NSU・Ro80

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Ro 80(後期型)
Ro 80(前期型)
ロータリーエンジン発明50周年記念切手のRo 80
Ro 80, IAA-Modell,
アルトルスハイム() オートビジョン自動車博物館

Ro 80(ローエイティ、アールオーはちじゅう)は、1967年から1977年までドイツ・NSU製造販売していた中型自動車

概要[編集]

世界初のロータリーエンジンを搭載した4ドアセダンであり、エンジンの2ローター方式も1963年以来プロトタイプが改良され続け、ようやく1967年に発売された。NSUのロータリーエンジン搭載車としては1ローター方式のヴァンケルスパイダーに次ぐ第二作である。

既存車パーツを使った急造車で多分に実績作りの目的が強かったヴァンケルスパイダーと異なり、Ro80は車全体が新規設計の、アッパーミドルクラスの乗用車として開発された。ロータリーエンジンの軽量・コンパクトさを活かすため、エンジンをフロント側にオーバーハングさせた前輪駆動方式を採用。2ローターエンジンはヴァンケルロータリーの基本設計であった高速向けのペリフェラルポート式吸排気として、497.5cc×2で85kW(115PS)/5,500rpmの性能を発生、剛性重視のやや大柄なボディのため車重は1.3t近くに及ぶが、180km/hの最高速度を公称した。トルク不足傾向を補うため、トルクコンバータを組み込んだ3速式のセミオートマチックトランスミッションを採用している。

エンジンのみならず、その他の面でも先進的であった。全長4,780mmに対し、ホイールベースを2,860mm確保した高速巡航向けなシャーシに、Cd値0.355と空力特性に優れる未来的なスタイリングのボディが組み合わせられた。当時のNSUチーフデザイナーで後にBMWに転じたクラウス・ルーテ(Claus Luthe)が手掛けたこのデザインは、剛性・安全性確保とパッケージングの面でも優秀な設計であった。他にも4輪ディスクブレーキ仕様でフロントにインボード式を導入するなど、時代に先んずる高度な内容を備えた高速型サルーンであり、1968年にはヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを獲得するほど、デビュー当初は高い評価を受けた。特にそのスタイルは1980年代のアウディ・100に強い影響を与えており、今日のアウディ各車種の思想的源流にもなっている。

ところが、同時期にやはりロータリーエンジン車市販化に成功し、その後順調に生産を拡大したマツダとは対照的に、元祖NSU製のロータリーエンジンにはオイルシール不良によるエンジン交換などのトラブルが続出し、NSUはクレーム対応に追われた。同社の経営は傾き、遂に1969年にはフォルクスワーゲンの傘下に入り、アウディと経営統合されることになったので、結果としてRo80は最後のNSU車となってしまった。

アウディ(アウトウニオン)との経営統合後もRo80の生産は続行された。1970年代に入るとエンジンの問題は克服されたが、一度傷付いたイメージは回復せず、1973年のオイルショックにより販売はますます低迷し、1977年4月に生産中止となる10年間に3万7,204台が製造されたに過ぎない。

ヨーロッパのロータリーエンジン車として余りに進歩的であったために商業的に失敗に終わったという点では、NSUからライセンス供与を受けて1973年にデビューしたフランスのシトロエンGSビロトールにも似た運命であった。ただしGSビロトールの大半がメーカーの手で回収されスクラップにされたのに対し、ドイツや英国には今日でも多くのRo80が愛好家の手元にある点が大きく異なる。

日本にも1968年から1970年頃まで、NSU日本総代理店であった安全自動車によって少数輸入され、個人所有で現存するものがある。

派生車種[編集]

フォルクスワーゲン・K70はRo 80のシャシーに水冷4気筒レシプロエンジンを搭載した車種で、NSUが開発後、VWの手で1970年~1974年の間に生産された。スタイリングはRo80の原型に比してやや崩れている。

関連項目[編集]