佐世城
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佐世城 (島根県) | |
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別名 | 金剛山城 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | 不明 |
築城主 | 佐世為徳か |
築城年 | 不明 |
主な改修者 | 佐世氏 |
主な城主 | 佐世氏 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 曲輪 |
指定文化財 | 未指定 |
位置 | 北緯35度18分57.5秒 東経132度56分34.1秒 / 北緯35.315972度 東経132.942806度 |
地図 |
佐世城(させじょう)は、島根県雲南市大東町佐世に所在する戦国大名・尼子氏の家臣佐世氏による日本の城。
歴史
佐世・金剛山は佐世氏の拠点で、いつごろ築城したかはっきりしていないが、佐世を支配管理し、また外敵に備えるのにも立地条件がよく、古くから城砦があった。 佐世氏が成長するに至ったのは応仁の乱以後と思われ、6代佐世為徳以降に築城されたものと思われる。
現佐世城の近くに出城として小木戸城があり、為徳が築城したという。 小木戸城は佐世城以前に佐世の本城であったといわれ、佐世城は後年佐世清宗が築城移転したともいわれる。
8代佐世清宗は尼子御家老衆のうち、宇山飛弾守に次ぐ重臣で備後内12万石を領していた。
永禄8年(1565年)、月山富田城の戦いの際には清宗は月山富田城での守備に就き、佐世城の留守は佐世元嘉が守備していた。 父清宗が富田在陣中に毛利氏に攻められたが、元嘉は毛利方と適切な対応をして、流血する事無く処理しえたという。 また別説には永禄8年以前にすでに落城していたという説もある。
構造
佐世・金剛山は北東向きで凸字型をなし頂は高く突出している。この山頂に城櫓があったものと思われる。山の南側は平地になっており、そこは佐世氏の屋敷跡であったといわれる。さらにその麓は平野となり佐世川が流れている。この辺りには佐世氏の家臣が住み侍屋敷が多かったという。鍛冶もあり、金屋子神を祭る祠が残っている。 城の南方細長く小高いところに馬乗馬場があった。