついつ生まれたからこれは違う」とか「五時八経だけじゃないから全部書け」とかぶった斬ってしまうのではなく、その記事を正しい記事に変えていくのも一つの手かと。自分の説にそぐわないからと言って何でもかんでも消していたら、せっかく大勢の意見の集大成で作っていくウィキペディアの特性が失われてしまいますから、是非記事を発展される意味からも、ご自身で修学された事項を記事に活かしていかれるのが良いかと存じます(大変僭越です)。あと、前記事を基本的に尊重していくのはここでは皆さんごく当たり前にやっておられるようです(他の色々な頁をご覧下さい)。まあ、別にそれがルールで決まっている訳ではないのでどうしても「違うんだ!」というなら仕方ないのかも知れませんが・・・大変恐縮な意見ばかりで申し訳ありませんでした。makotozushi2004年8月27日(金)7:12(UTC)
レス恐れ入ります。makotozushiさんのおっしゃるとおりです。そこで提案です。
『教相判釈』は、そもそも膨大な無整理の経典群を分析して、釈尊の正統な教説を見出そうとしたもので、中国仏教発展の上で非常に重要なものです。特に般若経典にのみ関することではないので、経典の項に新たに章を立てたらいかがでしょうか。ここは玄奘の『大般若波羅蜜多経』の項目で、この経自体玄奘による般若経典群の教相判釈と考えられますが、天台智顗の記事はそぐわないと思います。
私は前記事を尊重しないという気持ちはありませんが、百科事典ですから誤謬とか特定の宗旨や思想のスタンスは避けるべきだと思います。これはWikiの「中立的な観点についての方針声明(新版 拡張版)」にあるとおりです・・・authority 2004年8月27日(金)11:51
authorityさんへ ”何らかの意図があった可能性がある”
[編集]本文”大般若波羅蜜多経には般若心経そのものは含まれていない。これに関しても玄奘の何らかの意図があった可能性がある。”と有りますが。
”これに関しても玄奘の何らかの意図があった可能性がある。” authorityさんへ ”意図があった可能性” 千数百年も前の玄奘の”何らかの”、”意図”の あった”、 ”可能性” 推測ですか? それとも千数百年も前の玄奘の意図(記録にない)が解る 力がauthorityさんはお持ちですか? ”何らかの意図があった可能性がある”などは何にでもかける。有力な証左を添えなければ 全く意味がない。百科事典ですから小説ではない。最低の意図(の内容と)そのの傍証ぐらいは 書くべきですよ。それがなければ”何らかの意図があった可能性がある”などは不要ですよ。 ”何らかの意図があった可能性がある”などは百科事典としては何も事項の解説をしていない 上に読者に無用の予断(何らかの意図があったと)を抱かす恐れがあります。
「何らかの意図があった可能性がある」 削除しました。 (反論もないし上記↑の理由により)