佐伯三野
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時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 宝亀10年2月6日(779年2月26日) |
別名 | 美濃 |
官位 | 従四位下・右京大夫 |
主君 | 称徳天皇→光仁天皇 |
氏族 | 佐伯氏 |
父母 | 父:佐伯今毛人 |
佐伯 三野(さえき の みの)は、奈良時代の貴族。名は美濃とも記される。参議・佐伯今毛人の子。官位は従四位下・右京大夫。
経歴
[編集]天平宝字8年(764年)藤原仲麻呂の乱が発生すると、三野は従五位上に叙爵されて孝謙上皇方として活動する。近江国高島郡三尾埼で三野は大野真本らと共に恵美押勝(藤原仲麻呂)軍と交戦し、これを多数殺傷している。
天平神護元年(765年)左衛士佐に任じられ、翌天平神護2年(766年)には乱での功労により功田20町を与えられる。天平神護2年(767年)には下野守に任ぜられ地方官に転じた。
宝亀元年(770年)光仁天皇の即位に伴って正五位下に昇叙される。宝亀2年(771年)従四位下に叙されると共に、陸奥守兼鎮守将軍に任官するが、蝦夷征討へ向けた大規模な軍事活動の実行には至らず、翌宝亀3年(772年)には早くも右京大夫に任ぜられ京官に復す。
宝亀10年(779年)2月6日卒去。最終官位は散位従四位下。
官歴
[編集]『続日本紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 天平宝字8年(764年) 9月12日:従五位上(越階)
- 天平神護元年(765年) 2月5日:左衛士佐
- 天平神護2年(766年) 2月21日:功田20町。3月20日:下野守
- 宝亀元年(770年) 10月1日:正五位下
- 宝亀2年(771年) 閏3月1日:従四位下、陸奥守兼鎮守将軍
- 宝亀3年(772年) 9月29日:右京大夫
- 宝亀10年(779年) 2月6日:卒去(散位従四位下)