村木文郎
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村木 文郎(むらき ふみお、1933年5月27日 - 2019年11月14日)は、日本の実業家。野母商船グループ会長[1]。旅客船業界に係る各種団体の会長・委員等を務め、海運事業振興に努めた。
経歴
1933年長崎県生まれ[2]。祖父は野母商船創業者の村木清三郎、父は日本旅客船協会の設立に関わり、同協会会長を務めた村木信一郎[3]。長崎県立長崎東高等学校を経て[4]、1956年一橋大学商学部卒業後、野母商船に入社[2]。1964年専務を経て[2]、1991年社長[3]。2006年から2011年まで日本旅客船協会会長を務め[5]、高速道路無料化に反対するなど業界の意見を発信した[6][7]。また、離島を多く抱える長崎県における海上交通の振興にも努め、島民らを対象として運賃を割引する制度を打ち出すなどした[8]。このほか長崎文化放送取締役[9]、長崎県選挙管理委員会委員長(2003年~2007年)、長崎県美術館の運営を行う長崎ミュージアム振興財団理事長などを歴任した。2011年に旭日中綬章を受章[9]。現在は野母商船グループ会長を務める。叙正五位[10]。
役職等
- 日本旅客船協会会長(現:顧問)
- 九州旅客船協会連合会会長
- 長崎県旅客船協会会長
- 長崎県離島基幹航路運賃対策協議会会長
- 離島航路補助制度改善検討会委員
- 日中交流拡大方策検討委員会委員
- 長崎県選挙管理委員会委員長
- 長崎商工会議所副会頭
- 「都市と農山漁村の共生・対流」長崎県協議会代表
- 長崎ミュージアム振興財団理事長
脚注
- ^ “オーライ!長崎とは?”. 「都市と農山漁村の共生・対流」長崎県協議会. 2016年7月16日閲覧。
- ^ a b c 『サンケイデータブック99人物編 産業・経済人』 産経新聞メディックス、1999年。
- ^ a b “月間デジマ第10号”. 産業技術推進機構長崎. 2016年7月16日閲覧。
- ^ 『ひがし 長崎東高等学校同窓会会報 Vol.8』(長崎県立長崎東高等学校同窓会、2015年)、17 頁。
- ^ “各県別 海事産業の経済学”. 公益財団法人日本海事センター. 2016年7月16日閲覧。
- ^ 「高速無料化:日本旅客船協会、反対で署名活動」 『毎日新聞』2009年10月22日付朝刊、20面。
- ^ “サーチャージ理解を 日本旅客船協会”. 琉球新報. 2016年7月16日閲覧。
- ^ 「離島航路:6航路で運賃を割引へ-島民対象」 『毎日新聞』2009年10月23日付朝刊、長崎面。
- ^ a b “藍綬褒章宮澤=旭日重光章鈴木・砂原氏ら‐平成23年春の褒章・叙勲民放関係主な受章者”. 連合通信社. 2016年7月16日閲覧。 アーカイブ 2016年3月4日 - ウェイバックマシン
- ^ 『官報』第158号、令和元年12月23日