コンテンツにスキップ

生田目城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。さらに倍 (会話 | 投稿記録) による 2023年2月13日 (月) 05:30個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

logo
logo
生田目城
栃木県
別名 なし
城郭構造 平山城
天守構造 なし
築城主 不詳
築城年 不詳
主な改修者 不明
主な城主 生田目氏
廃城年 不明
遺構 土塁・空堀の一部・井戸跡
指定文化財 なし
位置 北緯36度26分58.2秒 東経140度5分28.4秒 / 北緯36.449500度 東経140.091222度 / 36.449500; 140.091222
テンプレートを表示

生田目城(なばためじょう)は、現在の栃木県芳賀郡益子町大字生田目字館山にあった日本の城県道41号線の東側の山麓地帯にある平山城であった。城主ははっきりとは解っていないが同地を治めていた益子氏の家臣に生田目氏がいることから、その居城ではなかったかと思われている。

構造

  • 本丸
  • 二の丸
  • 三の丸
  • 井戸跡(現在では「井戸」が転訛したと思われる「えど沢」という呼称で呼ばれていて、現在も水が湧き出ている。)
  • 堀跡

周辺

  • 三の丸のあたりに「正覚寺(または正岳寺)」という寺院があった。
  • 現在でも同城の周辺には「中城」「下城」という字名が残っている。

アクセス

関連項目