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タヒル・ユルダシェフ

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タヒル・ユルダシェフ1967年 - 2009年)は、ウズベキスタンアフガニスタンウズベク人地域で活動するテロ組織、ウズベキスタン・イスラム運動の指導者の1人で、アメリカ軍のアフガニスタン侵攻時に戦死したジュマ・ナマンガニの盟友だった。

経歴

ウズベク・ソビエト社会主義共和国ナマンガン州に生まれる。

1980年代末~1990年代初め、ナマンガン市のカジーであったウマルホン・コリ・ナマンガニ(後に逮捕)の強い影響を受けた。1991年、ナマンガンでイスラム組織、アドラート・ウユマシ(公正協会)を率いた。同じ期間、より過激なイスラム組織、イスロム・ラシュコルラリ(イスラムの戦士)の創設にも参加した。この外、ユルダシェフは、武装イスラム組織、トウバ(又はタウバ)の設立者の1人でもあり、ここでジュマ・ナマンガニと密接な関係を築いた。

1992年、ウズベキスタンで反イスラム・キャンペーンが始まると、ユルダシェフはタジキスタンを経由してアフガニスタンに渡り、ウズベク人イスラム教徒の政治指導者の地位を占めた。1996年、ウズベキスタン・イスラム運動の政治指導者となる。ウズベキスタン・イスラム運動は、多くのイスラム組織と広範囲な関係を結び、ウズベキスタンの野党のために資金集めに従事した。資金調達のために、パキスタンサウジアラビアアラブ首長国連邦を訪れている。

ユルダシェフは、1999年2月のウズベキスタンにおけるクーデター未遂の首謀者の1人と考えられている(当時、ユルダシェフはテヘランにいた)。

1999年末~2000年初め、反イスラム・カリモフ勢力を結集させるために、ターリバーン政権の庇護の下で活発な活動を展開した。 2001年、ナマンガニがアフガニスタンで戦死するとウズベキスタン・イスラム運動(UIM)を指導した。

2009年8月27日、ユルダシェフはアメリカ空軍の空爆で、手と足を失い病院で死亡した。

プライベート

ユルダシェフの3人の兄弟、マダミン、ムハマッド、ゾヒジョンは、1997年にウズベク当局により逮捕された。

関連項目