雲松院 (横浜市)
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雲松院 | |
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所在地 | 神奈川県横浜市港北区小机町1451 |
位置 | 北緯35度30分25秒 東経139度35分55秒 / 北緯35.50694度 東経139.59861度座標: 北緯35度30分25秒 東経139度35分55秒 / 北緯35.50694度 東経139.59861度 |
山号 | 臥龍山 |
院号 | 雲松院 |
宗派 | 曹洞宗 |
創建年 | 天文年間(1532年 - 1555年)または大永5年(1525年)頃 |
開山 | 天叟須孝(勧請開山:季雲永岳) |
開基 | 笠原信為 |
公式サイト | 臥龍山雲松院|雲松院(うんしょういん)は横浜市港北区の小机城址にゆかりある曹洞宗の寺院です |
法人番号 | 6020005000376 |
雲松院(うんしょういん)は、神奈川県横浜市港北区にある曹洞宗の寺院。
歴史
寺伝によれば、小机城の城代だった笠原信為の開基で、天文年間(1532年 - 1555年)の創建とされている。しかし実際にはもう少し古く、信為の父・信隆三十回忌にあたる1525年(大永5年)頃といわれている。当院公式サイトでも大永説を採っている[1]。
笠原氏の宗旨は曹洞宗であったので、遠江国榛原郡(現・静岡県牧之原市)の曹洞宗寺院石雲院の季雲永岳に依頼し、弟子の天叟須孝を招聘して寺院を創建した。よって当院では季雲永岳を勧請開山としている[1]。
信為の子孫である笠原重政は、後北条氏滅亡後、関東地方の新領主となった徳川氏に仕え、旗本となった。墓地には、旗本・笠原一族の墓がある。また旗本門奈氏最後の当主で、静岡藩士となった門奈直方夫妻の墓石もある[2]。
文化財
- 天童小参抄(下巻)(横浜市指定有形文化財 平成元年12月25日指定)[3]
- 雲松院本堂及び山門(横浜市指定有形文化財 平成7年11月1日指定)[4]
- 旗本笠原家の墓所(横浜市登録地域史跡名勝 平成6年11月1日登録)[5]
交通アクセス
- 小机駅より徒歩2分。
脚注
参考文献
- 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県の歴史散歩 上(歴史散歩14) 川崎・横浜・北相模・三浦半島』山川出版社、2005年