佐竹義藤
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佐竹 義藤(さたけ よしふじ、生年不詳 - 明応元年(1492年))は、戦国時代(室町時代後期)の武将。常陸国に勢力を持つ佐竹氏の一門。
生涯
佐竹義真の次男。父の後継として、兄の義顕を差し置いて山入氏を継いだ。
延徳2年(1490年)に宗家当主の義治が病死し、子の義舜が後継となった。義藤とその子の氏義は義舜が若年であることに付け入り、反宗家側であった佐竹氏庶流の長倉義久・宇留野義公(義舜の叔父)らと結んで挙兵した。義舜はこれに敵わず、本拠地太田城から母の実家である大山氏を頼って[1]孫根城に逃亡した[2]。義藤は宿願であった太田城の奪取に成功し[3]、山入氏の勢威は頂点に達した。
それから2年後の明応元年(1492年)に病死し、氏義が継いだ。
出典
参考資料
- 冨山章一『奥七郡から出発: 茨城・常陸佐竹氏の軌跡』学研プラス、2017年4月28日。ASIN B071RL7KLT。ISBN 978-4292001273。