判任官

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判任官の位置づけ

判任官(はんにんかん)は、1871年8月官等を改定した際に八等出仕以下を意味し、明治憲法下の下級官吏等級であった。高等官勅任官奏任官)の下に位置していた。第2次世界大戦終結後は三級(官)と改められた[1]。例えば検察庁法(昭和22年法律第61号)第27条第2項では「検察事務官は、二級又は三級とする。」と定めている。

判任官は天皇任命大権の委任という形式を採って各行政官庁が任命していた。雇員傭人と異なり、国家と公法上の関係に立つ官吏である。一等から四等までに分かれていた。なお、判任官ではないが、判任官に準じるものとして判任待遇という位置づけも存在していた。

文官はそれぞれの職務に応じて等級が分かれていた。ただし、警察官など階級で分かれる官吏は、次の武官と同じく階級ごとに等級が分かれていた。警察官の場合、警部警部補が判任官であり、巡査部長巡査は判任待遇であった。技官の場合、判任官身分の技官は「技手(ぎて)」と呼ばれており、主に高等工業学校(現在の大学工学部等に相当)卒業者が任じられ、必要に応じて奏任官に登用された。なお、帝大卒業者は奏任官である技師に任じられた。

旧陸海軍下士官が判任官に相当した。奏任官同様に階級ごとに等級が決まっていた。その下のは、帝国臣民(男子)の義務たる徴兵を通して皆が皆、軍に入営・入団するという建前から官吏とは認められていなかった。例外的に陸軍の憲兵上等兵は全員が採用試験を経て任用される職業軍人であったため判任待遇とされていた。

脚注

  1. ^ 親任官及諸官級別令(昭和21年勅令第191号)

関連項目