ブーフローエ - メミンゲン線
ミュンヘン - メミンゲン線 | |
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ミュンヘン - リンダウ間の改修区間 | |
基本情報 | |
国 | ドイツ |
所在地 | バイエルン州 |
起点 | ミュンヘン中央駅 |
終点 | メミンゲン駅 |
駅数 | 24駅 |
路線記号 |
5520(ミュンヘン - ブーフローエ) 5360(ブーフローエ - メミンゲン) |
路線番号 | 970、971 |
開業 | 1872年11月1日 |
所有者 | ドイツ鉄道 |
運営者 | ドイツ鉄道 |
使用車両 | 運用現況参考 |
路線諸元 | |
路線距離 | 114.1 km |
軌間 | 1435 mm(標準軌) |
線路数 | 単線、複線 |
複線区間 | ミュンヘン - ブーフローエ |
電化区間 | 全区間 |
電化方式 |
15 kV / 16.7 Hz(交流) 架空電車線方式 |
最小曲線半径 | 334 m |
保安装置 | PZB |
最高速度 | 160 km/h |
線路等級 | D4 |
停車場・施設・接続路線 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ミュンヘン - メミンゲン線(ミュンヘン - メミンゲンせん、ドイツ語: Bahnstrecke München–Memingen)はバイエルン州ミュンヘンとメミンゲンを結ぶ幹線鉄道である。この路線はミュンヘンとボーデン湖を連結する主要区間の一部として機能する。
歴史
バイエルン王立鉄道時代
ルートヴィヒ南北鉄道が開通されたのちに、バイエルンの国鉄路線は統一された路線網の生成に関係なく建設された。1860年代の初めに王立運輸協会総局(Generaldirektion der Königlichen Verkehrsanstalten)は、バイエルンの鉄道網を完成させ、交通、貿易、軍事の分野で可用性を改善するために、より体系的な接近法を最初に検討した[2]。当時にミュンヘンの西側路線はミュンヘン - アウクスブルク鉄道、アウクスブルク - ウルム鉄道しかなかったので、ケンプテン、リンダウ方面はアウクスブルクを経て、メミンゲン方面はノイウルムを経て到達可能であった。
1869年4月29日の法律でバイエルン議会は22個の新線建設を承認して、その中でミュンヘン - メミンゲン鉄道の境界線までの建設が含まれた[3]。ヴュルテンベルク王国は国内の鉄道建設を拒否して、プロジェクトはメミンゲンまで建設することに変更された。路線経路として、パージングからシュテーゲン、ランツベルクを経てブーフローエまでの経路が論議された。しかしアンパーモース地帯とアンマー湖岸の洪水危険、レヒ川両岸の大きい高低差の理由で王立運輸協会はその経路を断った。王立運輸協会はその代わりにブルク、グラーフラト、カウフェリング近郊のレヒ川岸を経由地として計画して、予算額が低くなった。ランツベルクの連結はカウフェリンの分岐線が企画された[4]。
建設工事は1869年12月に開始されて、この路線は最初から複線用路盤で、まずは単線で建設された[5]。1872年11月1日にカウフェリング - ブーフローエ区間がカウフェリング - ランツベルク線と同時に開業された。1873年5月1日にミュンヘン - カウファーリング区間が、1874年5月1日にブーフローエ - メミンゲン間がそれぞれ開通された[6][7]。この路線の通行量は初期には多かったものの、ヴュルテンベルク方面の鉄道連絡が当分の間になくて、アールベルク線の開通で国際貨物運送の重要性はなくなった[5]。
1896年5月1日にバイエルン鉄道はミュンヘン - ブルク区間に通勤列車路線を導入した[8]。その区間の複線線路は1899年5月1日まで頻繁に利用された通勤路線のために設置された[9]。1905年以来バイエルン鉄道は他の区間も複線で改修した。1906年9月29日にミュンヘン - ブーフローエ区間はエプフェンハウゼン - イグリング区間の複線化と共に複線で運行可能となった[9]。
ドイツ国営鉄道時代
1939年以来ディナミット・ノーベル株式会社は軍需工場をカウフェリング西南部とイグリングで建設した。二つの工場の連結のためにカウフェリング - イグリング区間の三線複線工事が進行された。しかし1940年末に戦争のため工場建設が中止されて、三線複線は実現されなかった。1944年以来工場の連結線がドイツ軍の掩蔽壕まで建設されて、カウフェリング収容所の収容者達が強制労働に動員された[10]。
1945年4月末にナチス親衛隊はアメリカ軍の迫る渦中でカウフェリング収容所の収容者達をダッハウ強制収容所へ移送した。同年4月27日に収容者輸送列車がシュヴァープツハウゼン近くでアメリカ軍の空襲を受けて、100人以上の収容者が死亡した[11]。同じ日と翌日にドイツ国防軍は、アメリカ軍の進軍を防ぐために、レヒ川鉄道橋およびアンパー川鉄道橋を爆破した[12][13]。1945年末の冬にドイツ国営鉄道はミュンヘン - ブーフローエ区間の列車運行をようやく再開できた[12]。
ドイツ連邦鉄道時代
1960年代中期にV200形ディーゼル機関車が投入されて、ミュンヘン - リンダウ区間の運行時間は30分ほど減少した。それまでアルゴイ線には蒸気機関車がほとんど使用された。S3/6型蒸気機関車は数十年間国内・国際特急列車に使用され、1967年当時に急行のD列車を牽引した。
1967年から西ドイツ連邦鉄道はSバーン開業の為にミュンヘン - ゲルテンドルフ区間を改修した。1967年その区間で夏電化工事が始まって、1968年9月完了した。既存の機械式信号扱い所はリレー式信号扱い所に置き変わって、Sバーン列車の停車駅予定地では76 cm、長さ210 mの乗降場が設置された[14]。1972年5月28日ミュンヘンからゲルテンドルフ駅までS4系統が40分間隔で導入された[15]。
1985年9月29日にドイツ連邦鉄道はゲルテンドルフ - ブーフローエ区間で三つの停車駅を廃止して、少ない利用者数と列車の高速走行の場合に発生するプラットホームの安全問題がその理由であった[16]。
ドイツ鉄道時代
2011年12月以来に642形気動車がアウクスブルク行きの中距離列車に投入されている。2015年6月にミュンヘン行きの245形ディーゼル機関車と二階建て客車のプッシュプル列車がこの路線で走行することとなった。
2017年11月にシュテッテン駅舎、ゾントハイム駅舎、ウンゲルハウゼン信号場がメミンゲン運転指令所と連結された[17]。2018年秋までテュルクハイム駅、シュテッテン駅、ゾントハイム駅が乗降場利用に支障ないように改修された[18]。2018年上半期にシュテッテンで建造後約145年の過ぎた組積式アーチ形高架橋が撤去され、鉄筋コンクリート構造の鉄道橋の取り替え工事が行われた[19][20]。2020年12月に電力設備工事がゲルテンドルフ - リンダウ区間で完了して、メミンゲン - ミュンヘン区間の走行時間はおよそ30分ほど減少した。ETR610電車はミュンヘン - チューリヒ間のユーロシティー列車としてこの路線に投入された[21]。
沿線概況
ミュンヘン - パージング区間はミュンヘン - アウクスブルク線と共有してSバーン幹線と並んでいる。列車がパージング駅を出発すると、すぐミュンヘン - ガルミシュ=パルテンキルヒェン線が左側に、ミュンヘン - アウクスブルク線右に分岐する。アイヒェナウ駅までこの路線は真っ直ぐに続く。その後、線路の方向は少し変わり、列車はフュルステンフェルトブルックからグラーフラトまで一直線で進む。二つのカーブで列車はトュルケンフェルト駅に着き、ゲルテンドルフまで一直線で走行する。アンマー湖線はゲルテンドルフ駅の前後にX字形でこの路線と交差する。
列車はゲルテンドルフ駅を出発して、一直線に走行する。旧シュヴァブハウ全駅からこの路線の方向は少し変わり、列車はレヒ川の橋梁を渡りカウファーリング駅に至る。ボービンゲン - ランツベルク線はカウファーリング駅でこの路線と交差する。この路線は続いて西に向かい、南北線の一部のアウクスブルク - ブーフローエ線はこの路線と合流する。ブーフローエ駅ではブーフローエ - メミンゲン線がこの路線から分岐する。
列車がブーフローエ駅から出発すると、旧ルートヴィヒ南北線がすぐにケンプテン方面に分岐する。テュルクハイム駅で北の方向にゲッサーツハウゼン - テュルクハイム線が、南の方向にバート・ヴォェリスホーフェン方面の線路がそれぞれ分岐する。中シュヴァーベン線はミン出るハイム駅からクルムバッハおよびギュンツブルク方面に伸びる。一部の列車は中央シュヴァーベン線を貫通してメミンゲンへ向かう。ウンゲルハウゼン信号場ではオットボイレン方面の旧線とメミンゲン飛行場の連結線が分岐した。メミンゲン駅の寸前にイラー谷線がこの路線に合流すると、列車はメミンゲン駅に到着する。イラー谷線はケンプテン方面に分岐し、ロイトキルヒ - メミンゲン線はこの路線を継承する。
運用現況
運行系統 | 経路 | 運行間隔 | 車両 |
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ECE 88 | ミュンヘン - ブーフローエ - メミンゲン - リンダウ・ロイティン - ブレゲンツ - チューリッヒ | 毎日六往復 | ETR610電車 |
RE 72 | ミュンヘン - ゲルテンドルフ - ブーフローエ - テュルクハイム - メミンゲン | 120分 | FLIRT3電車(ゴーアヘッド鉄道) |
RE 96 | ミュンヘン - ブーフローエ - メミンゲン - リンダウ | 120分 | FLIRT3電車(ゴーアヘッド鉄道) |
RB | メミンゲン - ゾントハイム - ミンデルハイム - クルムバッハ(–ギュンツブルク) | 個別サービス | 642形気動車 |
RB 71 | アウグスブルク - ブーフローエ - テュルクハイム - メミンゲン/バート・ヴェリスホーフェン | 120分 | 642形気動車 |
ゲルテンドルフ - フュルステンフェルトルック - ミュンヘン - ミュンヘン東駅 - トルダーリング | 20分/40分 | 423形電車 |
参考文献
- Reinhold Breubeck (1999) (ドイツ語). Die Eisenbahn in Mittelschwaben zwischen Iller und Wertach. Buchloe: Druck und Verlag Hans Obermayer GmbH. ISBN 3-927781-18-5
- Kosmas Lutz (1883) (ドイツ語). Der Bau der bayerischen Eisenbahnen rechts des Rheines. München / Leipzig: R. Oldenbourg
- Thorsten Marr; Antje Scherner (1994). Pasinger Fabrik. ed (ドイツ語). Ein Jahrhundert wird mobil! Von Pasing nach Augsburg, Memmingen, Starnberg und Hersching. Vier Bahnlinien und ihre Bahnhöfe von 1839 bis heute. München: Buchendorfer Verlag. pp. 41–57. ISBN 3-927984-33-7
- Peter Rasch (ドイツ語). Die Nebenbahnen zwischen Ammersee, Lech und Wertach. Mit Ammerseebahn, Pfaffenwinkelbahn & Co rund um den Bayerischen Rigi. Sankt Ottilien: EOS Verlag. ISBN 978-3-8306-7455-9
- Walther Zeitler; Helge Hufschläger (1980) (ドイツ語). Die Eisenbahn in Schwaben. Stuttgart: Motorbuch Verlag. ISBN 3-87943-761-0
外部リンク
- 路線経路・主要施設・許容速度: OpenRailwayMap
- “ABS 48: Ausbaustrecke München–Lindau–Grenze D/A” (ドイツ語). abs48.com. DB Netze. 2021年2月15日閲覧。
注釈・出典
- ^ Eisenbahnatlas Deutschland (German railway atlas). Schweers + Wall. (2009). pp. 105–106. ISBN 978-3-89494-139-0
- ^ Lutz: 1883, S. 56–57.
- ^ Lutz: 1883, S. 60–61.
- ^ Rasch: 2011, S. 257.
- ^ a b Marr, Scherner: 1994, S. 56–57.
- ^ Lutz: 1883, S. 127
- ^ Marr, Scherner: 1994, S. 55.
- ^ Carl A. Hoffmann (1992). “Von der Reformzeit bis zum Ersten Weltkrieg (1799–1918)”. In Hejo Busley u. a. (ドイツ語). Der Landkreis Fürstenfeldbruck. Natur - Geschichte - Kultur. Fürstenfeldbruck: Landratsamt. p. 180. ISBN 3-9803189-0-7
- ^ a b Klaus-Dieter Korhammer; Armin Franzke; Ernst Rudolph (1991). Peter Lisson. ed (ドイツ語). Darmstadt: Hestra-Verlag. p. 152. ISBN 3-7771-0236-9
- ^ Rasch: 2011, S. 342–349.
- ^ Andreas Wagner (1995) (ドイツ語). Todesmarsch. Die Räumung und Teilräumung der Konzentrationslager Dachau, Kaufering und Mühldorf Ende April 1945. Ingolstadt: Panther-Verlag Lutz Tietmann. pp. 74–77. ISBN 3-9802831-7-8.
- ^ a b Rasch: 2011, S. 32.
- ^ Klaus Wollenberg (1992). Hejo Busley u. a.. ed (ドイツ語). Reich und Republik, Die Entwicklung von Waimar bis Bonn. Der Landkreis Fürstenfeldbruck. Natur – Geschichte – Kultur. pp. 268–269. ISBN 3-9803189-0-7
- ^ Reinhard Pospischil; Ernst Rudolph. S-Bahn München. Von den Anfängen des Vorortverkehrs zum modernen Hochleistungssystem. Ein Jahrhundert Planungsgeschishite – 25 Jahre im Dienst der Fahrgäste. Düsseldorf: Alba. pp. 43, 94. ISBN 3-87094-358-0
- ^ Andreasn Janikowski (1996) (ドイツ語). Die Ammerseebahn. Verkehrsentwicklung im westlichen Oberbayern. Stuttgart: Transpress. p. 49. ISBN 3-344-71033-8
- ^ Rasch: 2011, S. 33–34
- ^ Ausschreibung „ESTW Memmingen II Ostast; Erneuerung der veralteten Signalanlagen der Bahnhöfe Stetten, Sontheim und Ungerhausen in ESTW-Technik und Erneuerung des BÜ km 31,5. Kabeltiefbau und Rückbau.“ auf ausschreibungen-deutschland.de, abgerufen am 23. Juli 2016
- ^ Sandra Baumberger (2016年12月23日). “Der Stettener Bahnhof ist bald Geschichte”. Augsburger Allgemeine 2017年8月22日閲覧。
- ^ Sandra Baumberger (2014年9月7日). “Die Tage des Stettener Viadukts sind gezählt”. Augsburger Allgemeine 2021年2月15日閲覧。
- ^ “Baumaßnahmen 2018”. abs48.com. DB Netze. 2021年2月15日閲覧。
- ^ Wilhelm Unfried (2018年7月16日). “Mit 160 Sachen durch das Unterallgäu”. Augsburger Allgemeine 2021年2月15日閲覧。