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肥沃な三日月地帯(ひよくなみかづきちたい、Fertile Crescent)とは、古代オリエント史の文脈において多用される歴史地理的な概念である。その範囲はペルシア湾からチグリス川・ユーフラテス川を遡り、シリアを経てパレスチナ、エジプトへ至る半円形の地域である。
この用語が初めて用いられたのは、1916年のことである。当時、シカゴ大学のエジプト学者であったジェームズ・ヘンリー・ブレステッド(英語版)が、著作『古代』の中で初めて使用した。それ以後、多くの学者によって古代オリエントの中心地を指す用語として用いられるようになった。
現代においても古代オリエントの地理を説明する文脈では多用されるが、その範囲に厳密な定義があるわけではなく、範囲内の気候やそれに合わせた農業体系、文化も必ずしも同質ではない。むしろ、周辺の砂漠地帯に対する大河地帯の特性を強調した用語といえる。
この地域は、メソポタミア、古代エジプトといった多くの古代文明が栄え、後々まで中東の中心であった。
今日、肥沃な三日月地帯に含まれる主要な国は、イラク、シリア、レバノン、イスラエル、パレスチナであり、それにエジプトを含むこともある。また、東南トルコ、西北ヨルダン、西南イランも含まれる。
関連項目