佐世城

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佐世城
島根県
別名 金剛山城
城郭構造 山城
天守構造 不明
築城主 佐世為徳か
築城年 不明
主な改修者 佐世氏
主な城主 佐世氏
廃城年 不明
遺構 曲輪
指定文化財 なし

佐世城(させじょう)は、戦国大名・尼子氏の家臣佐世氏による日本の城島根県雲南市大東町佐世に位置する。

歴史[編集]

佐世・金剛山は佐世氏の拠点で、いつごろ築城したかはっきりしていないが、佐世を支配管理し、また外敵に備えるのにも立地条件がよく、古くから城砦があった。 佐世氏が成長するに至ったのは応仁の乱以後と思われ、6代佐世為徳以降に築城されたものと思われる。

現佐世城の近くに出城として小木戸城があり、為徳が築城したという。 小木戸城は佐世城以前に佐世の本城であったといわれ、佐世城は後年佐世清宗が築城移転したともいわれる。

8代佐世清宗は尼子御家老衆のうち、宇山飛弾守に次ぐ重臣で備後内12万石を領していた。

永禄8年(1565年)、月山富田城の戦いの際には清宗は月山富田城での守備に就き、佐世城の留守は佐世元嘉が守備していた。 父清宗が富田在陣中に毛利氏に攻められたが、元嘉は毛利方と適切な対応をして、流血する事無く処理しえたという。 また別説には永禄8年以前にすでに落城していたという説もある。

構造[編集]

佐世・金剛山は北東向きで凸字型をなし頂は高く突出している。この山頂に城櫓があったものと思われる。山の南側は平地になっており、そこは佐世氏の屋敷跡であったといわれる。さらにその麓は平野となり佐世川が流れている。この辺りには佐世氏の家臣が住み侍屋敷が多かったという。鍛冶もあり、金屋子神を祭る祠が残っている。 城の南方細長く小高いところに馬乗馬場があった。

関連項目[編集]