桂湖村
桂 湖村(かつら こそん、1868年11月29日(明治元年10月16日) - 1938年4月3日[1])は、日本の中国文学者。現在の新潟県新潟市新津の出身[1]。湖村は故郷近くの福島潟に由来する号で、本名は五十郎[1]。雷庵など、他の号も使用した[1]。
生家は国学や漢学を修めた学者の家系で、自身も幼少から漢籍等に触れて育った[1]。東京専門学校専修英語科(現・早稲田大学)に進学し、1892年に卒業[1]。日本新聞に客員社友として属したのち、中国に渡航して陶芸や書画について学ぶ[1]。帰国後は東洋大学・國學院大學で教壇に立ち、その後母校の早稲田大学教授に就任した[1]。
1905年(明治38年)、『漢籍解題』を明治書院から刊行した[2]。近年刊は『湖村詩存』(村山吉廣編、明徳出版社、2017年)がある。