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中島成教

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中島 成教[1](なかじま しげのり、1844年12月26日弘化元年11月17日[2] - 没年不明)は、日本資産家[2]実業家阪神電気鉄道取締役[2]。族籍は兵庫県士族[2][3]。はじめ「辰屋鹿蔵」と名乗った。

人物

兵庫県西宮の辰馬本家の出で、10代の当主であった辰馬吉左衛門の三男[4]。もとは「辰屋鹿蔵」という名であり、19歳で中島六郎右衛門の養子として入った[4]。阪神電気鉄道取締役をつとめた[2]。住所は兵庫県武庫郡甲東村[2](現西宮市)。

家族・親族

中島家
  • 妻・くに1862年 - ?、兵庫、澤上正太郎の妹)[2]
  • 養子・孝造1875年 - ?、長女あいの夫、中島角一郎の弟)[2]
  • 長女・あい1874年 - ?、養子孝造の妻)[2]
  • 四女・よし1880年 - ?、兵庫、浅尾豊一の妻)[2]
  • 女・しげ1886年 - ?)[2]
  • 女・もと1892年 - ?)[2]
  • [2]
親戚

脚注

  1. ^ 『大日本紳士鑑』兵庫県武庫郡328頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年3月24日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『人事興信録 第3版』な117頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年10月27日閲覧。
  3. ^ a b 『人事興信録 第7版』あ87頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年10月27日閲覧。
  4. ^ a b 尾崎耕司「歴史にみる西宮・阪神-近代黎明期をめぐって-」、平成23年度大手前大学公開講座講義録「歴史と文化の旅」55-78頁、大手前大学 大手前短期大学リポジトリ。

参考文献

  • 妹尾久造編『大日本紳士鑑』経済会、1895年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903-1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。