宮下直樹
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1956年11月22日(67歳) | |||
出身地 | 神奈川県川崎市 | |||
ラテン文字 | Naoki Miyashita | |||
血液型 | A型 |
宮下 直樹(みやした なおき、1956年11月22日 - )は、バレーボール指導者。神奈川県川崎市出身。
来歴
1975年、東海大学男子バレーボール部に入部し、セッター・レシーバーでプレーし、副将も経験する。
1979年に朝日生命男子バレーボール部に入団し、同社バレーボール教室専任講師にも就任。 選手としては1986年までセッターでプレーする。 女子バレーボール部のコーチ及び監督に就任し、2000年まで務めた。 1996年に同社バレーボール教室の校長に就任し、2001年まで務めた。
2001年には、カナダ女子代表コーチに就任。 2006年に監督に昇格し、2008年まで務めた。 (コーチ時代は、カナダウィニペグ大学女子バレーボールチーム及び、ウィニペグ大学ジュニアクラブチームメントールコーチも務める)
2008年に武富士バンブーのコーチに就任。2009年の同部の廃部まで務めた。
2009年に再び、カナダウィニペグ大学女子バレーボールチーム及び、ウィニペグ大学ジュニアクラブチームメントールコーチを務める。
2010年6月1日付けで、パイオニアレッドウィングスの監督に就任した[1]。2013年5月をもって健康上の理由により退任[2]。
2016年12月、日本バレーボール協会の女子強化事業本部長に就任[3]。1年後の2017年11月30日、健康上の理由で退任[4]。
2018年1月1日以降カナダ、アルバータ州立大学女子バレー部(パンダース)アソシエイツコーチ。
人物
- 娘の宮下マミもバレーボール選手であり、父の朝日生命時代に女子バレーボール部の体育館によく駆け付け、選手達のお世話になっていた。2001年、直樹のカナダでの指導が始まるときに、当時中学3年生のマミも含め家族でカナダに渡った[5]。
脚注
- ^ パイオニアレッドウィングス. “新監督就任のお知らせ”. 2010年5月14日閲覧。
- ^ パイオニアレッドウィングス. “監督の交代について”. 2014年6月13日閲覧。
- ^ “バレーボール強化事業本部本部長、男女強化委員会委員長の選任について”. 日本バレーボール協会. 2016年12月14日閲覧。
- ^ “宮下強化委員長が退任 日本バレーボール協会”. サンケイスポーツ (産経新聞社). (2017年11月30日) 2022年4月12日閲覧。
- ^ “【シーガルズ】新人特集(4)宮下マミ選手「一生青春」掲げる32歳”. 山陽新聞. (2019年7月25日). オリジナルの2019年10月21日時点におけるアーカイブ。 2022年4月16日閲覧。