ノート:アンナ・カタリナ・エンメリック
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青年期
[編集]>エンメリックは修道院に入ることを願い、当時条件とされていた持参金を支払うために、裁縫の仕事や使用人などをして得た収入を蓄えた。
>家族を養うためにその貯金を使わなければならないこともあり、十分に貯金を蓄えるために数年かかった。
エンメリックの伝記「 The Life And Revelations Of Anne Catherine Emmerich 」を読む限り、エンメリックは、使用人によって収入を得たことが確認できません。使用人としては、ソエントゲン一家では無報酬です。 また、エンメリックは自身の家族に対しては、お金を入れている形跡が見られません。逆に母親から支援を受けています。 修道院に入る直前と、シスターとして正式に誓願をするまでの間、エンメリックは父親と金銭的には、絶縁状態が続き、修道院に入る前とシスターの見習い時期に父親や兄弟へ資金援助を数度頼んだことはありますが、修道院に渡すものは一切ない、と父親に断られています。
この部分の書き換えを提議いたしますが、いかがでしょうか。 --Ann Clara(会話) 2013年6月26日 (水) 03:00 (UTC)
上記について:11月4日、ご意見がないため、エンメリックの伝記「 The Life And Revelations Of Anne Catherine Emmerich 」に基づき訂正させて頂きました。
- ノートの節の変更。--遡雨祈胡(会話) 2017年4月21日 (金) 06:58 (UTC)
聖痕について
[編集]エンメリックが聖痕を受けた時期について、当初の記述では1813年となっていましたが、これはエンメリックが胸に十字の形の聖痕を受けた時期であり、聖痕を最初に受けたのは、修道院にはいる4年前で修道院ではすでに聖痕の痛みを伴いながら修道院の使徒職を続けていたことが、エンメリックの伝記サイトに書かれています。このあたりは書き直しをさせて頂きました。
http://www.jesus-passion.com/ANNE_CATHERINE_EMMERICH.htm#
なお、「聖痕」の項は、当初の内容に似たようなエピソードを繋げて記述してきましたが、エンメリックが聖痕を受けたのは修道院に入る前の時期と出た後の寝たきりの時期の2回であるため、この表題は内容的に合わなくなっております。
提案として、「聖痕」の項を完全にリライトしてよろしいか、提議したいと思いますがいかがでしょうか。 --Ann Clara(会話) 2013年6月26日 (水) 03:00 (UTC) 上記について:11月4日、ご意見がないため、エンメリックの伝記「 The Life And Revelations Of Anne Catherine Emmerich 」に基づき、完全リライトではありませんが、訂正させて頂きました。
- ノートの節の変更。--遡雨祈胡(会話) 2017年4月21日 (金) 06:58 (UTC)
生家の画像写真について
[編集]アンナ・カタリナ・エンメリックの生家についてですが、本記事にはその画像写真として、Emmerickhaus.jpgがwikimedia.commonsより表示されています。この画像は、生家の一部分のみしか表示していません。 最近のwikimedia.commonsには生家の全体画像が映っているものがありましたので、差し替えを提議したいと思いますが、いかがでしょうか。 --Ann Clara(会話) 2013年6月26日 (水) 03:00 (UTC)
ご意見、異論等がありませんので、差し替えました。
--Ann Clara(会話) 2014年1月10日 (金) 08:07 (UTC)
- ノートの節の変更。--遡雨祈胡(会話) 2017年4月21日 (金) 06:58 (UTC)