野母商船

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野母商船株式会社
Nomo Shosen K.K.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
850-0035
長崎県長崎市元船町17番3号
設立 1929年12月20日(創業は1910年12月5日
業種 海運業
法人番号 3310001001715
代表者 村木文郎(代表取締役社長)
資本金 1,000万円
主要子会社 長崎汽船、津吉商船、野商商事、北松通運
関係する人物 村木清三郎(創業者)
外部リンク http://www.nomo.co.jp/
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野母商船株式会社(のもしょうせん)は、長崎県長崎市に本社を置く海運会社。野母商船グループの中核企業である。

社名は前身の村木汽船部が長崎・大波止と西彼杵郡野母村(現在の長崎市野母崎)間の旅客航路を開設していたことに由来するが、現在は野母港への路線は保有していない。

沿革[編集]

  • 1910年明治43年)1月 - 片岡茂八が長崎交通汽船株式会社を設立し、大波止〜旭町・飽の浦間の定期旅客運航を開始
  • 1910年(明治43年)12月5日 - 村木清三郎が「村木汽船部」の名称で海運事業を開始
  • 1916年大正5年) - 村木汽船部、長崎〜野母間の旅客航路を開設
  • 1929年昭和4年)12月20日 - 村木汽船部、株式会社化し社名を「野母商船」とする
  • 1930年(昭和5年)8月 - 野母商船、博多〜上五島航路開設
  • 1939年(昭和14年)5月 - 野母商船、上海新江南京揚子江航路を開設
  • 1943年(昭和18年)6月 - 野母商船、マニライロイロセブダバオフィリピン航路を開設するが、太平洋戦争激化で揚子江航路と共に船舶を失い短期間で廃止
  • 1945年(昭和20年)4月 - 長崎交通汽船、新興汽船に社名変更
  • 1950年(昭和25年)4月 - 新興汽船、乗合バスとの競争激化により新興運輸へ社名を変更し、バス事業への参入許可を申請
  • 1953年(昭和28年)3月 - 新興運輸、長崎自動車に吸収合併され長崎自動車海運部となる
  • 1955年(昭和30年)4月 - 長崎自動車、海運部を分社化し長崎汽船株式会社とする
  • 1961年(昭和36年)7月 - 野母商船、長崎自動車から長崎汽船を買収し子会社化
  • 1965年(昭和40年)3月 - 野母商船、貨客船「太古丸」が博多〜上五島〜福江航路で就航
  • 1967年(昭和42年) - 長崎汽船、長崎市の長崎港観光遊覧船事業を譲り受ける
  • 1972年(昭和47年)10月 - 野母商船、長崎〜香焼航路に双胴船「ぐらばあ」(初代)就航
  • 1976年(昭和51年)3月 - 長崎汽船、野母商船グループの高島商船と長崎汽船を存続会社として合併
  • 1979年(昭和54年)5月 - 野母商船、博多〜五島航路に旅客フェリー「太古」・「清信」就航
  • 1982年(昭和57年)7月 - 長崎汽船、長崎港観光遊覧船事業を長崎汽船観光株式会社に分社
  • 1990年平成2年) - 野母商船、'90長崎旅博覧会に合わせ尾上〜松が枝間シャトルポートを運航
  • 1992年(平成4年)10月 - 野母商船、博多〜五島航路に大型旅客フェリー「太古」(2代目)就航
  • 2004年(平成16年)7月 - 野母商船、長崎〜香焼航路に双胴船「ぐらばあ」(2代目)就航
  • 2014年(平成26年)7月 - 野母商船、博多〜五島航路に大型旅客フェリー「太古」(3代目)就航、就航と同時に若松港への寄港を終了

航路[編集]

子会社が運航している航路も併せて掲載する。

野母商船[編集]

博多〜上五島・福江航路
福江発の便は奈留港に寄港しない。原則として毎日1往復しているが、月により第4月曜日が休航となる場合がある。
長崎〜香焼航路
  • 長崎港(大波止ターミナル) - 遠見 - 陰の尾 - 長浜
三菱重工業長崎造船所社員の通勤専用航路であり、一般の乗客が利用することは出来ない。長崎発は1日2便、長浜発は平日3便・休日2便。

長崎汽船[編集]

長崎〜伊王島・高島航路
1日11往復(第7便は高島まで行かず伊王島で折り返し)。神の島は上下1便ずつ(高島発第1便・長崎(大波止)発第9便)のみ寄港。

津吉商船[編集]

佐世保〜相浦〜前津吉航路
1日4往復(相浦に寄港するのは上下1便ずつのみ)。
2003年(平成15年)12月にそれまでの全便相浦港発着から現在の運航体系に変更した。[1]

船舶[編集]

運航中の船舶[編集]

太古(4代目、現行)
太古(3代目)
コバルトクイーン2号
野母商船
  • 太古[2] - 博多〜上五島・福江航路に就航するフェリー。2014年7月より4代目が運航されている。
2004年5月竣工。430総トン、全長38.00m、全幅10.66m、深さ3.50m。
出力1,000馬力×2基。航海速力15.25ノット(最大15.83ノット)。
旅客定員600名。瀬戸内クラフト(尾道)建造。2004年シップ・オブ・ザ・イヤー受賞。
三菱重工長崎造船所への通勤に使われており普段は一般の乗客は乗船出来ないが、コバルトクイーンの代船として伊王島航路に就航することがある。
長崎汽船
  • 鷹巢
2017年6月19日就航。船名は歴史研究家で長崎歴史文化協会理事の山口広助による命名で、埴安姫命を祭神とする伊王島の鷹巣権現に由来する。
124総トン、全長30.06m、全幅7.00m、旅客定員150名
  • 俊寛[4] - コバルトクイーン2号を改名。コバルトクイーン1号の同型船。
1988年7月竣工。180総トン。船名は「鷹巢」と同じく山口広助による命名で、俊寛僧都に由来する。
全長33.25m、全幅8.0m、深さ2.9m、出力1,800馬力×2基。航海速力28ノット(最大31.9ノット)。
旅客定員268名。三保造船所(大阪)建造。
津吉商船
  • コバルト21 - 佐世保〜相浦〜前津吉航路に就航。
19総トン、旅客定員80名。

過去に就航していた船舶[編集]

  • ぐらばあ(ぐらばあ2) - 長崎〜香焼航路に就航していた双胴船。
1972年10月竣工、2004年ぐらばあ2に改名、同年売却。488総トン。
全長35.50m、全幅13.20m、深さ4.5m。出力1,400馬力×2基。航海速力12.00ノット。
旅客定員800名。松浦鉄工造船所建造。
  • あんぜらす - 長崎〜香焼航路に就航していた単胴船。
1974年2月竣工、2004年売却。474総トン。
全長38.00m、全幅10.80m、深さ3.5m。出力1,400馬力×2基。航海速力12.00ノット。
旅客定員800名。松浦鉄工造船所建造。
  • コバルトクイーン1号 - 長崎〜伊王島・高島航路に就航していた全没型水中翼付双胴船。「鷹巢」就航により引退。
1988年5月竣工。179総トン。
全長33.25m、全幅8.0m、深さ2.9m、出力1,800馬力×2基。航海速力28ノット(最大31.9ノット)。
旅客定員268名。三保造船所(大阪)建造。

事業所[編集]

野母商船
  • 本社 - 長崎市元船町17番3号
  • 福岡支社 - 福岡市博多区築港本町220番地
  • 福江支社 - 長崎県五島市東浜町2丁目5番1号
長崎汽船
  • 本社 - 長崎市元船町17番3号
津吉商船
  • 本社 - 長崎県平戸市前津吉町260番地

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ [1]{{{1}}} (PDF)
  2. ^ 公式サイトおよび、日本船舶明細書I 2008年版 - 社団法人 日本海運集会所(2007年12月30日発行)
  3. ^ http://www.nmri.go.jp/main/publications/paper/pidb/contents/014/014_014.html
  4. ^ http://www.miho-ship.co.jp/jisseki_soudousen.htm
  5. ^ ありがとう野母船(端島(軍艦島)) - インダストリア(神村小雪)

外部リンク[編集]