プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビルケンフェルト
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- プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビルケンフェルト
- Pfalz-Zweibrücken-Birkenfeld
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← 1569年 - 1731年 → (国章)
プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビルケンフェルト(赤斜線部)-
公用語 ドイツ語 首都 ビルケンフェルト - 公
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1569年 - 1600年 カール1世 1717年 - 1731年 クリスティアン3世 - 変遷
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ヴォルフガングの死後の分割で成立 1569年 プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビシュヴァイラーと統合 1671年 プファルツ=ツヴァイブリュッケンと統合 1731年
プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビルケンフェルト(Pfalz-Zweibrücken-Birkenfeld)は、現在のドイツ・ラインラント=プファルツ州のビルケンフェルト周辺に存在した神聖ローマ帝国の領邦の一つ。
概要
[編集]プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビルケンフェルトはプファルツ=ツヴァイブリュッケンの分国として1569年にプファルツ=ツヴァイブリュッケン公兼プファルツ=ノイブルク公ヴォルフガングの死後に、末子のカール1世によって創立された(プファルツ=ビルケンフェルト家)。1600年にカール1世が死ぬと、ビルケンフェルトは長男のゲオルク・ヴィルヘルムが継承、次男のクリスティアン1世によって新たにプファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビシュヴァイラーが生まれた。
三十年戦争中の1635年に領国は侵略と荒廃に曝され、同年には腺ペストによって多くの人命が失われた。ゲオルク・ヴィルヘルムが1669年に死ぬと息子のカール2世オットーが後を継いだ。2年後にカール2世オットーが死ぬと男系が絶え、従弟のプファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビシュヴァイラー公クリスティアン2世が後を継いだ。クリスティアン2世が1717年に死ぬと息子のクリスティアン3世が継いだ。クリスティアン3世は1731年に死んだ遠縁のグスタフ・ザムエル・レオポルトのツヴァイブリュッケン公国を継承して、帝国議会に出る資格を得て、領国の名称をプファルツ=ビルケンフェルト=ツヴァイブリュッケンに改称した。