コンテンツにスキップ

津村紀陵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。曾禰越後守 (会話 | 投稿記録) による 2022年5月2日 (月) 12:29個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (カテゴリ調整)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

津村紀陵

津村 紀陵(つむら きりょう、1863年4月9日(文久3年2月22日[1]) - 1933年昭和8年)12月16日[2][3][4])は、明治から昭和時代前期の政治家実業家貴族院多額納税者議員。前名・光三郎[5]

経歴

素封家[1]・津村重兵衛の長男として紀伊国那賀郡、のちの和歌山県那賀郡山崎村岩出町を経て現岩出市)で生まれる[1][2][4][5]。1904年(明治37年)3月、家督を相続し紀陵と改名した[1][5]

1884年(明治17年)中野黒木村外8カ村戸長に就任[4]和歌山県会議員を経て、紀南索道、野上軽便鉄道、秋津川水力電気各社長、和歌山倉庫銀行取締役などを歴任した[2][4][5]1918年(大正7年)6月[4]和歌山県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[6]から1925年(大正14年)9月28日まで在任した[3][4]。在任中は交友倶楽部に所属した[3]

親族

脚注

  1. ^ a b c d 「津村紀俊」『大正人名辞典 第3版』1308頁。
  2. ^ a b c d 上田ほか 2001, 1250頁.
  3. ^ a b c 衆議院、参議院 編 1960, 203頁.
  4. ^ a b c d e f 『和歌山県史 人物』308頁。
  5. ^ a b c d 『大衆人事録 第5版 タ-ワ之部』ツ之部6頁。
  6. ^ 『官報』第1848号、大正7年9月30日。

参考文献

  • 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第5版 タ-ワ之部』帝国秘密探偵社、1932年。
  • 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3034963 
  • 和歌山県史編さん委員会編『和歌山県史 人物』和歌山県、1989年。
  • 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496