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赤神良譲

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赤神良譲(あかがみ りょうじょう、1892年10月30日 - 1953年4月6日)は大正時代から昭和時代初期に活動した日本の社会学者経済学者教育者

経歴

新潟県寺泊町(現 長岡市)に生まれる。1919年(大正8年)に東京帝国大学文学部社会学科を卒業。同大助手を経て1922年(大正11年)5月に明治大学教授となった[1]

ソビエト連邦の政治やマルクス経済学の研究を進めていた[2]が、 第二次世界大戦以前は国家主義者としても活動。1939年(昭和14年)に対支同志会が主催した「英国排撃市民大会」では、イギリスの東洋政策を厳しく批判する演説を行った[3]

終戦後の1947年(昭和22年)2月に教職員適格審査で不適格とされたが、1951年(昭和26年)10月に不適格解除となった[4]

著作

  • 『社会學入門』 丁酉出版社 1930年
  • 『獵奇の社會相』 新潮社 1931年
  • 『宗教問題と反宗教運動』 大東出版社 1931年
  • 『文明に於ける野蠻』三也書店 1932年
  • 『滿蒙封建論』章華社 1933年
  • 『變態社會の理論的考察』明大學會 1933年
  • 『近世露西亞政治史』章華社 1934.6
  • 『スターリンの中立及戰爭政策』出版社不明 1941年
  • 『近世露西亜政治史』日本政治経済研究所 1941年
  • 『民主主義的政治家のための雄弁学』
  • 『反省の哲學』竹井書房 1947年
  • 『環境社会学』竹井出版 1948年
  • 『唯物史觀の分析』明治大学学生雑誌部 1948年
  • 『マルクスの生涯とその思想体系 = Karl Heinrich Marx : sein Leben und Wirken』日本政治経済研究所 1949年

脚注

  1. ^ 松浦良松 『明治大学年鑑』 明治大学新聞学会、1926年、129頁
  2. ^ 赤神良譲「20世紀日本人名事典」”. 日外アソシエーツ (2004年). 2022年7月28日閲覧。
  3. ^ 対支同志会が日比谷で排英演説会『東京朝日新聞』(昭和14年7月13日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p669 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  4. ^ 明治大学百年史編纂委員会 『明治大学百年史』 第四巻 通史編Ⅱ、学校法人明治大学、1994年、420-423頁