コンテンツにスキップ

山本文男 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Anothercat (会話 | 投稿記録) による 2023年4月5日 (水) 22:42個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (脚注)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

山本 文男
やまもと ふみお
地方六団体の代表と福田康夫内閣総理大臣との会談
2007年10月4日、左から2人目が山本)
生年月日 1926年1月15日
出生地 日本の旗 日本 福岡県田川郡添田町
没年月日 (2016-08-24) 2016年8月24日(90歳没)
死没地 日本の旗 日本

当選回数 10回
在任期間 1971年2月1日 - 2010年7月20日

福岡県添田町議会議員
当選回数 2回
在任期間 1963年 - 1971年

当選回数 6回
在任期間 1999年 - 2010年3月
テンプレートを表示

山本 文男(やまもと ふみお、1926年1月15日 - 2016年8月24日)は、日本政治家

福岡県添田町長(第4代)、添田町議会議員(2期)、全国町村会会長[1]を務めた。

経歴

福岡県生まれ。炭鉱病院での勤務を経て[2]1963年に添田町の町議会議員となり、1967年に町議会議長となった[1]1971年の町長選挙で初当選し、以降、2010年に10期目の途中で辞任するまで40年間にわたり町長を務め、その間の連続10選のうち6回は無投票当選であった[3][4]1999年には全国町村会長となり、こちらも2010年までその任にあった。この間、全国鉱業市町村連合会会長、福岡県町村会長、福岡県介護保険広域連合長、地方制度調査会委員、福岡県国民健康保険団体連合会理事長[1]、総務省顧問[5]など多数の役職を歴任した。

町長時代の山本は田中六助の後援会長となり、密接な関係を築いており、田中の急逝直後には後継者として名が挙がるなどしたが、山本は「いまさら、陣笠議員なんかできるか」と繰り返し公言して、国政への進出は目指さず、町長職に永く留まった[2]。かつて炭鉱で働いていた頃の同僚でもあった[3]、添田町出身の村上正邦(三崎炭鉱組合長時代に村上が給仕をしていた)とも関係が深く、全国町村会長への就任には村上の支援があったとされている[2]

贈賄事件による逮捕とその後の展開

2010年2月2日、山本は会長を務めていた福岡県町村会を舞台とする贈賄事件の嫌疑により、福岡県警に逮捕された。容疑は、2007年の福岡県後期高齢者医療広域連合の設立に際し、町村会に有利な扱いをするよう、当時の福岡県副知事中島孝之に100万円を贈ったというものであった[6]

3月8日、山本は起訴を受けて福岡県町村会長を辞任し、自動的に全国町村会長も辞任する形となった[7]

4月からは町長の解職を問う住民投票の実施を求めるリコール運動が始まり、5月には有権者の3分の1を超える署名が集まったとされた[8]。このリコール運動の最中に、山本の後援会は、町内のおよそ4,000世帯にリコールに反対するビラを郵送したが[8]、これをめぐって住民基本台帳のデータが流出したのではないかとする疑惑が浮上し、後援会関係者が町議会百条委員会において証言を拒むといった混乱も起きた[9]

山本は、6月15日の時点で辞任をほのめかしたことが報じられたが[10]7月5日に至って町長の辞職願を提出し、リコール投票の実施を阻んだ[11]。山本は、8月22日投票となった出直し町長選挙に出馬したが、前副町長に敗れ、落選した[4]

2010年10月20日の福岡地方裁判所の判決は、収賄側の前副知事、贈賄側の山本と前町村会事務局長をいずれも執行猶予付きの有罪とし[12][13]、控訴した者がなかったためにこの判決が確定した[14]2010年11月までに、山本はすべての公職を辞職した[15]

2016年、死去[16]

胸像

山本の胸像は、その功績をたたえて2004年に複数設置されていた。しかしながら事件を受け、添田町の町営の音楽施設「オークホール」に[3]、住民有志の寄付により設置されていたブロンズ胸像は、2010年11月に撤去され[17]、また、福岡市博多区の福岡県自治会館に置かれた胸像は、2011年はじめに撤去された[18]。現在、これら山本の胸像は添田町の英彦山病院に置かれている。

脚注

  1. ^ a b c 山本文男、反町勝夫財政の厳しい町村にとっての三位一体改革の意味」(PDF)『法律文化』、LEC東京リーガルマインド、2005年、18-21頁、2014年6月27日閲覧 
  2. ^ a b c 大重史朗 (2010年2月22日). “首長のドン84歳の汚点 全国町村会・山本文男会長逮捕”. アエラ: p. 72  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  3. ^ a b c 河村輝樹 (2010年2月10日). “[町長逮捕の衝撃](上)「ワンマン体制」長年放置(連載)”. 読売新聞・西部朝刊・福岡: p. 28  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  4. ^ a b 林国広 (2010年8月23日). “「不徳の致すところ」山本前町長、敗戦の弁 添田町長選”. 朝日新聞・西部朝刊: p. 26  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  5. ^ “総務省顧問に橋下氏ら14人”. 読売新聞・東京夕刊: p. 2. (2009年10月30日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  6. ^ “裏金接待 福岡前副知事を収賄容疑で逮捕 全国町村会長は贈賄容疑/福岡県警”. 読売新聞・東京朝刊: p. 28. (2010年2月3日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  7. ^ “山本町村会長辞任”. 読売新聞・西部朝刊: p. 31. (2010年3月9日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  8. ^ a b “町村会汚職 山本町長リコール 添田町が住民投票へ 団体が署名確保”. 読売新聞・西部朝刊: p. 35. (2010年5月15日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  9. ^ “添田町議会の百条委「刑事告発必要あり」 報告書に後援会2人”. 読売新聞・西部朝刊・福岡: p. 28. (2010年7月6日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  10. ^ “町村会汚職 添田町長が辞意「住民投票 町民に迷惑」”. 読売新聞・西部朝刊: p. 1. (2010年6月16日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  11. ^ “添田町長辞職願 住民団体「このまま引退を」 「住民投票逃れ」批判”. 読売新聞・西部朝刊・北九州: p. 27. (2010年7月7日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  12. ^ “福岡県前副知事ら有罪 町村会巡る汚職事件 地裁判決”. 朝日新聞・夕刊: p. 11. (2010年10月20日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  13. ^ “福岡県町村会汚職 前副知事に有罪判決 地裁”. 読売新聞・東京朝刊: p. 12. (2010年10月20日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  14. ^ “前添田町長の有罪判決確定 双方控訴せず 福岡・町村会汚職事件”. 朝日新聞・西部夕刊: p. 9. (2010年11月5日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  15. ^ “山本・前添田町長、すべての公職辞任 町村会汚職”. 朝日新聞・朝刊・福岡: p. 31. (2010年11月3日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  16. ^ “山本文男氏死去 元全国町村会長 [福岡県]”. 西日本新聞. (2016年8月26日) 
  17. ^ “威光の果てに… 添田前町長の胸像撤去 町営ホール”. 読売新聞・西部朝刊: p. 34. (2010年11月23日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  18. ^ “山本前会長の胸像、県町村会あす撤去 県自治会館から”. 朝日新聞・朝刊・福岡: p. 25. (2011年1月14日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧