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内田恒二

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内田 恒二(うちだ つねじ、1941年10月30日 - )は、日本の経営者

経歴

大分県佐伯市出身[1]佐伯鶴城高等学校を経て、1965年京都大学工学部精密工学科を卒業し、同年にキヤノンに入社[2]

カメラ開発部門に携わり、数多くの名機の開発にも携わっていた[2]1997年に取締役に就任し、常務、専務を経て、2006年に副社長に就任し、同年5月から2012年までに社長を務めた[2]2012年から相談役を務めた[2]

2012年から2014年までにビジネス機械・情報システム産業協会会長を務めた[3]

脚注

先代
御手洗冨士夫
キヤノン社長
第7代:2006年 - 2012年
次代
御手洗冨士夫
先代
山本忠人
ビジネス機械・情報システム産業協会会長
2012年 - 2014年
次代
山名昌衛