与倉喜平
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与倉 喜平(よくら きへい、1868年(明治元年)- 1919年(大正8年)6月1日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将[1]、宮崎県出身[1]。
人物
陸軍士官学校(旧10期)、陸軍大学校(11期)を卒業後、累進して1907年(明治40年)歩兵第1連隊付(中佐)となり、のち陸軍歩兵大佐に昇進して同連隊長を拝命する。その後、中清派遣隊司令官等を経て陸軍少将となり、歩兵第35旅団長や陸軍士官学校校長(第20代)を務めた。1918年(大正7年)7月24日に陸軍中将になったが、翌年待命中に卒去した。陸軍中佐の与倉知実は岳父である。
経歴
- 1888年(明治21年)7月28日 – 陸軍士官学校(旧10期) 卒業[1]
- 1888年(明治25年)12月 – 陸軍大学校(11期) 入学[1]
- 1907年(明治40年)11月5日 – 補 歩兵第1連隊付[2]
- 歩兵第1連隊長(陸軍歩兵大佐)
- 1912年(明治45年)3月5日 – 補 中清派遣隊司令官[1][3]
- 1913年(大正2年)9月30日 – 任 陸軍少将、補 歩兵第35旅団長[1][4]
- 1915年(大正4年)2月15日 – 補 陸軍士官学校 校長[1][5]
- 1918年(大正7年)7月24日 – 任 陸軍中将[1][6]
- 1919年(大正8年)