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ハームズワース男爵

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初代ハームズワース男爵セシル・ハームズワース

ハームズワース男爵(ハームズワースだんしゃく、: Baron Harmsworth)は、連合王国貴族男爵位。

自由党の政治家セシル・ハームズワース1939年に叙されたのに始まる。

歴史

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新聞事業者として著名な初代ノースクリフ子爵アルフレッド・ハームズワースや初代ロザミア子爵ハロルド・ハームズワースの弟にあたるセシル・ビショップ・ハームズワース(1869–1948)は、自由党の政治家として内務省政務次官英語版(在職1915年)や外務省政務次官英語版(在職1919年-1922年)を務め[1][2]1939年2月4日勅許状によって連合王国貴族サリー州におけるエガムの初代ハームズワース男爵(Baron Harmsworth, of Egham in the County of Surrey)に叙された[3][4]

初代男爵の死後、次男(長男は早世)のセシル・デズモンド・バーナード・ハームズワース(1903–1990)が2代男爵位を継承したが、彼には男子がなかった[5][6]。そのため2代男爵の死後にはその甥(初代男爵の三男エリックの長男)にあたるトマス・ハロルド・レイモンド・ハームズワース(1939-)が3代男爵を継承している。彼が2016年現在の当主である[3][7]

ハームズワース男爵 (1939年)

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脚注

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出典

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  1. ^ Lundy, Darryl. “Cecil Bisshopp Harmsworth, 1st Baron Harmsworth” (英語). thepeerage.com. 2016年3月3日閲覧。
  2. ^ Lundy, Darryl. “Alfred Harmsworth” (英語). thepeerage.com. 2016年3月3日閲覧。
  3. ^ a b Heraldic Media Limited. “Harmsworth, Baron (UK, 1939)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年3月3日閲覧。
  4. ^ "No. 34596". The London Gazette (英語). 7 February 1939. p. 856.
  5. ^ Lundy, Darryl. “Cecil Bisshopp Harmsworth, 1st Baron Harmsworth” (英語). thepeerage.com. 2016年3月3日閲覧。
  6. ^ Lundy, Darryl. “Cecil Desmond Bernard Harmsworth, 2nd Baron Harmsworth” (英語). thepeerage.com. 2016年3月3日閲覧。
  7. ^ Lundy, Darryl. “Thomas Harold Raymond Harmsworth, 3rd Baron Harmsworth” (英語). thepeerage.com. 2016年3月3日閲覧。

関連項目

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