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土屋薫

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土屋 薫(つちや かおる、Kaoru Tsuchiya Hawley、1958年1月20日 - )は、地方競馬浦和競馬場大井競馬場所属、そしてアメリカ合衆国ケンタッキー州の元騎手である。

埼玉県出身、血液型はAB型。地方競馬教養センター短期騎手課程生。所属厩舎だった土屋登元調教師は実父、同じ浦和競馬場に所属していた土屋千賀子元調教師は姉。配偶者は、カナダスポーツ殿堂博物館、アメリカ競馬名誉の殿堂博物館カナダ競馬名誉の殿堂にて殿堂入りをした騎手サンディー・ホーリー

勝負服の柄は胴白・左青たすき、袖赤。

来歴

浦和市立南高等学校(現・さいたま市立浦和南高等学校)卒業後に地方競馬教養センターに入所。1978年、地方競馬騎手免許を取得。同年5月1日、浦和競馬で初騎乗(9頭立て8着)。同年6月19日、浦和競馬第4レースにてホーワローズ号で優勝し、初勝利。1983年10月5日付けで大井競馬場に移籍。

1984年8月29日大井競馬場第9レース「サンシャインカップ競走」(1700m)が、日本での最後の騎乗となる。

1985年11月、渡米。レキシントンのキーンランド競馬場にある、マックファーレン厩舎に所属。

1986年1月18日、ラトニア競馬場(現:ターフウェイパーク競馬場)で、第3レース(約1200m)にてスレンダーリノア号(牡、3歳)に騎乗し、アメリカ初騎乗初勝利する。

1991年、年間騎乗記録1053戦110勝、2着102回。

1992年8月、引退。

アメリカ通算成績、2732戦263勝・2着286回・3着276回。

引退後は、半身不随になってしまったジョッキー仲間を支援する為のチャリティイベントthe Permanently Disabled Jockeys Fund(PDJF)、Jockeys and Jeans等に 夫サンディー・ホーリーと共に、深く関わっている[1][2]

脚注

関連項目