細江静男
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細江 静男(ほそえ しずお、1901年(明治34年) - 1975年(昭和50年))は、日本の医師。戦前から戦後にかけて、ブラジルの地域医療のためにつくし「ブラジルのシュバイツァー」「アマゾン先生」「道庵先生」と呼ばれていた。
略歴
明治34年(1901年)、岐阜県益田郡中原村和佐(現:下呂市和佐)に生まれる。19歳の時に上京。慶應義塾大学医学部卒。1930年(昭和5年)、3年の任期の予定で外務省の嘱託医としてブラジルに派遣される。当初2年ほどはサンパウロ州バストスで診療を行なっていたが、アマゾン川流域の日系人開拓地の医師不足を痛感し、そのままブラジルに残る決意をする。バストスとその周辺の無医村地帯の巡回診療にも力を注ぎ、アマゾン奥地まで治療に赴いた。本人も黄熱病に感染している。
ブラジルでの開業医の資格を得るため、1941年(昭和16年)にサンパウロ大学医学部を卒業。以後亡くなるまでアマゾン川流域の無医村地帯の治療に貢献する。没後は娘婿の森口幸雄(慶應義塾大学医学部卒)、孫の森口秀幸(ブラジル連邦大学医学部卒)が巡回診療を引き継いでいる。
1939年(昭和14年)、サンパウロ市の在ブラジル日本人同仁会日本病院(現:サンタクルス日伯慈善協会サンタクルス病院)の建設に携わるほか、1937年(昭和12年)にはカンポス・ド・ジョルドン市の肺結核療養所の建設に貢献している。また、日本移民援護協会保健衛生専門理事、日本語普及協会理事などを歴任する。1953年(昭和28年)には日系ボーイスカウト隊(カラムルー隊)創立を行なっている。
1962年(昭和37年)、11月16日、日本医師会から最高功労賞を授与される。同月26日、日本政府から勲三等瑞宝章を授与される。[1]
その他
- 著書に「アマゾン先生 世界の無医村で三十二年」(1963年)がある。また下呂市下呂ふるさと歴史記念館に資料が展示されている。
脚注
- ^ 赤木数成、林慎太郎『援協五十年史』トッパン・プレス印刷出版会社、2010年、256頁。