原昌栄
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時代 | 戦国時代 |
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死没 | 天正8年(1580年)9月? |
官位 | 隼人佑 |
主君 | 武田信玄→勝頼 |
氏族 | 美濃土岐氏庶流原氏 |
父母 | 父:原昌胤 |
兄弟 | 原昌栄、原昌弘、原貞胤 |
原 昌栄(はら まさひで、生年未詳 - 天正8年(1580年)9月?)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣。隼人佑。弟に昌弘(宗一郎)、貞胤(惣十郎)。
生涯
[編集]武田信玄の譜代家老である原昌胤の長男として生まれる。天正3年(1575年)5月21日の長篠の戦いで父が戦死したため、家督を継いで武田勝頼に仕え、父と同じ隼人佑を称した。
天正6年(1578年)2月に竜朱印状の奏者としての名が確認されている。『甲陽軍鑑』によれば、天正8年(1580年)9月に上野国・善城(群馬県前橋市)における戦いで負傷し、甲府で死去したという。跡を弟の貞胤が継いだ(貞胤が昌栄の嫡男説もある)。